理不尽な因果
——平安の都。
藤原家の屋敷の庭。
そこでは、何人もの武士や職人たちが忙しなく動き、新たな屋敷の普請が進められていた。
「与平! そこの梁を運べ!」
「へいっ!」
呼ばれた田舎者の与平は、分厚い木材をひょいっと担ぎ上げた。
藤原家の武士や職人たちが驚愕する。
「な、なんだあの田舎者……!?」
「ありゃあ普通の梁じゃねぇぞ……大人三人でも持ち上げられねぇはずだ……!」
しかし、当の与平はケロリとしている。
「こんぐれぇ、村じゃ朝飯前だっぺ!」
「いや、田舎の基準おかしいだろ……」
その時だった。
屋敷の廊下から、月姫が涼やかな笑みを浮かべながら歩いてくる。
与平は思わず見惚れた。
「……月姫様は、綺麗だっぺな……」
しかし、その呟きを聞いた職人の一人が、慌てた様子で小声で言った。
「ば、馬鹿野郎! ジロジロ見るんじゃねぇ!!」
「へ?」
「月姫様は、高貴なお方だぞ。お前みたいな田舎者が相手にされるわけねぇだろ!」
「でも、おら、月姫様と話したことあるだ」
「嘘つけ! この田舎者が!!」
職人たちから一斉に叱責され、与平は肩をすくめた。
すると、職人の一人が小声で呟く。
「……それに、後ろを歩いてる男を見てみろ」
与平がよく見ると、月姫の後ろには、頭の後ろで手を組みながら、気だるそうに歩く若い男がいた。
「……あの方は、陰陽師の藤原清雅様だ」
「おお……すごそうな名前だべ……」
「最近、帝から直接、異名と位階を賜ったお偉い方だ。しかも、月姫様とは恋仲だって噂もある。」
「ほえ〜……」
与平は素直に感心し、梁を担いだまま頷く。
「すんごい偉い方なんだっぺな〜。」
「そうだ。だから、お前なんか相手にされるわけ——」
「……?」
月姫は何かに気づいたように廊下を降り、パタパタと駆け寄ってくる。
「ま、まずい……!!」
周囲の職人たちは焦り、後ずさった。
与平の目の前まで来ると、ニコリと微笑む月姫。
「与平、言葉は伝わるようになりましたか?」
「へへっ! まだたまに何言ってるかわがんねぇって言われっけどな!」
月姫はくすくすと笑い、与平の持つ梁を見て驚いた。
「すごいですね、与平。こんなに大きな梁を一人で……!」
与平はその言葉に気を良くし、鼻を高くする。
「おら、都で名を上げるっぺ!!」
——そして、勢いよく走り出そうとした瞬間。
「うわぁっ!!」
バランスを崩した与平は、持っていた梁ごと仰向けに倒れる。
——ドシャァァァン!!!
「ぐ、ぐえぇ……! う、重てぇぇぇだぁぁぁ!!!」
巨大な梁が、そのまま与平の胸の上にのしかかる。
「与平、大丈夫ですか!?」
周囲の職人たちは、呆れたように頭を抱えた。
「与平……お前なぁ……」
「せっかく月姫様と話せたんだ。もう運は使い果たしたと思えよ」
「これからは、理不尽なことしか起きねぇぞ……」
遠くで誰かが言った言葉が、夢の中でぼんやりと響いた——。
「う〜……重てえだぁ……」
うわごとのように呟きながら、勇真は目を開けた。
——視界には、ふわふわの毛玉。
「……ワン」
「……え?」
胸の上に、何かが乗っている。
「ハッ、ハッ、ハッ」
「……な、なんで俺の上に犬がいる……?」
子犬は丸まっていた体を伸ばし、短い前足で顔をこする。しかも、金属の塊のようにずっしりと重たい。
「くぅ〜ん」
「……お前なぁ……」
——ジャリッ。
口の中で何かを噛んだ感触に、勇真は違和感を覚えた。
「……ん?」
寝起きのぼんやりした頭で口をもぐもぐ動かすと、土の味が広がる。
「……土? なんで……?」
疑問に思いながら、勇真は起き上がり、部屋を見渡した。
——そして、目の前の光景に絶句した。
障子が派手に破れ、そこから枕元まで点々と続く土の肉球跡。
「……は?」
ゆっくりと視線を下げる。
「ワン」
キリが、つぶらな瞳で見上げていた。
「……てめぇ、まさか……」
念のため、近くの鏡を手に取って顔を見る。
顔中に、土の肉球跡がついていた。
「………」
勇真はしばらく沈黙した後——
「てめぇぇぇぇぇ!!! 俺の顔を踏み台にしたばかりか、部屋まで汚しやがってぇぇぇ!!」
「くぅ〜ん」
キリが申し訳なさそうな声を出す。
だが、その無垢な顔を見ても、勇真の怒りは収まらなかった。
「可愛い顔したって許さねぇ! どこの犬かしんねぇけど、躾が必要みたいだな……!!」
勇真は勢いよくキリに飛びかかった——が、
「ワンッ!」
キリは軽やかに跳び上がり、ひらりと勇真の攻撃を回避。
「なっ!? 」
避けられた勢いのまま、勇真はふらつき——
——バキィィィンッ!!!
