阻まれた呪願
「彩花様も早く!」
紗月に手を引かれた莉乃が外へと飛び出す。そして、裂け目の向こうに残った彩花が足を踏み出そうとした。
———その瞬間だった。
「あら、どこにいくのかしら?」
妖狐の葛葉が扇を一振りして彩花の前に立ちふさがった。
「彩花様ぁ!!」
——強い腕が紗月の肩を掴んだ。
「馬鹿野郎!入ったら出れなくなるぞ!」
紗月は必死にもがき、賢治の手を振りほどこうとする。
「でも、彩花様が! 彩花様が……!」
「紗月、私は大丈夫だから……! 兄さんと莉乃をお願い!」
「彩花様!!」
紗月の叫びも届かない。裂け目が一気に閉じ始め、彩花の姿が見えなくなっていく。
———「彩花様ぁぁぁ!!」———
——裂け目が完全に閉じ、静寂が戻る。
「彩花様……」
——紅子たちが駆け寄ってきて、声を荒げた。
「賢治!説明してよ!一体どうなってるの!?」
「後だ!今は話してる余裕なんかねぇ!」
賢治は鬼切丸を握り締めながら、短く言い放つ。
「ここじゃ場所が悪い、まずは移動だ!」
「もう、場所が悪いって、何よ!? もう何が何だか——」
「アハハハハ!まだ終わらねぇぞォ! 鬼がいるなら早く斬らせろ、裂かせろォ! イーッヒィヒヒ!」
刀身が異様に光を放ち、賢治の手の中で暴れ出す。
「くそっ、黙れ! おとなしくしろ! テンション上がり過ぎだっつうの!」
「黙れだとォ!? お前は俺を振るうためにいるんだ! おとなしくしろだぁ? 笑わせるなァ!」
「……やかましい! 言うことを聞け!」
賢治はジャケットの内側にある封印場所へと刀を押し込もうとする。
「アーハハハハ!? お前に俺が止められるもんかァ! やれるもんならやってみろォオ!」
鬼切丸の声がますます狂気じみ、刀身から霊気の刃が四方八方へ飛び散る。
周囲の地面に鋭い切り傷が次々と刻まれ、飛び散る霊気は鋭い音を立てて宙を裂いた。
——ギィィィンッ! ギシャァァ!
大野優希はその異様な光景に思わず後退し、賢治の手元を恐る恐る見つめた。
「な、なんなんだ…あの刀……!」
隣では、賀茂千紘が吐き気を堪えるように鼻をつまんだ。
「うえッ、何これぇ……めっちゃ気持ち悪いし……ねぇ、近くに来ないでくんない?」
そして、霊気の刃と共に、刀から漏れ出すのは断ち切られた鬼たちの怨念だった。
「うぅぅ……助けてぇぇ……」
「痛ぇぇぇ……!」
「呪うぞ……お前を呪ってやるぅ……!」
——優希は耳を塞ぎながらしゃがみ込んだ。
「うわぁ……やめてくれ……! これ、聞きたくねぇ……!」
「ハァ……マジで無理。こういうのホント無理なんだけどぉ……てか、賢治さん、何やってんの…? 空気めっちゃ最悪なんだけどぉ」
賢治は暴れる鬼切丸を抑えつけながら、歯を食いしばるように叫ぶ。
「……クソッ、うるせぇ! いい加減黙りやがれ!」
「黙れだとォ!? この声が聞こえるか! 俺を振るうたび、切られた鬼どもが叫び続けてんだよォ! お前も一緒に楽しめってよォ!」
刀身から漏れる怨念がまるで黒い霧のように渦を巻き、賢治の手元を包む。
「おい、お前たち! 近づくな!」
振り返りざまに叫ぶ賢治の声が、紅子たちの緊張をさらに引き締めた。
「アァァァァッハハハ! 俺を止める? やれるもんならやってみろォ! この刃でお前ごと斬り裂いてやる!!」
「……チッ、手間かけさせやがって……!」
賢治は顔を歪めながら片手で印を結び、もう片方で暴れる刀を押さえ込む。
「封印術式——結! 今すぐ大人しくなりやがれ!」
——ギィィィィンッ!!——
「やめろォォォ! 斬らせろォォ!!」
断末魔のような鬼切丸の叫び声が響き渡り、最後には封印の光が刀を包み込み、徐々に静かになっていった。
「……ふぅ……これで今夜は終わりだ」
賢治は封印札に収まった刀をジャケットの内側に押し込むと、振り返りもせず紅子たちに短く命じた。
「さっさと移動するぞ。説明はその後だ……!」
優希は、目の前で繰り広げられた異様な光景に動揺しつつも、黙って賢治の後に続くしかなかった。
***
葛葉はわざとらしく涙を拭う仕草をしながら、彩花に声をかけた。
