異能と消えない棘
蓮華院家を出た紅子たち三人は、一度ホテルに戻って装備を整え、それぞれが短い休息を過ごした後、紗月が待つ橘東家へと向かった。
橘東家に到着した紅子は、まず宗近に蓮華院家との会談内容を報告するため、一人で奥の間に向かった。
そして、紅子が報告を終えて客間に戻ると、そこには浮かない顔の紗月がいた。
「はぁあああ……」
紗月のため息が、橘東家の客間に重く響いた。
「悠希、どうしたの?」
紅子が軽く声をかけると、悠希が気まずそうに振り返り、頭をかく。
「あ、紅子さん……実は、紗月ちゃんが式神の練習してたらしいんですけど……」
「練習?」
「はい。でも、全然呼び出せなかったみたいで……それで、ちょっと落ち込んでるんです」
「そう……式神を呼べなくて落ち込んでるのね」
紅子は紗月に近づき、優しく声をかける。
「紗月ちゃん、気にしなくていいわよ。式神の召喚なんて、すぐにできるものじゃないんだから」
「そうやろか……?」
(……ちっちゃいおじいちゃんと、式神はなにがちがうんやろ……井戸と雷の神様、言うとったけど……)
「紗月ちゃん、誰だって最初は失敗するものよ。悠希だって、最初は簡単じゃなかったでしょ?」
「はい、俺も呼べるようになるまで結構時間がかかりましたよ。だから、紗月ちゃんも焦らずゆっくりやればいいんです」
清雅が横で指差しながらアピールする。
(紗月、心配するな! ここにもう相棒はいるだろ! ここに!!)
「はぁあ……」
「じゃあさ、次のチャンスがあったら一緒に練習しましょう悠希も手伝ってあげたらいいじゃない」
「もちろん。紗月ちゃん、俺で良ければいつでも手伝いますよ。一緒にやりましょう!」
「……うん。ありがとう……」
少し元気を取り戻した紗月が笑みを浮かべたその瞬間———。
紗月と悠希の間に、クマのぬいぐるみを抱えた奈々が無表情で割り込んでくる。
「……奈々も」
「うわぁ! だ、誰っ!?」
悠希は後ずさりしながら驚いた顔で叫ぶ。
「あ、言うてなかったな。この子、橘東奈々ちゃん。ここの家の子で、中学生やで」
「い、いつ来たの!?」
「……ずっといた」
奈々が淡々と答えると、悠希は更に驚きの表情を浮かべる。
「え、えぇ……全然気づかなかった……」
紗月が奈々に視線を向けながら微笑む。
「ハハ、奈々ちゃんと一緒に術の練習しとったんよ。ほんま、今日はありがとうな。また練習しよ」
奈々は小さく頷き、クマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。
「それじゃあ、奈々ちゃん、またね、うち行くわ」
奈々は無言で頷き、襖を開けて客間を出ていった紗月達を見つめたまま、小さな声でぽつりと呟く。
「……紗月お姉様……神」
客間を出た紅子は、悠希にちらりと視線を向けた。
「あの子、異能持ちね」
「えっ、異能者ってことですか?」
悠希は目を丸くして驚く。紅子は頷きながら続けた。
「そうよ。ずっと目の前にいたのに、あの子が声を出すまで、私も悠希もあの子の存在にまったく気づかなかったのよ」
「た、たしかに……俺、全然気づかなかったです。影が薄いとかいうレベルじゃなかったですよね」
「そういうこと。奈々ちゃんの場合は、気配を完全に消す能力。異能者の中でも珍しいわね」
「俺、異能者に初めて会いました。なんか、普通の子と変わりませんね……」
紅子は歩みを進めながら、簡潔に説明を加えた。
「異能者は、術や呪文じゃなく、生まれつきの能力を持っているの。火を操る人もいれば、物を消す人もいる。その能力が良い方向に使われることもあれば、危険視されることもあるわ」
「なるほど……あの子、陰陽師なんですよね? それで異能持ちなんて、結構珍しいんじゃないですか?」
