広がる混乱
(清雅。うちのお母さんがなんて?さっき、よう聞きとれんかった。)
(えっと、紗月のお母さんだけど、の——)
———キィィイッッ!!!ドォオン!!!
突然、耳をつんざくような衝突音が響き渡った。
窓の外から聞こえた激しい音に、紗月は窓を開けて身を乗り出した。
「な、なんや!?今の音……!」
莉乃と奈々も驚いて顔を上げ、窓際へ駆け寄った。
窓の外を見下ろすと、目の前の道路で乗用車とバスが衝突していた。車両は無残に歪み、煙が薄く立ち上っている。
「事故や!中におる人、大丈夫なんやろか……?」
「……なんか、揉めてるみたいだね。」
運転手同士が言い争いをしながら取っ組み合いになっているのが見える。
「ねぇ、紗月お姉ちゃん……これ、まずいんじゃない?」
「警察、呼んだほうがええんやろか……?」
窓を見渡した紗月の目が、少し離れた場所で立ち上る煙を捉えた。
「あっ……あそこ、煙が上がっとる!火事ちゃう……?」
「ほんとだ……あれ、あっちも…えっ、いろんなとこで煙が上がってるよ……。」
病室の空気が急に張り詰める。
その時――
———ガララッ!
病室のドアが勢いよく開け放たれた。
白衣を着た医者が顔を真っ赤にし、息を切らせながら駆け込んでくる。
「はぁ……はぁ……紗月ちゃん、お母さんも大丈夫やったか!?」
「田辺先生!?ど、どうしはったんですか?」
「……病院内で何人か患者が暴れとるんや!紗月ちゃんのとこは大丈夫やな……。」
「暴れる……って……?」
「わしにも、よう分からん……でも、看護婦の一人が霊障じゃないかって言うとる。君たちも何かあったらすぐ逃げられるよう準備しておきや。」
医者が息を整えながら病室のドアへ向かう。
「ほな、わしは他の患者も見て回るから、何かあったらすぐ知らせてや。」
「はい、田辺先生……。」
ドアが閉まると、室内に重い静寂が訪れる。
奈々はぬいぐるみをぎゅっと抱きしめたまま、動かない。
莉乃が不安げに紗月の顔を見つめた。
「……霊障…?ホンマやろか……。」
一拍置いて、手元に目を落としながら続けた。
「……ちょっと、テレビつけてみるわ。なんかやっとるんちゃう?」
「うん、何か情報が出てるかも……。」
紗月がリモコンを操作すると、画面がパッと点灯し、いつもと違う緊張感を含んだ緊急放送が映し出された———。
———「緊急速報です。ただ今、京都市内において大規模霊障が発生しているとの報告がありました。」———
アナウンサーの緊迫した声が流れ始める。
———「京都府警・霊障課の発表によりますと、現在、霊的な影響により市内各地で市民の混乱が発生しています。皆様、以下の指示に従って安全を確保してください。」———
画面には赤いテロップが点滅し、白い文字で具体的な指示が表示される———。
「えっ、これ……なんなん?ホンマに霊障なん……?」
紗月が目を丸くしてつぶやく横で、莉乃のスマホが突然けたたましく鳴り出した。
———「緊急速報:京都市内で霊障発生。現在、混乱が拡大中」———
莉乃がスマホを手に取り、通知を確認すると、SNS上で投稿された混乱の様子が次々と表示される。
「ね、ねぇ紗月お姉ちゃん……ほら、『錦市場』とか、『京都駅』でも暴れてる人がたくさんいるって!」
スマホの画面には、横転した車や、暴れ回る人々の動画が映し出されている。
「これ、思ったよりヤバいんちゃう……。」
———「……現在、霊障の原因については特定されておりません。」———
○
錦市場は、いつものように観光客と地元の買い物客で賑わっていた。
松吉屋の店先では、松吉が忙しそうに商品を並べ直しながら客に声をかけている。
「いらっしゃい!今日は干し椎茸がええよ~!出汁が濃いで!」
そんな平和な光景も、突如として崩れ去る。
———「バァンッ!!」———
乾物屋の隣の商店から激しい音が響き、ガラスが割れる音が市場全体にこだました。
「なんや、今の音……?」
松吉が目を向けると、商店街の中ほどで数人の客と店員が大声で言い争いをしているのが見えた。
「これは俺のやぁ!離さんかい!」
「おい!何するんや!?店のもん勝手に持っていくなや!」
近くの店でも、客が商品を床に叩きつけたり、店員と取っ組み合いを始めている。
