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黄泉の扉

——紗月は静かに息を飲んだ。


千紘が流れるような動作で次々と術式を繰り出す姿は、紗月にはまるで物語の一場面のように映った。


「『虚空星座』、スタートっと。」


霊符が淡い光を放ち、天井に広がる。

まるで夜空そのものを再現するかのように無数の星々が瞬き始めた。


天井いっぱいに映し出された星空は息を呑むほど美しく、紗月は無意識のうちに目を奪われていた。


「……『星影照応』!…確定っと。」


千紘がもう一度軽やかに指を動かすと、星々が一斉に輝きを強めた。


北北西を中心に星の軌跡が収束し、一点に集中する。その中心には、異様に輝く光点――『冥府の光点』が浮かび上がった。


その場にいた全員が息を呑む中、千紘は全く動じることなく、淡々と術式を完成させる。


星の光が部屋の隅々まで届き、広間全体が柔らかな光に包まれる中、紗月は呆然とその光景を見つめていた。


(すごい……こんなことができるやなんて……これが、特級陰陽師……。)


同じくらいの歳の千紘が、何の迷いもなく術式を操る姿。その姿は紗月の胸に強い感動を呼び起こした。


(うちも、いつかこんなふうになりたい……。)


紗月はふと自分の手を見下ろした。


その手は何の力も宿していない。陰陽師になると決意したけれど、今の自分には陰陽師らしいことは何一つできていない。


言われた通り霊力を使っただけで、式神も、術式も、自分の意思で何かをやったことは一度もない。


(うち……こんなすごい術式、一生使える気せえへん……せやけど、うちはうちや。)


千紘が術式を終えて、満足そうに霊符を片付ける姿を見つめながら、紗月の心にふっと灯るものがあった。

いつか、自分も千紘みたいに、人の役に立てる陰陽師になりたい――その思いが、はっきりと芽生えた瞬間だった。


(清雅、なんでさっきから、うちの顔見てニヤニヤしとるん?)


(べつにぃー、紗月の顔がコロコロ変わるのが面白かっただけ。)


(コロコロってなんなん!うち、道端の変な石ころかなんかやと思っとるん?)


(プッ、そう言われると、ほんとに石ころに見えてきた。)


(もう、後で覚えとき!)



———紅子は静かに宗近に問いかけた。


「橘家の方々には、『扉』について心当たりのある方はいらっしゃいますか?」


宗近は一瞬考え込むような表情を浮かべた後、低い声で答えた。


「……実は、心当たりがある。」


宗近はゆっくりと口を開き、語り始めた。


「昨晩の七星会での会合のことだ。蓮花院れんげいん家の当主、蓮花院 朔馬れんげいんさくまが、もし封印石から出てきた男が本当に夜叉王であれば、平安時代、京に黄泉の群勢を招き入れた元陰陽師だと言っていた。」


(夜叉王……あの石碑から出てきた怖い男の人がそんな存在やったなんて……うちには想像もつかへん……。)


「蓮花院家……ですか……。」


紅子が眉をひそめながら小さく呟いた。


「たしか、蓮花院家は現世に霊障や妖が流入するのを防ぐ『門守』の一族でしたね。」


宗近は静かに頷く。


「そうだ。蓮花院家は、明治以前まで朝廷から『黄泉の理』という特殊な役目を任されていた一族だ。その責務は、現世との境を守ること――妖が現世に溢れないよう、門を監視し、封じる役目を担っていた。」