勢い余って障子を突き破った。
「うおおおおおおお!?!?」
障子を背負ったまま、廊下を転がり——
さらに勢いは止まらず、廊下の先の中庭まで転げ落ちる。
——ドゴォォンッ!!
土ぼこりが舞い上がる中、障子と共に地面に大の字になった勇真。
「……ぐ……がっ……」
ちょうどその時、廊下を歩いていた紗月が、その騒動の現場を目撃した。
「………」
そこには庭に転がる勇真と壊れた障子、そして廊下から見下ろす紗月。
「……はぁ」
ため息混じりに首を振ると、呆れた声で問いかけた。
「……勇真、朝から何しとるん?」
勇真は破れた障子の隙間から顔を出す。
「……ち、違う! 俺じゃねぇ!」
「……何が違うん?」
紗月は部屋の中を覗き込む。
「……あんたなぁ。ここ奈々ちゃんちなんやで……障子壊して、部屋も土だらけにして、桂一さんに怒られるで」
「ち、違う! だから俺のせいじゃ——!」
「はぁ……相変わらずの暴れっぷりやな……」
呆れたように紗月は周囲を見渡した。
「それより……キリ見んかった?」
「キリ……?」
勇真がその言葉を反芻した瞬間——
「ワンッ!!」
どこからともなく飛び出してきたキリが、勢いよく勇真の腹に突進した。
——ドゴッ!!!
「ぐおおおおぉぉぉ!!!」
勇真は完全に息が詰まり、地面の上でのたうち回る。
キリは誇らしげに「ワン!」と一鳴きする。
「ここにおったんか。おいで、キリ」
キリは、再び勇真の顔を再び踏み台にし、軽やかに紗月の腕の中に飛び込んだ。
「……勇真も今日から学院やろ? 早よぉせんと遅刻するで」
「ハッ、ハッ、ハッ」
キリは満足そうに喉を鳴らし、紗月に抱かれたまま去っていく。
勇真は、地面に倒れたまま呆然と空を見上げた。
数秒の沈黙。
「…………いや、俺、昨日からずっと理不尽な目に遭ってないか?」
そんな考えを振り払うように、勇真はゆっくりと体を起こした。
しかし、そのまま動き出すのではなく、一度庭で静かに座禅を組む。
比叡山では、朝起きてすぐの読経と座禅が習慣だった。
(……まぁ、久々の京都とはいえ、こっちの習慣が抜けるわけねぇよな)
そう思いながら、勇真は目を閉じ、呼吸を整える。
そして、胸の前で印を結び、小さく経を唱え始めた。
「オン・アビラウンケン・バザラダトバン……」
比叡山の山中での厳しい修行の中、何よりも大切にしてきたのは心を整えることだった。
「オン・マカキャロニキャ・ソワカ……」
一息ごとに、意識が澄んでいく。
昨晩の疲れも、今朝の騒動も、キリに顔を踏み台にされた怒りすら、すべてが霧のように薄れていく。
比叡山で学んだ通り、怒りや迷いは手放せばいいのだ。
——はずなのだが。
「……オン・アビ……あーもう、ダメだ!」
途中で経を止め、ため息混じりに頭をかく。
キリの肉球跡がついた顔。
土まみれの布団と破れた障子。
昨日からの理不尽の数々が、読経を終えても頭から離れない。
(……クソッ、心が整わねぇ)
それでも、読経を済ませたことで僅かに落ち着きを取り戻した勇真は、ゆっくりと立ち上がった。
そして、軽く身を整え、食堂に向かい歩き出した。
(……やっぱり他人の家は落ち着かねぇな)
勇真は昨晩の事を思い出す。
紗月たちと門の外で鉢合わせし、なんとか橘東家の門をくぐり——玄関を入ってすぐのことだった。
「…勇真様」
ふいに、昔からこの屋敷に仕える使用人の女性が声をかけてきた。
「御親類一同があちらの部屋でお待ちです」
「………!」
