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鬼の雨



———夜叉王が詠唱を始めると、周囲の空気が一瞬で張り詰めた。


鞍馬山山頂を覆うように漂っていた濃密な霊力が、彼の詠唱に呼応するかのように動き出す。


彩花は恐怖に震えながら、遠く市内の方を見つめた。


怒りや悲しみ、恐怖、恨み――人々の心から湧き出る負の感情が目に見える形となり、空を染めていく。


「一体……何をするつもりなの……?」


夜叉王はゆっくりと懐から一本の短剣を取り出した。その刃は鈍い禍々しい気配をまとっている。


「……これはな——」


夜叉王がその短剣を彩花の目の前に差し出し、低く呟く。


「かつて、この刃で我が主人の胸が貫かれた。そして、その血が鬼を作り出した……呪われた刃だ。」


その刃は、何か言葉にできない呪われた「悪意」のようなものが染み付いていた。


「…これを使って……何をする気なの……?」


夜叉王は答えず、短剣を両手で持ち、ゆっくりとその刃を祭壇の中心に突き立てたると——



———ズゥゥゥンッ!



「———怒りよ、悲しみよ、恐れよ……全て集え。」



短剣から放たれる霊力が空に向かって一直線に突き抜ける。その光を中心に、京都市上空に集まっていた負のエネルギーが渦を巻き始めた。



彩花はその光景を呆然と見つめる。



上空の渦は、黒い稲妻を伴いながら一箇所に収束していく。


「あそこは……東寺のあたり……」


「京の都よ、負の感情をもって滅びの道を歩め……。全てを呪いの渦に飲み込むのだ。」


短剣が突き刺さった祭壇の周囲から、さらに禍々しい霊力が噴き出した。それは、京都の空全体を黒く染めていく。


「……これって……京都の街が……!」


夜叉王はひたすらに詠唱を続け、霊力を操り、滅びの儀式を進行させていく。





「きた、きた、きたぁああー!!めっちゃ、やばいじゃん!!」


千紘は興奮を隠しきれず、抑えきれない笑みを浮かべながら身震いした。


五重塔の上空を見上げると、黒紫の渦が空を支配し、その中心には黒い塊がどんどん大きく膨れ上がっていた。


(これこれ……星読みで見たやつそのまま……ガチじゃん……!)



———と同時に、ぞくりと千紘の全身に鳥肌が立った。



黒い塊は、これ以上膨れ上がることができないとでも言うように、ビキビキと亀裂が走り始めた。


———瞬間。



「ボタッ!」



黒い塊の一部が、東寺の地面に落ちた。


「えっ…!?落ちた…?」


続けて、次々と塊が落ちてくる。


「ボタッ!……ボタッ!……ボタッ!」


(何これ…?キモっ!?)


次第にその速度は加速し、ついには———



「ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!ボタッ!———」



———雨のように黒い塊が降り注いだ。



「…やばっ……どんだけ落ちてくんのよ!!」


千紘が後ずさると同時に、地面に落ちた黒い塊が動き始める。



———もぞ……。



一つ、また一つと、黒い塊が不気味な音を立てながら起き上がる。


そして、起き上がった塊は徐々に形を変え、腕や足、鋭い角、異形の目を持つ鬼の姿へと変貌していく。



——「ウオオオォォォォォォォッッッ!!」——



最初の鬼が咆哮をあげた。


空気が揺れ、千紘の髪がその声に煽られる。



続けて、次々と鬼たちが咆哮を響かせた。



「グギャァァァァァァ!!」



「アオオオォォォォォン!!」



「グワァァァァァァァァ!!」



「ウオオオオォォォォォォォォォ!!」



低い唸り声や高い叫び声が交互に重なり、まるで地獄の底から這い出てきたような恐ろしい合唱が響き渡る。


流石の千紘も一瞬呆然とし立ち尽くしたが、その目は輝きを失っていない。


「……マジ……やべぇし……地獄が始まったって感じ…。」


五重塔の上空では、なおも黒い塊が渦を巻き、次々と塊が地上に降り注いでいる。その数はすでに数百を超え、地面には無数の鬼が蠢いていた。


「さすがに一人じゃダルいし……そろそろ呼ぶか。」


千紘は懐から三枚の人形符を取り出した。


「天つ霊、地つ力、五行の理に従いて——!」


指先で人形符を弾き飛ばすと、符は宙を舞いながら青白い光を放ち始める。


———「ズゥン……!!」———


足元の石畳が低く唸り、巨大な呪術陣が浮かび上がる。三重に重なった陣が螺旋を描き、辺りの瓦を揺らしながら霊力を撒き散らした。


祢宜篤信ねぎ あつのぶ鬼一法眼きいち ほうげん多治比直野勝たじひのあたいのすぐる!——来なさいッ!!」



千紘が叫ぶと、呪術陣が一気に輝きを増し、三本の光柱が夜空へと伸びる。



祢宜篤信ねぎ あつのぶ!—



紅蓮の光から現れたのは、巨大な霊刀を携えた山伏の男。白布を額に巻き、背中には結界具の注連縄が揺れている。


「……主の召喚に応え、ここに。」


低く響く声とともに、篤信が千紘に一礼した。



鬼一法眼きいち ほうげん!—



青白い光の柱から、飄々とした剣士が姿を現す。風流な着物をまとい、腰には鋭い霊刀を帯びていた。


「へぇ、三人揃うのは珍しい…今回もなかなか面白い舞台じゃん。千紘。」


軽く刀を振り、不敵な笑みを浮かべる。



多治比直野勝たじひのあたいのすぐる!—



最後の光柱から、静かに歩み出る影。


狩衣を翻しながら、一振りの直剣を腰に差し、平安初期にかけて鬼退治を成し遂げた剣士が現れた。


「……千紘、鬼はまかせろ。」


短く告げると、直野勝はゆっくりと剣の柄に手をかけた。


———ザンッ!!!


