少女の名は
輝守と土御門が避難所を出ると、道路には、避難途中に放置された車が無造作に散乱し、通行の妨げになっていた。
「……こりゃ、まともに車は使えんな。」
輝守は眉をひそめると、腰にかけていた呪符をひとつ取り出した。
「蒼焔、来い。」
呪符が燃え上がると、そこから蒼白い炎をまとった馬が姿を現す。式神の馬—蒼焔
一方、土御門は呆れたように鼻を鳴らし、バイクのエンジンをかける。
「長官は、ほんまに時代劇みたいな移動手段がお好きですなぁ。」
「うるさい。」
「まぁ、俺はこっちで行かせてもらいますわ。」
「では、行くぞ。」
輝守が馬の腹を軽く蹴り、先行する形で走り出す。
——バリバリッ!!
未だに散発的に雷鳴が轟き、時折、空が青白い閃光に染まる。
(……天候を操るなんて…そんな術はありえない……しかし、この雷……本当にただの自然現象なのか……?)
そんな考えが頭をよぎったその瞬間だった。
——ボゴンッ!!!
「ッ!?」
突如、マンホールが爆発するかのように吹き飛び、轟音とともに“それ”が飛び出してきた。
——黒い鬼。
赤い目、異常に発達した牙、額から生える角——。
「……クソッ!」
輝守は咄嗟に手を伸ばし、呪符を掴む。
(やるか——!)
——ゴロゴロゴロ……ッ!!!
空が裂けるような雷鳴が響いた。
その瞬間——。
——ドォォォォォン!!!!!!——
「な……ッ!?」
次の瞬間、鬼の身体に “雷” が直撃した。
だが、それはただの落雷ではなかった。
雷は形を変え、天空から地上へと落ちてきた。
——龍の姿をした雷。
(こ、これは……!!)
鬼は黒い霧になり、消滅する。
(……何だ、今のは……!?)
そのまま言葉を失う輝守に、横からバイクのエンジン音が近づいてきた。
「長官、運よく見れましたな。」
振り向くと、土御門が笑いながらバイクのハンドルに腕をかけている。
「これですわ。オモロいやろ?」
「……。」
「目の前で見られるとは……いやぁ、長官は持っとりますなぁ。」
「……あまり、笑えないんだがな。」
「そらまぁ、陰陽術の理を超えとりますわ。雷神様の慈悲…ホンマ、ロマンがあるやないですか。」
「……それより…行くぞ。」
———東寺の近くまで来ると、激しい衝撃音が周囲に響き渡っていた。
——ドンッ!! ズシャァァァァッ!!!
——バキィィン!!!
「……戦闘ですわ。」
「……ああ。」
輝守は馬を呪符に戻し、土御門もバイクのエンジンを切る。
二人は静かに歩みを進めながら、駐車場の横転した車の影から、慎重に様子を伺った。
そこで目に飛び込んできた光景は——
少女に翻弄される千紘だった。
「……は?」
賀茂千紘——特級陰陽師の一人。
好奇心旺盛で、協調性がゼロ、いつも自分のやりたいように動き、周囲を混乱させる。
しかし、未来予知を駆使し、強力な式神を操る圧倒的な力。ただ戦うことにおいてのみ突出していたからこそ、千紘は特級陰陽師の座を得たのだ。
だが——
今、目の前で繰り広げられているのは、『手も足も出ない』という表現がぴったりだった。
相手の少女はどう見ても未成年。
なのに、その動きは歴戦の陰陽師そのものだった。
「……まさか。」
(しかも、手加減されているだと…。)
千紘の未来視をものともせず、少女はまるで瞬間移動するかのように千紘の攻撃をかわしていた。
そして、さらに不気味だったのは——
——天を睨むように佇む白龍。
——庭石に止まり、少女二人を護る霧のような鴉。
どれもただの式神とは思えない。
「……長官。」
土御門がゴクリと喉を鳴らす。
「……ああ。」
二人の間に言葉は不要だった。考えていることは同じだった。
——これは、只事ではない。
その間にも、千紘が口を尖らせながら愚痴った。
「でも、あんただって龍に頼って何もしてないじゃない?! 結局、自分じゃ戦えないじゃん!」
「だったら、強くなれる術、見せてあげるよ。」
「はぁ? そんな術あるわけないじゃん! そんなのあったらみんな使ってるし!」
その瞬間——
少女が詠唱を始めた。
「——英雄の刃、亡者の技、歴戦の軌跡をここに……。」
静かに目を閉じる少女。
「——戦神託・千剣の影。」
次の瞬間——
亡霊たちが立ち上がった。
数え切れないほどの影が、少女の背後から湧き上がる。
——無名の剣豪。
——伝説の武者。
——死地を駆け抜けた兵士たち。
戦いの記憶を継承する為に、少女の呼びかけに応じて姿を現した。
「……ッ!!?」
(待て待て待て!!何を始める気だ!!…俺を心労で殺す気か!?)
「……ちょ、長官……もうアカンですわ。」
「……ああ。」
——この少女は、人間の領域を超えている。
「……止めるしかない。」
輝守は意を決して、前に一歩踏み出した。
「そこまでだ。」
「もう勝負はついた。」
「……ちょ、長官……?」
驚いた様子の千紘が、息を飲む。
一方、戦っていた少女は、こちらを警戒する素振りも見せずに術を解いた。
輝守は目の前の少女に集中する。
(雰囲気からして戦うつもりはなさそうだが……もし戦闘になったら……はたして…勝てるだろうか?)