(親類一同って……)
勇真はゴクリと唾を飲み込み、静かに襖を開ける——。
部屋には、橘本家の当主であり、父である宗近、この屋敷の主である桂一、そして留守だった橘南家の当主、明良の姿があった。
(な、なんだ……橘西家以外が揃って……)
明らかに、ただの帰郷を歓迎する雰囲気ではない。
「橘勇真、ただいま比叡山から戻りました」
「遅かったではないか……自宅には居ないから橘東家に来るように、和助に言われたはずだ」
(……うわ、機嫌悪ぃ……)
宗近の表情は変わらないが、その声色から苛立ちが滲んでいるのは明らかだった。
(いや、でもな……俺にも言い分があるんだよ……)
勇真は、一月前の和助とのやり取りを思い出す。
疲れ切った体を布団に沈め、深い眠りについていた勇真の静寂を破ったのは囁き声だった。
「……勇真様」
「……ん……?」
半分寝ぼけながら薄目を開けると——目の前に、何かがいる。
——暗闇の中、無音で佇む和助の姿があった。
「!!?!?!」
いつの間にか部屋に忍び込み、布団の横に正座して、まるで幽霊のようだった。
(こ、怖ぇぇぇぇ!!!)
「……夜分遅くに申し訳ありません」
「も、もしかして……わ、和助か?!」
「よくお分かりで」
「忍者みたいな登場すんのやめろ!! 心臓止まるかと思ったぞ!!」
「ふふ、驚かせてしまいましたか。宗近様からご伝言です」
和助は、まるで他人事のように微笑んだ。
「——————以上です。9月に入ったら戻って来るように、と宗近様よりご伝言です」
「……は?」
寝ぼけた頭では、話がうまく入ってこない。
「戻りましたら、学院に通っていただきます」
「……お、おう……?」
「では、失礼いたします」
そう言うと、和助はまた気配を消しながら立ち去った。
勇真は、しばらく放心した後——
「……無理……怖すぎる……」
そのまま布団を被り直した。
(あんな登場の仕方されたら、話なんかまともに頭に入るわけねぇだろ!!!)
伝言の内容より登場のインパクトが強すぎて、ほぼ頭に入ってこなかったのだ。
しかし、そんなことを言っても通じるわけがない。
「……申し訳ありません」
結局、勇真は素直に頭を下げるしかなかった。
宗近はしばらく勇真を見据えた後——
「……まぁ……よい」
だが、その声の裏には 「次はないぞ」 という圧が込められていた。
それから、勇真は初めて霊障事件の詳細を順を追って説明された。
自分が子供の頃、放尿していた封印石から鬼が出たこと。
その鬼と戦い、自宅が損壊。兄である雅彦が陰陽師としては再起不能になり、妹の彩花は連れ去られた。
そしてテレビで散々報道されていた「京都鞍馬山霊障事件」の原因が、その鬼であったこと。
(……何一つ、良い話がねぇ)
勇真は話を聞きながら、どんどん顔が青ざめていった。
(……え、家は壊れるわ、兄貴は再起不能、彩花もいなくなって、日本中を騒がせた霊障事件の元凶が、実はうちに封印されてた鬼のせい……?)
頭が痛くなってきた。
(……俺に兄貴の代わりをやれってか……そんな堅苦しいの出来るわけねぇ……)
昨晩の理不尽なまでの話しの数々を思い出し、勇真はため息をつく。
(……はぁ……前世で運を使い果たしたか……?)
勇真は愚痴りながら、バスの座席に沈み込んでいた。
向かう先は——帝陰学院。
「……はぁ」
窓の外を眺める。
流れる景色をぼんやりと見つめながら、勇真は心の底から思った。
(……やっぱり…… 理不尽だ……)