一閃、風が裂ける。


鬼たちがビリッと緊張し、ザザザッと後ずさる。


「あっは!すぐるには相性いいかも!」


千紘がケラケラと笑う。


鬼一法眼がニヤリと笑い、霊刀を構える。


祢宜篤信は静かに霊刀を掲げた。


「さて、じゃあ……」


千紘は唇を舐め、前へ踏み出した。


「どいつからぶっ潰そっかなぁ〜」


三体の式神が揃った瞬間、東寺の戦場に新たな風が吹き荒れる。





紗月、莉乃、奈々の三人は、病室のテレビに釘付けになっていた。


画面にはニュースキャスターが緊張した面持ちで話している。


——「現在、京都市内では広範囲にわたり異常な暴動が発生しています。警察や消防が対応にあたっていますが、事態の収拾には時間がかかる模様です……。」


画面の端には、「松江霊障事件との関連性は?」と赤字の速報テロップが流れていた。


ニュースキャスターは続ける。


——「三年前の松江霊障事件では、霊力に触れたことのない人々が錯乱状態に陥りました。今回の京都の状況もそれと類似していると専門家は指摘しています。」


別の画面に切り替わると、専門家とされる人物が神妙な顔で解説していた。


——「錯乱状態は約一日続くと考えられます。意識のある方はできる限り安全を確保し、外出を控えてください。ご家族に錯乱した方がいれば、無理に刺激せず、閉じ込めるか、拘束するなどの対策を……。」


「……拘束って……そんな……。」


莉乃がスマホを握りしめながら呟く。


奈々は不安そうにぬいぐるみを抱きしめた。


画面が切り替わり、錦市場の火災の映像が映し出される。炎に包まれた商店街、煙の向こうで逃げ惑う人々、取り乱した店主が消火を試みる姿——。


「……錦市場……。」


———紗月の胸がざわつく。


何度も訪れた場所が、今まさに燃えている。


さらに映像は京都駅の様子に切り替わる。


駅構内は完全に混乱し、倒れたベンチの上で叫ぶ人、暴れる乗客を必死に抑える警察官、逃げようとする人々の姿が映っていた。


「……霊力に触れたことがない人は、どのくらいおるんやろ……。」


莉乃がスマホを見つめながら答える。


「……市民の半分近くが錯乱状態になるんじゃないかって……。」


「……ほんま……そんなに……おるんか……。」


信じがたい事態に、紗月はごくりと喉を鳴らす。


「私たち、今日一日、病院から出られないね。」


「……せやな……外に出たら巻き込まれるかもしれんし……バスも走っとらんやろ……。」


奈々は何も言わず、ぎゅっとぬいぐるみを抱えたまま、静かに頷いた。



「——あぁー、あぅー、あぁあー!」


突然、病室の静寂を切り裂くように、美紗子がかすれた声を上げた。


窓際の車椅子に座る彼女が、震える指をまっすぐ外へ向けている。


「な、なんや、お母さん!?どないしたん……!」


紗月は母のそばに駆け寄った。


美紗子は尚も何かを訴えるように指を差し続け、目を大きく見開いている。


紗月は息を呑み、母の指先の先——窓の外へ視線を移した。



——そこには、異様な光景が広がっていた。



京都の夜空に浮かぶ東寺の五重塔。



———その真上に、黒い渦が巻いている。



ただの雲ではない。異様なまでに濃密で、うごめく黒い塊——。


「な、なんや……あれ……?」


「紗月お姉ちゃん、どうしたの?」


紗月が無言で指を差すと、莉乃も窓の外を見て、表情を凍りつかせる。


「……なに、あれ……。」


奈々も恐る恐る窓に近づき、外を見た途端、ぬいぐるみを強く抱きしめた。


「……怖い……。」



その時——


(紗月!キリを呼んで!)


不意に、清雅の声が頭に響いた。


(……清雅?なんや、急に……?)


(いいから、キリを呼んで!すぐに!)


(いやいや、キリは家でお留守番やで……?)


(いいから『来い』って言えば、そのうち来るから!)


(なんやの……いつもふざけとるのに、急に真面目になって……『キリ、来い』……。これでええの?)


呆れながらも、心の中で呼びかける。



すると——



———ゴゴゴゴゴ……!!!———



窓の外の黒い渦が、さらに激しくうねり、その中心にある、黒い塊がどんどん大きく膨れ上がっていた。



そしてついに、黒い塊は、ビキビキと亀裂が走り始め——



「ボタッ!」



何かが、東寺の敷地に落ちた。



(——紗月、鬼が来るぞ……!)



清雅の低い声が、警告のように響き渡った。

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