ロビー防衛戦
鬼が黒い霧となって消えた瞬間——
ロビーに響くのは、張り詰めていた緊張が解けた人々の歓声だった。
「やった……!!」
「鬼が消えた……!」
「助かったんか……!? 本当に……!?」
バリケードを抑えていた田辺医師や看護師、患者たちが、歓喜に満ちた声を上げる。
一人が拍手を始めると、それは次第に広がり、ロビー全体が安堵と感謝の空気に包まれた。
「とにかくありがとう……!」
「紗月ちゃんたちがいなかったら、本当に危なかった……!」
感謝の言葉が飛び交う中、石松は編笠を軽く直し、短い腕を袖口に突っ込みながら、堂々と胸を張る。
「お控えなすって!!」
その声がロビーに響き渡り、一瞬、田辺医師や看護師、患者たちのざわつきが止まった。
「手前ぇ、生まれも育ちも、ぬいぐるみ工房! 幼き頃より針と糸に鍛えられ、いくつもの縫い目をくぐって参りやした!」
「名前を森の石松と発しやす!」
「ぬいぐるみの肌ながら、心は渡世の侠客! 仁義と礼儀を命に代えても貫く所存!!」
「かの大親分・奈々姉さんの元に仕え、ここにお集まりの皆々様に、一宿の恩義を感じている次第!!」
「たとえこの身が裂かれようとも、綿が飛び出ようとも! 仁義を貫き通すぬいぐるみ、それがこの石松でございやす!!」
石松は誇らしげに腕を広げる。
シーン——
——周囲の人々は誰一人として言葉を発せなかった。
田辺医師はポカンと口を開けたまま、看護師たちは困惑した表情でお互いを見つめ合う。
そして——
「……あの……えっと……?」
看護師の一人が困惑気味に紗月の方を見た。
「あ、あはは……ようやったな、石松。」
紗月は石松の頭をポンポンと撫でる。
(紗月、また来るから、早く準備して。)
紗月は清雅の言葉に頷き。
「それより、みんな! バリケード、もうちょい補強しよか!! まだ鬼がくるかもしれへん!!」
その一言で、ロビーの空気が一気に現実に引き戻される。
「そ、そうやな……!」
「鬼がまた来たら、このままじゃ危ない!」
「急ごう!」
しかし——
一瞬の期待からの落差に、石松のボタンの目がどこか寂しげに見える。
「……世知辛い世の中でさぁ……。」
ポツリと呟く石松を、奈々が無言でじっと見つめた。
「……奈々姉さん?」
「……。」
「え、ちょっ……その無言が一番キツイでさぁ!!」
そんなやりとりをよそに、紗月たちは次の襲撃に備え、準備を始めた——。
———バリケードの補強作業が進む中
「……ぅ……っ……あぁ……!」
突如、かすれたうめき声がロビーに響いた。
田辺医師の元にいた美紗子が、震える手を前に伸ばし、何かを指差していた。
「美紗子さん!? どないしたんですか!?」
美紗子の指先は、ロビーの入り口の向こう——
「……お母さん……」
紗月の心臓が高鳴る。
「多分……また鬼が来ます。」
その言葉に、ロビーの空気が凍りつく。
「……っ!」
看護師たちの顔がこわばり、患者たちが身を寄せ合う。
「なんでか…お母さん……鬼が来るのが分かるみたいです。」
「——来た!!」
莉乃の声が響いた。
次の瞬間——
「グオオオオオオオオオォォォ!!!!!」
轟く咆哮がロビーに響き渡る。
ズシン……ズシン……
遠くから響く、重く鈍い足音。
——そして。
病院の入り口に、一つの巨大な影が現れる。
「っ……!」
その姿が明らかになると、ロビーにいた全員が息を呑んだ。
鋭く裂けた口。
赤黒く染まった肉体。
額から生えた一本の角。
「——鬼や……しかも、さっきの鬼より元気そうや!」
田辺が低く呟く。
それを皮切りに——
「グオオオオオオッ!!」
鬼が吠え、ロビーに向かって踏み込んだ。
バリケードの前に立っていた患者や看護師が、恐怖に駆られて後ずさる。
「待って! まだバリケードが……!!」
莉乃が叫んだその瞬間——
「グオオオオオオッ!!」
——ズシャァァンッ!!
鬼が腕を振り下ろす。
バリケードの一部が吹き飛び、木片や金属の破片が辺りに散らばった。
「きゃあっ!!」
「くっ……!」
「——っ!」
「ま、待て……!!」
暗闇の向こうに、さらに“もう一つ”の影が揺れた。
「……え?」
莉乃の視線が、バリケードの向こうに向かう。
「うそ……」
二体目の鬼が姿を現した。
「……っ、に、二体……!?」
「マズイ、もう一匹おる……!」
紗月が息を呑む。
一体目と同じように、赤黒く染まった鬼。
鋭く裂けた口を開け、瘴気を撒き散らしながら、その巨体を揺らす。
「……ど、どうするの……!? バリケード、こんなんじゃ……!」
莉乃の声が震える。
「グォォォォォオオオオ!!」
——ズシンッ!!