「おいおい、なんやこれ……!?お前ら、やめぇ!」
松吉が慌てて声を張り上げるが、暴れる人々はまるで聞こえていないかのように動きを止めない。
「俺の頭に声が聞こえるんや!」
「全部俺のもんや!誰にも渡せへん!」
市場全体が混乱に飲み込まれる中———
———「ゴォオッ……!!」———
近くから火の手が上がり、煙が立ち上り始めた。
それは、松吉屋の隣の店からだった。
——「なんやて!?火事やとぉ!?」
松吉が店を飛び出し、消火器を取りに走ろうとする。しかし、その時、煙の中から現れた男が苦しそうに胸を押さえながらよろめき出てきた。
「燃えろ!全部燃えて……消えてなくなっちまえ!!」
その男は松吉の前に倒れ込み、そのまま大声で叫び始めた。
まるで霊に取り憑かれたようなその様子に、松吉は凍りつく。
「おい、しっかりせぇ!どうしたんや!」
「うぁああー!あぃいいいー!!」
だが、その男は意味不明な言葉を叫び、地面を叩きつけるように拳を振り回している。
松吉が目を見開いて動けずにいると、背後から聞き慣れた女性の声が響いた。
「松吉さん!!」
「春江さん……!?」
そこに立っていたのは、偶然買い物に訪れていた橘家の世話役、水尾春江の姿だった。
次の瞬間———
———「ドォンッ!!」———
松吉屋の店先に火が回り、袋に詰められた乾物が一気に燃え広がり始めた。
「松吉さん!中の人!!」
春江の叫び声に、松吉はついに我に返り、奥の従業員たちに向かって叫ぶ。
「お前ら!すぐ逃げろ!!」
従業員たちが慌てて店を飛び出す中、松吉は目の前で炎に包まれていく自分の店を見つめ、拳を握りしめた。
「ワシの……松吉屋が……!!」
「松吉さん、今は逃げるしかないわよ!」
「でも、わしの店が……!」
「命あっての商売よ!急いで!」
春江が必死に説得すると、松吉は悔しそうに唇を噛み締めながら頷き、炎から離れた。
暴れる人々の怒声、逃げ惑う人々の悲鳴、そして火災の煙が空を覆い尽くす——。
———錦市場は、地獄絵図と化していた。
○
———騒乱の続く京都駅構内。
霊障対策課の三人は、暴れ回る錯乱者たちをなんとか抑えようと必死だった。
「龍二!そのスタンガン、早よ使え!」
大村が怒鳴りながら叫ぶ。
「は、はいっ!班長!」
龍二は背中から取り出した自作の妖用スタンガンを手に取り、焦りながらスイッチを入れる。
———「バチバチッ!」———
スタンガンから派手な火花が飛び散り、青白い電流が音を立てた。
龍二はその場で暴れている男に向けてスタンガンを押し当てる。
「くらえ……妖用スタンガンMk-III!」
———「バチィィィッッッ!」———
スタンガンが爆発したように大きな音を立て、男がその場で吹き飛んだ。
周囲の人々が一瞬凍りつき、倒れた男からはうっすらと煙が立ち上っている。
「ちょ、ちょっと龍二!あんた、殺す気なの!?」
「な、なんで?!妖用に作って、人に効きは弱いはずなのに?!」
「人間にもバッチリ効いてるじゃないの!!」
「…そ、想定外です!」
「なんでもええから、暴れてる奴を動けんようにせぇ!」
「わ、分かりました!電圧を下げます!それなら問題ないはずです!」
龍二はスタンガンのスイッチを操作しながら呟く。
「えーっと、こっちをこうして……電圧を低くして……これでいけるはず!」
龍二は自らスタンガンを手に取り、確認するように自分の腕に当てた。
———「バチィィィッッッ!」———
激しい電流が龍二を襲い、その場で飛び跳ねる。
——「ぎゃあああああああっ!!!」——
———バタンっ
電流が止まると同時に、龍二は真っ黒焦げになりながら地面に倒れ込んだ。
「……問、問題ないです……!」
龍二はよろよろと立ち上がり、煤で真っ黒になった顔で必死に笑う。
「問題あるわ!!!」
「バカもん!お前が倒れてどうするんや!」
「で、でも、威力を調整しましたから!これで大丈夫です!」
龍二が再びスタンガンを手に取り、暴れている錯乱者に向けて突進していく。
「はぁ、本当に大丈夫なのかしら……」
志穂はため息をつきながら、暴徒の方を警戒する。
京都駅構内は、依然として混乱の渦中にあった———。




