祝福と呪縛
目の前にそびえ立つのは、どう見ても廃墟ビル。
(……え? ほんまにここで合っとるん?)
スマホの地図を何度も確認するが、画面に表示されたピンは、このボロボロのビルを指している。
(いやいやいや……どっからどう見ても、ただの廃ビルやん)
外壁はヒビだらけ、入口のシャッターは錆びつき、看板も色褪せて何が書かれていたのかすら分からない。
(……紅子さん、間違えたんちゃうやろか……)
そう思いながら、もう一度スマホを見直そうとした、そのとき——
——コツ、コツ。
背後から小さく靴音が響く。
振り返ると、そこには——
帽子を深くかぶり、サングラスにマスクという、どう見ても怪しい男。
(……いや、普通に怪しすぎるやろ!?)
「……はぁ……うちになんの用……?」
「ふふ……もう正体を明かしてもいいだろう!」
突然、怪しい男——青山颯が、サングラスをバッと外し、帽子を脱ぎ去る。
——キラァァァン!!
「俺の名は——青山颯!」
(……気づかれてないと思っとたん……?)
「ちょっと待て!」
颯は唐突に手を上げ、鞄をゴソゴソと漁り始めた。
「えーっと……あれ、どこだ……?」
(なんや……今度は何する気や……?)
紗月が呆れた目で見ていると、颯はようやく紙切れの束を取り出した。
「よし……!」
満足げに頷くと、颯は勢いよく紙を空中に放り投げた——
——が。
バサバサバサッ!!
紙は思った以上にまとまって落ち、ぐしゃっと地面に散乱する。
「………」
「………」
颯は一瞬固まり、気まずそうに視線を逸らした。
「……ちょ、ちょっと待て!」
慌てて地面にしゃがみ込み、バラけた紙を拾い集める。
(………)
「い、いくぞ!」
今度こそ慎重に紙を握り、颯は手のひらからゆっくりと撒いた。
ヒラ……ヒラ……
——キラキラキラァァァァン!!
今度はうまくいったのか、光を反射した紙吹雪がふわりと舞い上がる。
颯は満足げに胸を張り、決めポーズ。
「ゼファーのリーダーにして、アイドル界の絶対的エース!」
颯は片足を引き、両手を広げながら流れるような動きで回転。
「そして——!」
「その正体は! 異能管理庁のトップエージェント!!」
(はぁ…!?)
「アイドルは仮の姿! 真の姿は、国家機密を背負う男!」
ビシッと指をさし、颯は堂々としたポーズを決める。
——キラッ!!
なぜか…歯が光った。
(……いやいや、なんで歯まで光るん!? それに異能管理庁がなんで……?)
「………」
紗月は、しばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「えっと……やばい人?」
「なにぃ!?」
「いや、普通に考えて、いきなり紙吹雪撒いて、ダンスして、ポーズ決める人…ただの変人や……」
「……これが理解出来ないとはおかしいな……ファンの間では好評だったんだが……」
颯は立ち上がると、流れるような動作で髪をかきあげる。
「まぁ、君は知らないだろう……この世界の裏に潜む、闇の脅威を!」
颯はサングラスをかけ直し、ゆっくりと紗月に歩み寄る。
「この俺が、君を——監視することになった」
「……え、ストーカーってこと?」
「違う! 監視!」
「いやいや、なんでうちが監視されなあかんの……」
「自分が監視対象になってることすら知らないのか……おめでたい奴だな君は。いったい何をやらかした? 異能管理庁でもトップの一部しか知らない機密事項だぞ」
「そんなん知らんわ……」
「フッ……ならば俺が君に潜む闇を暴いてやる!!」
颯は無駄にカッコつけた笑みを浮かべ、キラリと歯を光らせる。
「ゼファーのリーダーとしての俺ではなく! 異能管理庁のエージェントとしての俺がな!!」
そう宣言した瞬間——
颯は右手を勢いよく突き出した。
——バサッ!
鞄の中の紙束が、勢い余って地面に散乱する。
「………」
「………」
「ちょ、ちょっと待て!」
慌ててしゃがみ込み、地面に広がった紙をかき集める颯。
(意外とポンコツなんなや……)
完全に呆れた紗月は、もう何も言う気になれず、スマホを取り出し、紅子にメッセージを送る。
『紅子さん、着きました。廃ビルの前にいます』
突如、頭の中に響く清雅の声。
(へぇ、懐かしいな……)
「……何が?」
(平安の頃、陰陽寮はこの土地にあったんだ。京の霊脈が交差する地点でね。結界を維持するには最適な場所だった)
清雅の声には、どこか懐かしさが滲んでいた。
(まさか、またこの場所に戻ってくるとはね……)
「……そんな重要な場所やったん?」
(うん。陰陽寮は京を守る最前線だったからね)
すると——突然、廃ビルの扉がゆっくりと開いた。
ギィ……
「……来たわね、紗月ちゃん」
現れたのは、紅子だった。
「……遅くなりました」
「いいのよ。急に呼び出してごめんなさい。みんな待ってるわ、早く行きましょう」
「えっ、廃ビルの中ですか……? それに、待ってるって……?」
(まさかこんなボロビルの中に、人が待ってるなんてあるん?)
