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Epi 橘彩花

 ——大阪のとある公園。


 ベンチに腰掛け、頬杖をつく橘彩花。


 目の前には、Tシャツにジーパンというラフな格好で、鳩にエサをやる青年の姿。


 短く切り揃えられた黒髪。


 端正な顔立ち。


 どこからどう見ても、ただの好青年。


 ———そう、3日前に京都を混乱に陥れた“鬼”だとは、誰も気づかないだろう。


 それにしても、夜叉王は変わった。


 京都を離れ、主人の願いを叶えるという執念から一度離れたことで、見えない縛りから解かれたように——。


 あれほど剣呑な空気を纏っていた彼が、今では驚くほど穏やかだ。


(……まさか、ここまで普通に接するようになるなんてね)


 こんな風に公園で鳩にエサをやっている姿なんて、想像できるはずもなかった。


(……はぁ)


 ここに至るまでの3日間を思い出すと、どれほどの苦労をしたか、思わず頭を抱えたくなる。



 ***



 大阪の雑踏の中、彩花は両手に二人分の服を抱えながら深いため息をついた。


(……いったい、何してるんだろ私……)


 彩花が手続きした、安いビジネスホテルの一室。


「はい、これ着替えて!」


「む……これを着るのか? 裸と変わらんではないか…?」


 夜叉王がTシャツを手に取り、不思議そうに眺める。


「これが普通です!! いいから着替えて!!」


 葛葉は無言で袋の中を覗き込むと、女性用のTシャツを手に取った。


「……窮屈そうな衣装じゃのう……」


「……」


 とりあえず、夜叉王にバスルームで着替えてもらい、出てくるのを待っていると——


 ——ガチャリ。


「ふむ……どうだ?」


 ——シンプルなTシャツと、よく馴染んだデニム。


 身体にぴったりフィットするせいか、平安時代の着物よりも一気に現代人っぽく見えた。


(……なにこれ……めちゃくちゃ……カッコいいんですけど!?)


 これまでは、長髪と和装のせいで威圧感が強かったが——こうして服装が変わると、途端に雰囲気が変わる。


「どうした? 似合わぬか?」


「い、いや……まぁ、似合ってると思う……」


 ぎこちない返事をしながら、彩花は無意識に目をそらした。


「……あ、あとは、そ、そのむさ苦しい髪よ!!」


「む? この髪に何か問題が?」


「問題しかないわよ! 伸び放題じゃない!!」


「仕方があるまい……」


「……よし、じゃあ私が切るからね」


ジャキッ。


持っていたハサミの音が部屋に響く。


(……髪、サラサラ……)


「じっとしててよ」


「むむ……」


——サクッ、サクッ。


 長かった髪が少しずつ床に落ちていく。


(……こうして見ると……本当に、ただの人間みたい……)


 最後の仕上げを終え、彩花は思わず息をつく。


「……はい、終わり」


 その時、バスルームの扉が開いた。


「……この衣装……小さくないかのう……」


 夜叉王と入れ替わりに入った葛葉が現れた。


 ——ピッチリとした白いTシャツに、すらりとしたデニム。


 完璧なスタイルが、より一層映えて見える。


「………」


(……えっ、ちょっと待って、モデルか何かですか!?)


 涼しげな顔をしながら、髪をかき上げる葛葉。


 ——サラッ。


 まるでシャンプーのCMのような動きだった。


「……まことに窮屈な衣じゃな……」


「……そ、そうね」


(……うわぁぁ、なにこの差……)


 彩花は視線を下げ、自分の胸を見る。


 比べるまでもなく、圧倒的なスタイルの違い。


(いやいや、比べる必要なんてないでしょ!!)


 必死に自分を納得させようとするが、一度落ちたテンションはそう簡単には戻らない。


 夜叉王が不思議そうに彩花を見つめる。


「どうした?」


「……別に、なんでもない」


「……そうか」


 とりあえず、着替えは完了した。


 これで見た目だけは、どうにか現代人として通用するはず——


「……で、次は何をする?」


 彩花は、彼の変わりようを改めて実感した。


 ほんの数日前まで、「主人の願い」を果たすために、鬼として京を焼こうとしていた存在が——


「……そうね……」


 今は、何のためらいもなく、人間の私に「次は何をする?」なんて聞いてくる。


 京都を離れたことで、何かが変わったのだろうか。


 彼が人間だった頃の性格が、少しずつ戻ってきたのかもしれない。


(……そうだとしたら、ちょっと嬉しいかも)


 そんなことを考えながら、彩花は深呼吸した。


(よし、次は食糧の買い出しだ!!)


 覚悟を決めて、立ち上がる。


(この二人を引き連れて買い物……考えただけで胃が痛いわ……)