鬼が、さらにロビーへ足を踏み入れる。
ロビーの空気が一気に張り詰める。
「……っ!!」
(……清雅、どうすればええん!?)
(紗月、すぐに結界を張って。時間を稼ぐよ。)
紗月は、すぐに鞄から霊符を取り出そうとした——その時。
「……っ!」
闇の中に、さらなる“影”が揺れた。
「ま、まさか……」
莉乃の声が震える。
そして——
「グオオオオオオォォォ!!」
「えっ……!!?」
——三体目の鬼が、暗闇から姿を現した。
「っ……!!!」
「ウソやろ……!!」
「……三体目……」
——圧倒的な絶望感が、ロビーを支配する。
「や、やばい……」
「こ、こんなの、どうすれば……!!」
「こっち来る……!?」
バリケードの後ろにいた看護師や患者たちが、後ずさる。
(みんな諦めかけとる…なんとかせんと…うちらは陰陽師や…)
「…なんとか食い止めるたる!!」
緊迫した空気の中——
「グォォォォォッ!!」
鬼たちの咆哮がロビーに轟いた。
「——結界、張るで!!」
紗月が叫ぶと同時に、霊符を握りしめ、入口へ向かって放った。
空中を舞う霊符が輝き、瞬く間に入り口に見えない壁を作り上げる。
——バチィッ!!
淡い光が瞬き、鬼たちの侵入を阻む障壁が完成した。
「よし……!」
しかし、安心する暇はない。
「——行くよ。」
莉乃が形代を両手に取り、小さな声で呪文を囁きながら印を結んだ。
「来て、ネズミたち。」
形代がふわりと宙を舞い、光の粒となって散らばる。
すると——
シュシュシュシュッ!!!
———バチバチッ!!
霊力が弾ける音と共に、形代が次々にネズミの姿へと変化する。
「チュチュチュッ!!」
「チチチッ!!」
——小さな体、赤く光る瞳。
さっきよりも一回り小さなネズミたちが、一枚の形代から数匹ずつ生まれ、次々に地面を駆け回る。
その数、数十匹。
ロビー中に、無数の小さな足音が響く。
「——今!!」
莉乃が指を振ると、ネズミたちは一斉に鬼へと殺到した。
——ズドンッ!!!
「グギャアアアアアアアアアアッ!!!」
次々にネズミが鬼に張り付き、小さな体当たりをしては爆発していく。
轟音と閃光の連続。
ロビーの空気が熱を帯び、爆風が巻き起こる。
「チュウウウウウウウウッ!!!」
最後の一匹が鬼の顔に張り付き、爆発。
——ドォォォォンッ!!!
爆煙が上がり、鬼の一体がよろめいた。
「……倒した!?」
「いや、まだ動いとる!」
爆煙の中から、ボロボロになった鬼が、体を震わせながら立ち上がる。
「……しぶとい……!」
莉乃が悔しそうに呟く。
「——石松、行って。」
編笠を直し、石松が勇ましく前に出る。
「行って参りやす!!」
——そのままバリケードの隙間を見上げると、スルリと飛び上がり、結界の外へ。
石松は小さなドスを構え、鬼へと跳びかかる。
「お命、頂戴いたしやす!!」
——シャッ!!
小さなドスが、鬼の膝を鋭く裂く。
「グオオオオオオッ!!!」
鬼が反応し、手を振り下ろすが、石松はすばやく飛び退いた。
「どうでぃ! ぬいぐるみ工房仕込みの身軽さ、伊達じゃねぇぜ!!」
鬼の膝に深々と刻まれた傷から、黒い瘴気が噴き出る。
「——さすがやな、石松!!」
紗月が思わず声を上げた、その時——
「グオオオオオッ!!」
——ドォンッ!!!
新たな鬼が、闇の中から姿を現した。
「——また出てきた!!」
鬼の数が増え、結界を激しく叩き始める。
「グギャアアアアアアア!!」
「ッ……!!」
衝撃で、結界がバチバチと軋む音を立てる。
(——紗月、がんばれ!!)
「わ、分かっとる!!」
結界の衝撃が、病院の壁を伝い、天井の一部がパラパラと崩れ落ちる。
「……っ!!」
「上が崩れてきとる……!」
患者たちが怯え、田辺医師が叫ぶ。
「紗月ちゃん!! もう無理なんちゃうか!?」
「まだや!! まだ……!!」
全身に霊力を巡らせ、なんとか結界を維持する紗月。
しかし——
「グオオオオオオッ!!」
鬼たちの猛攻が止まらない。
結界が悲鳴を上げ、ロビー全体が崩れ始めた——!!