「ふふ、それは入ってからのお楽しみ。颯も早く入りなさい」
紅子が颯に視線を向けると、彼は無言のままうなずいた。
「……紅子さん、この不審者、知り合いですか?」
紗月は驚きながら、小さな声でこっそり紅子に尋ねる。
「……あなた達、一緒に来たんじゃないの?」
「一緒っていうか……ストーカーみたいに後をつけられただけです」
「………」
紅子はジトッとした目で颯を見つめる。
「……まぁ、いいわ。颯のことは後で説明するから、とりあえず入りましょう」
紅子が促し、ビルの中へと足を踏み入れる。
外観はボロボロの廃ビルだったが——
「えっ……?」
中に入ると、まるで別世界だった。
床はピカピカに磨かれ、壁も真新しく改修されている。古びた廃墟の雰囲気は一切なく、むしろ高級感すら感じられるほど。
(外と中のギャップがすごい……)
「さぁ、ここよ。入って」
紅子が指し示したのは、一際目立つ綺麗なドアだった。
「え、ええ……?」
戸惑いながらも、紅子に言われたまま、紗月はそっとドアを押し開ける。
——その瞬間。
「「ハッピーバースデー!!!」」
「……え?」
驚く間もなく、目の前に広がる光景に、紗月は言葉を失った。
部屋中が華やかに飾りつけられ、天井にはカラフルなバルーンが浮かんでいる。
テーブルの上には美味しそうな料理やケーキが並び、大勢の人が集まっていた。
(……え、ちょ、何これ!?)
「紗月ちゃん、お誕生日おめでとう!」
満面の笑みで紅子がそう言う。
紗月は一瞬、何を言われているのか理解できなかった。
(……誕生日……? うちの?)
目の前には、見覚えのある顔ぶれが並んでいた。
千紘、悠希——さらに、莉乃や奈々の姿もある。
面識のない大人達も沢山いた。
「紗月お姉ちゃん! お誕生日おめでとう!」
パンッ!
クラッカーが弾け、紙吹雪が舞う。
「………」
奈々もクラッカーを鳴らす。
「え、ちょ、待って莉乃も奈々ちゃんもいつの間に来たん……?」
突然のことに、頭が追いつかない。
「言ったでしょ? みんな待ってるって」
「……でも、なんでうちの誕生日……?」
「そりゃあ知ってるわよ。だって、紗月ちゃんの大切な日だから」
「……いや、こんな大勢に祝われるなんて、初めてやし……」
目の前の光景が信じられない。
こんなに大勢の人が、自分のために集まってくれたことなんて、今までなかった。
じわりと目の奥が熱くなる。
(……あかん、泣きそう……)
「ほらほら、主役がそんな顔してどうするの?」
紅子が優しく肩を叩く。
「今日はお祝いなんだから、遠慮しないで楽しんでね」
「……っ」
堪えきれずに、涙がこぼれた。
「えっ、紗月お姉ちゃん、泣いてるの?」
「……うん」
こんなに温かい気持ちになったのは——初めてだった。
***
『……ここで、8月2日に発生した異能者脱獄事件についての続報です』
テレビ画面に映し出されるアナウンサーの緊迫した表情。
『特異能力者を収監する『特別異能者収容施設』から8名の脱獄が確認されてから、およそ1か月が経ちました』
『関係者の発表によりますと、施設内の職員による内部の裏切りが原因で、収監者たちが脱走。現在も行方は掴めておらず、政府は異能管理庁と連携し、捜索を続けています』
画面が切り替わり、犯人たちの顔写真が並ぶ。
『そして本日、脱獄犯8名の身元が正式に公表されました』
『脱獄犯の中には、かつて松江で大規模な霊障事件を引き起こし、多くの死者を出した元特級陰陽師・神楽坂緑』
『そして、カルト宗教『神聖導会』の教祖であり、異能者を実験材料として扱った罪で収監されていた宗方尊玄の名も含まれています』
一人一人の顔がアップで映され、詳細が読み上げられていく。
ソファに深く腰掛け、静かにモニターを眺める男がいた。
——宗方尊玄。
——宗教法人「神聖導会」教祖。
——異能「神威」を持ち、信仰を力に変える男。
——カルトの指導者として、人体実験を繰り返した罪で収監されていたが……。
彼は今、信者の家の一室で、まるで自分の邸宅のように悠然と座っていた。
テレビの画面には、八鬼夜行と名付けられた8人の脱獄犯の名前と顔写真が並んでいる。
その中には、彼自身の名もあった。
『宗方尊玄——カルト団体『神聖導会』教祖。人体実験を繰り返した狂信的指導者』
解説者が、彼の危険性を詳しく語っている。
———パチン。
テレビのリモコンが押され、音が消える。
「ふむ……」
尊玄は目を細め、じっと画面を見つめながら、1か月前のあの夜の出来事を思い出していた。
『特別異能者収容施設』——8月2日の夜。
その日、施設内の異変に気づいたのは、突如として鳴り響いた警報の音だった。
——だが、それはほんの一瞬。
次の瞬間には、すべての警報が沈黙し、異能管理庁の職員たちが無表情に、どこか焦点の定まらない瞳で動き始めていた。
(……これは……幻術か?)