 繁華街にあるコンビニ。


「おぉ……ここが“店”というものか」


 夜叉王が腕を組みながら店内を見渡す。


 平安の世とはまるで異なる世界。


「夜叉王様、これは“おにぎり”と書かれています。……“鬼を握る”とは、何と恐ろしい食べ物でしょう……」


「ふむ……鬼の肉を握り固めたものか?」


「ちがうから!!! 勘違いしないで!!」


「……しかし、鬼を握るとはな……なかなか大胆な食文化よ」


「だから違うってば!! ただのご飯!!」


「夜叉王様……こちらをご覧ください」


「なぬ……?」


 そこには堂々と 『鬼殺し』 と書かれた日本酒が並んでいた。


「ほう………“鬼殺し”とは、すなわち“鬼を滅する力”を持つ酒であるな」


「さすがは、夜叉王様」


「いや、ただのお酒だから!!」


「まさかこの時代では、酒を飲むことで鬼を討つ力を得るのが主流に……?」


「そんなわけあるかぁぁぁ!!!!」


 夜叉王はしばし『鬼殺し』のパックをじっと見つめた後、ゆっくりと手を伸ばした。


「うむ……せっかくの機会だ。一つ持っていくか」


 夜叉王はしれっとレジへ向かおうとした。


「お待ちください、夜叉王様。銀子が必要かと」


「ふむ、では葛葉、頼む」


「承知しました」


 葛葉は静かに懐から何かを取り出すと、レジに向かってスッと手を差し出した。


「待てぇい!! 葉っぱはダメぇ!!!!」


「なぜです? 私の幻術は完璧です」


「なぜも何もないでしょ!? それ詐欺だから!! 立派な犯罪だから!!」


「しかし、かつてはこの術で大阪の商人たちを欺き——」


「そういう問題じゃないから!!! コンビニで幻術を使って会計するの禁止!!!!」


 夜叉王は腕を組みながら神妙に頷いた後。


「……では、どうするのだ?」


「どうするもこうするも、普通にお金を払うの!! ほら!!」


 彩花は慌てて財布から千円札を出し、レジに置いた。


「……ふむ……こうして物を得るのか……ふむ、わかった。ならば次は私がやってみよう」


「……ちゃんと理解してくれたのね!! じゃあ、次のお会計は夜叉王に——」


 ——と思った瞬間。


「だから葉っぱはダメぇぇぇ!!!!!」


 彩花の悲鳴が、コンビニに響き渡った———。



 ***



(……まさか、ここまで馴染むとは思わなかったな……)


 夜叉王……いや、今となっては、そんな名で呼ぶのも違和感がある。


 彼は今、鳩にエサをやる、どこにでもいそうな青年だった。


「……ねぇ、あなた……名前はないの?」


「ない。それに夜叉王とは、陰陽師どもが勝手に付けた名だ。」


「ふーん。じゃあ、人間だった時の名前は?」


「……捨てた名だ」


「いいから教えてよ」


 しばしの沈黙。


 そして、ぽつりと呟くように言った。


「……小野義久だ」


「え……?」


 その瞬間、彩花の胸がざわついた。


 ——知っているはずのない名前。


 ——でも、どこかで聞いたことがあるような気がする。


「……なんだ、同じ名の知り合いでもいたか?」


「……いえ、別に」


「ふむ」


 彼はそれ以上詮索することもなく、再び鳩にエサを撒く。


 ——ポロポロポロ。


 撒かれるエサに群がる鳩たち。


 どこにでもある、のどかな公園の一風景。


 彼は静かに手のひらからエサを落としながら、ぼんやりと呟く。


「……この時代の鳥は、随分と慣れているのだな。不思議なことよ……食われるとは思わんのか?」


「……え?」


「ほら、こうも簡単に寄ってくるとは……まるで食べ放題ではないか」


「ちょ、ちょっと待って!? 鳩食べる気!?」


「む……食べんのか?」


「当たり前でしょ!! 鳩は食べ物じゃない!!」


「ふむ……ならば、何のために飼われているのだ?」


「飼ってないから!!」


「……?」


(……危なかった……このままじゃ、鳩が “今日の夕飯” になるところだった……)


 そんな時——


「夜叉王様」


 振り向くと、公園の木陰から葛葉が現れた。


 相変わらず、白いTシャツとデニム姿でも隠しきれない美貌を携え、まるでモデルのように歩いてくる。


「陰陽師や異能者の咎人が入れられている獄舎の情報を手に入れました。」


 そう言いながら、葛葉は懐から一枚のカードを取り出し、夜叉王に差し出した。


 黒と銀のデザイン、中央には『特別異能者収容施設』と刻まれている。


「……む? これは何だ?」


「これが、施設に入るための鍵となる“パスカード”とやらだそうです。」


「……えっ?」


 彩花は思わず声を上げた。


「ちょっと待って!! そんなのどこで手に入れたの!?」


「異能管理庁に勤めている職員を幻術で籠絡し、もらいました」


「……うそ……」


「ついでに、施設内の見取り図も手書きで書いてもらいましたので、ご覧ください」


 そこには細かい筆跡で通路や部屋の配置、監視カメラの位置まで書き込まれている。


「……ちょ、ちょっと待って!? そんなことしてバレたらどうするのよ!?」


「心配ないわ……」


「夜叉王様、四日後にその職員は夜勤だそうです。その時間なら、施設内を案内してくれるとのことです」


「……え?」


 彩花の思考が一瞬停止した。


「案内……って……その人、裏切るってこと?」


「ええ。そうなりますね」


「えええええぇぇぇぇぇ!?!?」


「……何を騒ぐ? 人間の欲とは際限のないものよ、葛葉に欲をかいたのが運の尽きだがな……」


「……」


「これで施設への侵入経路は確保されました。夜叉王様、協力者を集めに行くとしましょう」


「葛葉、よくやった。では、その者の夜勤の日に合わせて行動する」


「はっ」


「行くぞ」


「……ち、ちょっと待って……!」


 夜叉王はふと足を止め、彩花を見た。


「娘——帰るなら、今のうちだ。そこに行けば、もう後戻りはできぬぞ」


(……本当に、ついて行っていいの?)


 今なら、戻れる。


 紗月や莉乃の元へ帰って、何事もなかったように日常に戻ることだってできる。


 でも——


(……今ここで帰ったら、きっと一生後悔する)


「……そんなの……今さらでしょ」


 この鬼の行く先を、なぜか見届けたい。


 いったい、どこへ向かうのかを——。

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