「あらあら、置いていかれてしまって、かわいそうに。大丈夫よ、私が慰めてあげるわ」
彩花はその言葉に、怒りと侮蔑を込めてキッと睨みつける。
「どの口が言うの? あなたなんかに心配される筋合いはないわ。自分の心配でもしたら? どうせ、討伐されるだけなのに」
「ふふ、随分強気ね。でも……他人なんかに期待しても無駄よ。最後にはみんな、あなたを裏切るんだから」
「私たちはそんな関係じゃないわ。『人間同士』、信じ合って生きてるのよ。あなたみたいな『化け物』とは違う」
『人間同士』、『化け物』の言葉に葛葉は少し表情を曇らせたが、手にしていた扇を軽く振ると、檻のような結界が立ち上がり、彩花を閉じ込めた。
「ふふ、信じ合ってる? それなら、そこで見守ってみたらどう? その美しい絆とやらが、どれだけ持つのか」
「そんなこと言っても、莉乃は助かったわ。あなたたちの計画は失敗よ!」
「あら、そうかしら? 贄が貴方たちだけとは限らないわよ」
葛葉は周囲を見回すようにしてから、暗闇に向かって呼びかけた。
「もういるんでしょ。さあ、出てきなさい」
暗闇の中から影が動き出す。そして、一体、また一体と異形の妖が姿を現した。
鵺が地を這うように現れ、その背中には般若が乗り、鞍馬天狗が漆黒の翼を広げて舞い降りた。
だが、彩花の目を驚愕させたのは、鵺の背中に横たわる二人の少女だった。どちらも意識を失ったまま、無防備な状態でいる。
「……山城さん、大宮さん……なんで、ここに……?」
二人とも彩花の通う京都帝院学園のクラスメイトであり、意識を失ったまま鵺の背に乗せられていた。
「どうして……どうしてあなたたちが……!」
彩花の声に、葛葉は静かに答える。
「あら、ごめんなさい。あなたの知り合いだったのね。わざとじゃないのよ」
「おい、葛葉、これはどういうことだ? さっき結界が裂ける音がしたと思ったら、一人減ってるじゃないか!」
忌々しそうな声で問いただしながら、般若は葛葉を睨みつけた。
「ふふ、贄のことかしら?」
「ああ、まさか……お前、何かやらかしてないだろうな? 人間と夫婦だった奴は信用できん」
鵺が鋭い声を上げ、肩の羽を震わせながら葛葉を疑う。
葛葉は一瞬、表情を曇らせた。
「そんなことするわけないでしょ? 陰陽師がここに来たのよ」
「……それより気になるのは夜叉王様だ。なぜ祭壇の前で立ち尽くしておられる……? 何があった?」
鞍馬天狗が鋭い目を夜叉王に向ける。
「そうだ……一体、何が――」
「……黙れ」
夜叉王の短い一言に込められた威圧感が、その場に緊張を走らせる。
「……まさか、あの娘にやられるとは思わなかった。白鴉が教えた…? 計画を急ぐべきだったか……いや、今更何を言っても遅いな」
「夜叉王様、黄泉比良坂は……どうなさるのですか? 神降ろしの酒がなければ……」
「……そうだな。神降ろしの酒がなければ、『高天原』から降りた神をもてなすことが出来ん」
「では……」
「新たな酒を作るには、少なくとも一年はかかるだろう」
「そ、そんな……」
「だが葛葉、このまま手をこまねいてやられるのも癪だな。不完全な器で神を降ろせばどうなるか……お前も分かっているだろう?」
葛葉はハッと息を呑む。
「暴走……ですか……?」
「そうだ。神の力は器が不完全であれば、制御を失う。力が暴走すれば、京の街ひとつぐらい壊滅させるには十分だろう」
夜叉王は酒の跡が残る祭壇をじっと見つめていた。
「黄泉比良坂を開き、主の願いを叶えるつもりだった……だが、たった一人の娘に計画を阻まれるとはな……」
「だが、やむを得ぬ。今回は京の街を代償とするだけに留めておこう。陰陽師どもに、抗う術なき運命を見せつけるのも悪くなかろう」
葛葉は夜叉王に向けて軽く頭を下げ、静かに答えた。
「……それもまた、意味のあることかと存じます……」
「贄はすでに揃っている。準備を進めよ」
ふいに、夜叉王は再び祭壇に視線を向けた。
「……しかし、白鴉と共にある、あの娘…いったい何者なのだ……」
その声は、全ての妖たちを沈黙させた。