そして、その中を悠然と歩く二人の男女——
一人は、長い白髪をなびかせる美しい女。
もう一人は、異様な存在感を放つ若い男だった。
男はまるで自宅にいるかのように、シャツにジーパンというラフな格好で、鉄格子の向こうの囚人たちを興味深げに見渡していた。
尊玄は、その男にまったく見覚えがなかった。だが、男がただ者ではないことだけは、一目で分かった。
「……お前が宗方尊玄か」
男ではなく、彼の隣にいた女が声を発した。
「ふむ、私の名を知っているとは光栄なことだ」
「それなりに有名な人物らしいな」
女は手元の資料に目を落としながら淡々と言った。
「カルト宗教『神聖導会』の教祖。自らを神と定め、信仰心を力へと変える異能を持つ。そして、その力を信者に与えることもできる……と」
「ほう………面白い力を持っているな」
男の赤い瞳がじっと尊玄を捉えた——その瞬間。
(……っ!?)
尊玄の背筋に、ぞわりと冷たいものが走る。
本能的な嫌悪感。
肌にまとわりつくような圧迫感。
目を合わせた瞬間、まるで心の奥底まで覗き込まれたような感覚に、思わず息を呑む。
(こいつは……何だ……人間なのか…!?)
異様すぎる。
尊玄は一瞬、言葉を失った。
「お前は、ここから出たいか?」
「だ、出してくれるのか…?」
「条件がある」
「……じょ、条件とは…?」
「仲間を集めている。協力するなら出してやる」
「……な、仲間を集めて…何をするつもりだ……?」
「簡単なことだ……この世を壊す」
(……き、狂人の類か……?)
いや、おそらく、本気なのだろう。
だが、自分には関係のない話だった。
「悪いが、わしはそういう類の破壊活動には興味がない」
「ふむ、そうか……残念だな」
「ま、待て…!邪魔はしないし、他に協力できることがあれば協力しよう。だから、わしを出してくれないか?」
男はしばし沈黙し、何かを考えるように視線を彷徨わせると——
「……いつまでも……娘に金を出させ———」
尊玄の耳にはっきり聞こえないほどの声で、何かを呟いた。
(……?)
「金は用意できるか?」
「……金額次第だが……いくら欲しい?」
「太宰府までの旅費が欲しい」
「………」
尊玄は一瞬、言葉を失った。
(……ん? どう言う意味だ……?)
「旅費だ。そうだな……十人ほどが福岡県とやらまで行ける金が欲しい」
「そ、それなら、一千万渡そう。十分足りるはずだ」
「いい取引だ」
——ガシャリ。
次の瞬間、扉が重々しく開く。
「金はどうやって渡せばいい……?」
「式神に取りに行かせる。さあ、行け。もうお前は自由だ」
(……この男、陰陽師か…?)
尊玄は一礼し、ゆっくりと外へと足を踏み出し、自由を取り戻した。
そして——
尊玄は、ふと我に返る。
「尊玄様」
不意に、部屋の奥から声がかかった。
黒衣の信者が静かに跪く。
「やはり、1月前の京都の霊障事件——あの雷は、雷神の降臨があったものと考えられます」
「……橘の狸じじいめ……」
彼は静かに天を仰ぐ。
「あの幼子は、本当に死んだのか……?」
——14年前。
橘北家に生まれた、神を喚べる特異な力を持つ幼児。
尊玄はその子を利用するつもりだった。
だが、橘北家の猛反撃により、計画は頓挫。
激しい戦いの末、幼児の父と母は死に——
幼児も巻き込まれて死んだ、と報告を受けた。
「……だが……もし、生きていれば17歳……」
「しかし……橘北家は一族が絶え、取り潰されております……」
「……橘のじじいの言葉を鵜呑みにしたのが誤りだったわ……陰陽師にはせずに、どこかで生きてるかもしれんな……」
尊玄は目を閉じ、静かに笑った。
「ならば、徹底的に調べ上げるまでよ」
「すでに陰陽師協会の中に情報提供者がいます」
「生きていたなら、あの子は今、いったいどんな神を喚べることか……」
「かしこまりました」
「ああ、神よ——貴方は再び、私が神になる道を示されるのですね……」
そう呟くと、尊玄の口元が狂気の笑みを浮かべた。




