轟く雷鳴
「奈々ちゃん、おる?」
紗月が朝まで寝ていた奈々の部屋の扉を開けると、奈々は紗月の寝ていた枕に顔を埋めていた。
「えーっと、奈々ちゃん起きてる?それとも、まだ寝るん?」
紗月が不思議そうに尋ねると、奈々は無表情のままゆっくりと顔を上げた。
「寝ない。もう充電は終わった」
「え?……充電って、何のこと?」
紗月は首を傾げながら聞き返したが、奈々はさらりと話題を変える。
「それで、何の用?」
「あ、近くで陰陽術の練習ができる場所、知らへん?」
「裏山に練習場がある」
「ほんま!? そこで術の練習してもええかな?」
「大丈夫。奈々も見に行っていい?」
「もちろん!一緒に行こうや!」
***
紗月は紅子との会話を思い返しながら、術の練習ができるという裏山の雑木林へ向かっていた。
夏の日差しが強くなり始めた昼前、蝉の鳴き声が高らかに響く中、紗月は額に浮かぶ汗を手の甲で拭った。
「紗月ちゃん、私たち、これから蓮華院家に話を聞きに行くから、夜になったら鞍馬山に一緒に行ってもらえる?」
紅子の言葉が頭の中でよみがえる。
「うちは構いまへんけど……」
紗月はちらりと宗近を確認するが、目を合わせることはなかった。
「大丈夫よ、橘の当主様には許可を取っておいたから」
「あ、はい……」
「それにね、悠希に聞いたわ。紗月ちゃん、陰陽師になってみんなを助けたいんでしょ?」
「……はい……うちなんかまだなんも役に立たへんけど……」
紗月の声は弱々しかったが、紅子は微笑んだ。
「大丈夫よ。紗月ちゃん、才能あるから。私の感を信じなさい」
「えっ、ほんまですか……?」
「出来たら夜までに、何か一つでも役に立つ術を覚えてくれたら助かるわ。ねえ!」
紅子は紗月を見ているようで、実際にはその視線は辺りを彷徨っていた。
そのやりとりを思い出すと、紗月の足取りは少しだけ速くなった。
(なんか役に立つ術か………)
奈々がクマのぬいぐるみを抱いて、数歩後ろをついてきている。無表情のまま紗月の背中を見つめているが、特に何も言わない。
「奈々ちゃんも、何か術とかやったりするん?」
紗月は振り返りざまに尋ねた。
「する……」
「そっか……奈々ちゃん、凄いなぁ、あとでうちにも教えてくれへん?」
奈々は小さく頷いた。
(紅子さん、ほんまにうちに才能あるとか言うてたけど……ほんまなんやろか…。清雅は練習する言うたら、なんかめっちゃ楽しそうにしてるけど……)
前方に見えてきたのは、背の高い木々が密集する雑木林。その入口には、苔むした六芒星が刻まれた石が静かに佇んでいた。
「ここが練習できる場所なん?」
紗月が奈々に尋ねると、奈々は無表情のまま静かに頷いた。
(へー、六芒封陣の結界じゃないか、紗月。これなら思いっきり術をぶっ放せるなー!)
(清雅、急に喋らんといてや。びっくりするやん)
(はは、悪い悪い。まぁ、ここならド派手にやってもバレないでしょ?ドカンと一発派手なのいく?)
(ド派手な術なんかいらへんわ!うち、真剣にやるんやから!みんなの役に立つ術教えてや!)
(はいはい、大丈夫、大丈夫。大船に乗ったつもりで、俺に任せなさいって!)
紗月は前を見ると、清雅が鼻からフンフンと息を吐き出し、腰に手を当てたまま得意げにステップを踏んでいる。
(ダメや……清雅は泥舟や……全然当てにならん……ほんま、どこからその余裕が出てくるんや……頭痛なってくるわ……)
紗月は額に手を当て、呆れ半分、諦め半分の表情で清雅を見やった。
「なあ、奈々ちゃんの術、ちょっと見せてもらってもええ?」
奈々は無表情のまま、小さく頷くと、手に持っていたクマのぬいぐるみをそっと空へ投げた。
「———天つ霊、地つ力、五行の理に従いて――我が声に応えよ!」
奈々が投げたクマのぬいぐるみは、空中でふわりと止まり、柔らかな光に包まれ始めた。
ぬいぐるみの姿がほんのわずかに変わり、編笠と黒いマントがその体に現れる。
「術式、成功……」
奈々が静かに呟くと、ぬいぐるみは軽やかに宙を一回転し、地面に降り立った。
———「お控えなすって!」
ぬいぐるみが短い腕を差し出しながら、前で広げながら低く一礼する。その仕草は、まるで時代劇の侠客のようだった。
「手前ぁ、森の石松。仁義と礼儀を命に代えても貫くぬいぐるみでございます!」
小さな編笠の下から、真っ直ぐなボタンの目が紗月を見据える。その口調は妙に渋く、低い声が響き渡る。
「姉さん、初対面の礼儀として、まずは仁義を切らせてもらいやす!」
クマのぬいぐるみの体が前後に小さく揺れながら、両手をゆっくりと広げた。
「手間ぁ、森の石松は、奈々姉さんに忠誠を誓う身でございます。たとえこの身が破れても、綿が飛び出しても守り抜く覚悟でございます!」
「……え、えっと、これ……奈々ちゃんが召喚したん?」
「森の石松。ぬいぐるみを媒介にした召喚術。護衛と戦闘が主な役割」
「奈々姉さん! 何でも言いつけてくだせぇ!」
クマのぬいぐるみが、ポンポンと胸を叩くように前足を動かす。その仕草に、紗月は呆れるよりも笑みがこぼれた。
(なんやこれ……可愛いやん……)
(へぇ、紗月、良いじゃないか! 俺も一匹ほしいくらいだね!)