紅子は宗近の話をじっと聞きながら、顎に手を当てて考え込む。


「となると……蓮花院の当主が『扉』について知っているのかも。あの世とこの世の境に通じる知識を持つ一族……鞍馬山に行く前に話を聞かなければなりませんね。」


「蓮華院家にはこちらから連絡しておこう。」


「しかし、『扉』が本当に黄泉に繋がる扉なんだとしたら……私たちは急いで行動しなければ。」





「彩花お姉ちゃん、見て。今もう9時だよ。おかしいよ、ここ……」


不安げな表情を浮かべながら、莉乃がスマホを差し出してきた。

彩花は一瞬ためらいながらも、スマホの画面を覗き込む。


「……確かに、朝の9時ね。」


スマホに表示された時間は、確かに朝の9時を指している。彩花自身の体感時間とも一致していた。けれど――。


目の前には、満月が夜空に輝き、広大な草原が広がっている。

夜の静けさに包まれた空間は、朝の気配など微塵も感じさせない。


「……気味が悪いわね。」


彩花はスマホから視線を外し、周囲を見渡した。


風に揺れる草がさやさやと音を立てる。だが、その音さえもこの不気味な空間の静寂を強調するだけだった。


草原の中央には、異様な存在感を放つ祭壇が据えられている。

高さは彩花の腰ほどの黒い石で組まれた台座。その上には白布が敷かれ、無数の霊符が張り巡らされていた。


「彩花お姉ちゃん、これ……どういうこと?何か変だよね……」


「……大丈夫よ、莉乃。絶対に帰れる方法を見つけるから。」


二人の周囲には結界が張られていた。透明な壁のようなそれは、まるで見えない檻のように彩花たちの行動範囲を制限している。

彩花は結界の端にそっと手を伸ばしてみた。指先に微かな抵抗を感じる。目に見えない力が、二人を閉じ込めていることは明らかだった。


「彩花お姉ちゃん、これって……」


莉乃が不安げに結界を指差す。


「結界ね。こんなものを張るなんて……私たちをここから出すつもりはないみたい。」


「……ど、どうしよう。ここに閉じ込められたまま、ずっと夜のままで……ぐすっ、い、家に、帰りたい…」


「大丈夫、莉乃。必ずなんとかするから。それに……」


彩花は草原の中央にある祭壇をじっと見つめていた。


月明かりがその台座を照らし、黒い石の表面に刻まれた模様が微かに浮かび上がる。


「……いろんな祭壇を見たことあるけど……これはすごく格式が古い気がする。いったい何のための祭壇なんだろう……。」


そう呟いた瞬間、背後から低く響く声が聞こえてきた。


「これは神の器だ。」


彩花は思わず振り返った。そこに立っていたのは、長い髪を背中に流し、神主のような衣装を纏った男だった。


その姿を見た瞬間、彩花の中に記憶が蘇る――封印石から現れた長髪の男。間違いなく、目の前の人物と同じだ。


「お前らも一人前の陰陽師なのだろう?これを知らないとは……」


男――夜叉王は鋭い目つきで彩花と莉乃を見下ろしていた。


「……あなたは……封印石から出てきた……!」


彼の姿は着物ではなく、白地に黒い縁取りが施された神主の装束を纏い、足元には古風な草履を履いている。手には長い杖のようなものを持ち、その先端には金属で作られた神具が光を反射していた。


「やはり今の時代の陰陽道は衰退しているのか……。」


夜叉王は深くため息をつき、遠くの月を一瞥した。


「嘆かわしいことだな……そう思わないか?」


(陰陽道が衰退……そんなはずない!術式だって進化してるし、詠唱も簡略化されて、術の行使スピードは昔とは比べものにならないって授業で習ったのに……!)


「鬼のくせに、陰陽師の何がわかるのっ!知った口を聞いて、私たちをどうするつもり!」


「そうだな、小娘が言うように、私は鬼だ。しかし、かつては陰陽師でもあったのだよ。」


彼はゆっくりと祭壇に目を向け、まるで懐かしむような口調で続けた。


「過去の話を少しぐらい思い出してもいいだろう?いくら鬼になったとはいえ、かつてこの手で幾多の術式を紡ぎ、陰陽道に尽くしてきた。それを懐かしく思うのは、そんなにおかしいことか?」


男の瞳にはどこか遠い記憶を追いかけるような憂いが浮かんでいた。

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