「ええ、術と異能をうまく組み合わせれば、かなり有望になるわ。後で凛にも伝えておこうかしら。将来が楽しみね」
紅子が何かを思い出したように顔を上げた。
「そういえば、千紘はどこ行ったの?」
「あ、はい、さっき雅彦さんに呼び止められてました」
その言葉に、廊下の奥から聞こえてきた怒声が重なる。
「なんでだ! なんで陰陽師でもない役立たずを連れて行って、俺はダメなんだ!」
その声に紗月がビクッと身体を震わせる。
「何かしら……随分と荒れてる声ね」
「知らないし、千紘に言わないでくんない」
淡々とした千紘の返事が続く中、雅彦の怒りは収まらず、さらに声を張り上げた。
「あんた、日本に九人しかいない特級陰陽師なんだろ! どっちが戦力になるかなんて、あんたならわかるはずだ!」
「……だから、知らないし」
「ふざけるなっ!」
雅彦はその態度に苛立ちを隠せない様子で声を荒げる。
———紅子がその間に割って入った。
「ねえ、役立たずって紗月ちゃんのこと?」
「そうだ。それがどうした?」
紅子は一瞬だけ冷たい目をして、ため息混じりに続けた。
「橘家のことに口を出すつもりはなかったけど、もうやめた。はっきり言うわ。単純にあなたより、紗月ちゃんのほうが役に立つと思ったからよ」
雅彦の表情がみるみる赤くなり、怒声が部屋に響く。
「ふざけるな! 陰陽師でもない紗月と、陰陽師協会入りも決まって二級の資格もある俺が、紗月より役に立たないだと!?」
「ええ、そうよ。実際、昨晩の襲撃でも、ちゃんと倒したかも確認しないで、油断したせいであっという間に戦力外になったじゃない」
雅彦は拳を握りしめ、声をさらに荒げる。
「アンタが相手してた鬼が、こっちに仕掛けて来るとわかってればやられなかった!」
「だったら、最初からあの鬼はあなたに任せても良いかしら?」
「まかせろ! 最初からそのつもりだ!」
「いいわ。その代わり、言い訳は一切聞かないからね」
言い訳を許さないという紅子の言葉が、子供の頃に雅彦が感じた圧力を思い出させた———
——雅彦が6歳の頃、橘家の屋敷はどこか冷たい空気に包まれていた。祖父・宗重の病が重くなる中、雅彦は必死に修行に励んでいた。
ある日、宗重の寝室に呼ばれた雅彦は、祖父の冷たい視線に震えた。
「……なんで、こんな出来損ないが本家に生まれたんだ」
その言葉に、雅彦は言葉を失った。
「橘北家には紗月がいるのに……」
宗重の目は、まるで雅彦を見ていないかのようだった。その代わり、彼の口から出るのは、まだ赤子の紗月への賞賛ばかり。
「紗月が本家に生まれていれば、橘家は安泰だった。お前のような無能ではなくな」
夜、ひとり修行を続けた雅彦は、涙がこぼれそうになるのを必死に堪えた。
(何をしても意味がない……どうせ、僕なんて……)
宗重が亡くなった時、雅彦は祖父の冷たい言葉を思い出していた。葬儀中、誰も気づかないように、小さな声で呟く。
「……紗月がいなければ……認めてもらえたんだろうか」
宗重の死後も、父・宗近からの厳しい修行は続いた。宗重に認めてもらえなかった過去を埋めるように、雅彦は努力し続けるが、父の目にも期待の色はない。
「……雅彦、お前は跡取りなんだ。もっと、しっかりしろ」
何度そう叱られたか数えきれない。周囲の期待と比較され続けた少年は、次第に心を閉ざし、自分を守るために「冷徹さ」という鎧を纏うようになった。
(爺さんだけじゃない。コイツらまで俺より紗月だと……なんでなんだ……!)
「紗月ちゃんのほうが役に立つ」——その一言が、まるで祖父の声のように雅彦の心を切り裂いた。
(だったら俺が……橘家に生まれた意味なんてあるのか……!?)
今でも、紗月を見るたび、雅彦の心に祖父の冷たい言葉が蘇る。
———「紗月が本家に生まれてさえいれば」
彼の胸に突き刺さった棘は、まだ抜けていないのだ。