(なんや一匹って……清雅、ほんま余計なこと言わんでええねん。これは、奈々ちゃんのや)
「石松、紗月お姉ちゃんの補佐も可能」
「え、ええの?……でも奈々ちゃんを守る大事な術やろ?」
「問題ない」
奈々の言葉を受け、石松が再び仁義を切る。
「では改めて、これからよろしくお願いしやす、紗月の姉さん!」
「はは……よろしく……」
その場の雰囲気に押されながらも、紗月は曖昧な笑みを浮かべる。
「紗月お姉ちゃん、奈々が簡単な詠唱教える?」
奈々が無表情のまま提案すると、紗月は横目で清雅を見る。清雅は期待に満ちた目で、「俺に任せろ」と全身でアピールしている。
「……えーと、とりあえず、一回自分でやってみるわ」
(それで、清雅、何教えてくれるん?)
(よしっ! 任せなさい。雷神を呼ぶよ。紗月にしかできない特別な術だ)
(雷神? ホンマかいな……うちができるんやったら、誰でもできるんちゃう?)
(いやいや、これは紗月だからこそできる術なんだって! ちょっと詠唱が長いけど大丈夫、俺の後に真似して言えばいいだけだからさ)
清雅は紗月の前で得意げに胸を張り、指を動かしてみせた。
(紗月、まずは指、こんな感じで。はい、親指と中指を合わせて……そうそう。これで『雷』の印が結べる)
(こんなんでええんかいな……)
(よーし、そのまま!じゃあ、いよいよ詠唱だ。俺が言うから、そのまま真似してね)
紗月は深呼吸をして、清雅の声に耳を傾けた。
「——天つ神々よ、大地の守り手よ」
「——雷鳴の鼓動を響かせ、闇を裂け」
「——八百万の理を司る御霊よ」
「——この地に降臨し、御力を示したまえ」
清雅が言うたびに、紗月はその言葉を口に出していく。そして体の奥から何かがごっそりと抜けていく感覚がした。
———空が暗くなり、遠くで雷鳴が低く響く。
「——稲妻の剣を振るい、邪を祓い給え!」
「——雷神、ここに現れ、この身を助けたまえ!」
上空に黒い雲が急速に集まり、鋭い閃光が空を裂く。
「——ドォォン!」
轟音とともに、雷が地上に落ちた。
しかし、その雷鳴が収まると同時に、目の前に現れたのは、なんとも親しみやすそうな老人だった。
小さな体に雷模様の入った頭巾をかぶり、手にはひしゃくを持っている。
「——よぉ、井雷だぞい!」
「……え、えっと……あんた、ほんまに雷の神様なん?」
「おうともさ! 井戸を守る雷の神よ。汝、わしを呼んだ巫女か?」
紗月はその答えに目をパチパチさせる。
(……どこが雷神やねん!? ちっちゃいおじいちゃんやん!)
井雷はどっこいしょと、腰を伸ばしながら、堂々と名乗りを上げた。
「雷を操る名代として、井戸水とともにこの地を守る神ぞい! さぁ、わしに何を頼む?」
紗月はその姿に唖然としながら、隣を見ると清雅が満足げに頷いていた。
(あかん……これはあかんやつや……)
井雷は腰を叩きながら、意気揚々と続けた。
「困ったら、どんなことでも水と雷で解決してみせるぞい!」
「……ほんまに?」
「おうともさ! 井戸水さえあればな!」
「……えーと、井戸水ないし、帰って大丈夫です」
「……また呼んでくれや、巫女どの」
すると、井雷の体は雷光とともに消え去り、辺りはまるで何事もなかったかのように静寂に戻った。
「さ、さ、紗月、お姉ちゃん……今の何?」
奈々が焦りながら尋ねる。
「さ、さあ、なんやろなぁ……?」