輝守はとりあえず名乗ることにした。
「私は陰陽師協会、長官、安倍輝守だ。」
「こっちは…。」
「陰陽師協会、大阪支部長の土御門孝昌や。」
少女は微笑みながら頷いた。
「橘紗月だ。」
(……橘?)
「……すまない、橘とは京都の七星会に属する橘家の関係者か?」
尋ねると、少女——“橘紗月”は、沈黙し考え込んだ。
「……七星会? ……うーむ、わからん……。」
(……わからん、だと?)
疑問を抱きつつも、その瞬間——
ふと、視界の端で何かが“スルスル”と動く気配がした。
「……ん?」
ちらりと横目で見ると——
——千紘が、じり……じり……と後退しているではないか。
しかも、めっちゃ怪しい動きで。
(……!)
目が合った瞬間——
「ち、ちがうし!? 千紘、ここにいてもお邪魔かなー、なんて?ってことで、お疲れっしたー♪」
「……おい、待て。」
「待てって言われて、待つわけないし。じゃあ、さよなら〜。」
「逃げるな!!」
輝守が一喝するが——
その瞬間、千紘は跳ぶようにしてくるりと踵を返し、一目散にダッシュ。
「京都よ!! さらばだァァァ!!!」
「誰か止めろ!!」
——バシュンッ!!
「ぎゃるぅっ!!?」
土御門が結界を張り、見事に千紘の足を止めた。
「……ふぅ。ほんま、千紘さんはお変わりないですなぁ。」
「…痛ッ!? なんで邪魔すんの!? ちょっとくらい見逃してくれてもよくない!? てか空気読めよ!つっちー!」
「誰がつっちーや!アホぬかせ!!」
ぴくぴくと痙攣しながら地面に転がる千紘を、土御門は見下ろした。
「うげー! もうマジ萎えるんだけど!! マジでエモくないし!!」
「……黙れ!」
輝守は額を押さえながら、深いため息をつく。
「ちゃんと説明しろ。なんでこの少女と戦ってたんだ?!」
「えー、だってさ、なんか楽しそうだったんだもん。」
「……は?」
「ってことで、つい戦っちゃった♪」
輝守は目を閉じ、ぐっとこめかみを押さえる。
(……この馬鹿、あれから何も反省してない……!!)
「いいか、千紘。お前、手加減されてたんだぞ?」
「……は?」
「本気でやり合ってたつもりだったんだろうが、見ていた俺たちからすれば、あの少女は明らかにお前に“合わせて”いただけだ。」
「……そ、そんなワケなくない?」
「いや、事実だ。」
「……マジで?」
「相手はお前と“遊んでいた”だけだ。」
「……やっぱりかぁ……。」
そして——
彼女の視線が、改めて目の前の少女に向けられる。
今まで戦った誰よりも強い。
戦いの勘が鋭いとか、技のレベルが高いとか、そういう次元ではない。
戦いの“本質”そのものが違う。
千紘は、自分の知る陰陽師の中に、このレベルの存在がいたかどうかを考えるが、該当する者はいなかった。
「……ってか、アンタ、何者?」
千紘が改めて問いかけると——
少女はニヤリと笑い、自分に指を向けた。
「……いつか、この国の未来を変える陰陽師——橘紗月ってとこかな。」
「……いや、マジで聞いてるんだけど?」
「ん?」
「橘紗月って名前なのは分かったけど……アンタは橘紗月じゃないよね?」
「さあな。ま、俺のことはどうでもいいよ。だけど、紗月はお前なんかまったく歯が立たないぐらい強くなるから。」
(は……? ……なにそれ……最高じゃん!!)
「……ははっ。」
千紘の中で、新たな“ターゲット”がロックオンされた。
だが、その直後——
「……ふむ。」
腕を組んだまま、じっと清雅を見つめる輝守。
「……いやな、少し気になってな。」
「……?」
「君の術だ。」
「“千剣の影”——歴戦の亡霊を召喚し、その技と経験を継承する術……。」
「……。」
「聞いたことがある。平安時代の、とある陰陽師が使っていたと……。」
「……さあ、どうだろうね。」
「それに——」
「君の式神、あの白龍……そして霧のような鴉。どれも尋常な存在ではない。」
「…可愛い仲間たちだからね。」
「そうか。」
輝守は一度頷くが、その表情からは疑念が消えない。
「それに、君はまだ未成年のはずだが……一体どこでその術を学んだ?」
「……どこ、ねぇ。」
清雅はわざとらしく首を傾げ、考えるふりをする。
「まぁ、適当に色んなとこで?」
「適当、か。」
「……すまないが、陰陽師協会として、このまま君を放置することはできない。」
「……。」
「つまり、我々と一緒に来てもらいたい。」
「……悪いようにはしない……大丈夫かな?」
しかし、清雅はそれに応じることなく、急に視線を逸らした。
「……マ、マズイ。」
「……何?」
清雅はすぐに踵を返し、莉乃と奈々のもとへ向かった。
「お前ら、大丈夫だった?」
静かに問いかけると、莉乃と奈々は不安そうな表情を浮かべながらも、しっかりと頷いた。
「今から紗月が起きる。頼むな。」
清雅は二人を安心させるように微笑むと、庭石に寄りかかるようにして静かに座った。




