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北北西への道標

霊障対策課が去り、広間には一瞬の静寂が訪れた。


「悠希、あんたなんであの眼鏡にサインしてるのよ。」


不機嫌そうな紅子の声に、悠希はびくっと肩をすくめた。


「えっ、眼鏡?……あっ、龍二くんのことですか?」


「はぁ?龍二くん?あんた眼鏡といつの間に親しくなってるのよ。」


「アハハ……。」


(なんか、彼は他人のような気がしなかったんだよな……お互い上司に苦労してるというか、俺と似てるというか……)


「でも、なんか嵐のようにやってきて、去っていきましたね。彼ら。」


悠希がぽつりと呟くと、紅子は腕を組んで険しい表情を浮かべた。


「あの大村って奴、諦めてないわよ。絶対執念深いタイプよ。本当に邪魔しないでほしいわ。」


その時、橘宗近がゆっくりと立ち上がり、紅子の方に深々と頭を下げた。


「村瀬さん、今回は本当に助かりました。雅彦や橘の者達を村瀬さんの白龍が癒してくれたと聞きました。霊障対策課の対応までしていただいて…ありがとうございます。」


橘宗近が深く頭を下げながら礼を述べる。


「この件は陰陽師協会が正式に受理していますから、当たり前のことをしたまでです。」


その毅然とした言葉に、宗近は再び感謝の意を込めて頷いた。しかし、悠希の頭には一つの疑問が浮かんでいた。


(そういえば、なんで東京から俺たちが派遣されたんだろう……?京都にも支部があったはずだけど。)


「紅子さん、陰陽師協会って京都支部もありますよね?そっちの陰陽師の方々は来ないんですか?」


その問いを受けた瞬間、紅子の表情がわずかに曇る。


「……あ、す、すみません。変なこと聞きました……。」


悠希が慌てて謝るが、その時、宗近が低い声で口を開いた。


「……現在、京都支部は名前だけが残っている状態です。支部に陰陽師はおりません。」


「えっ……?でも、どうして……?」


「かつて京都支部を率いていた特級陰陽師……神楽坂緑の件がありましてね。その影響で京都支部は事実上、機能しておりません。」


その名前を聞いた瞬間、紅子の様子が変わった。彼女は唇を強く噛みしめ、拳を固く握りしめている。


(……紅子さん、神楽坂緑のこと、知ってるのか……?)


悠希は紅子に声をかけようか迷ったが、その険しい表情に圧倒され、結局何も言えなかった。


一方で宗近は静かな声で続けた。


「それから、当家の彩花と莉乃が攫われました。まずは第一に二人を奪還したい。次に逃げた鬼達の討伐、何か考えはありますか?」


「昨日、封印石を調べたとき、私の占いでは『黄泉』と『北北西』って出たのよ。」


紅子がスマホをいじっている千紘に鋭い視線を向けた。


「……何?」


「……『何?』じゃないでしょう!北北西が示してる意味を突き止めるのが、あんたの役目でしょうが!」


千紘は紅子をちらりと見て、面倒くさそうに目を半分閉じた。


「えー、マジ?めんどくさいんだけど。だいたいさ、星出てないし?朝からとか無理じゃね?」


「……長官に言うわよ。」


その一言で、千紘は一瞬眉をひそめたが、すぐに大きなため息をついてスマホを置いた。


「あーあ、最悪だし。まさか朝から星読みさせられるなんて思わなかったんだけど?ホントだるいわー。」


(……この人、本当にやる気あるのか?)


そう言いながらも、千紘はその場に正座し、手早く霊符を取り出して床に並べ始めた。周囲のざわつきには一切無関心で、あくまで飄々とした態度を崩さない。


「じゃ、サクッとやるから静かにしててよ。術式『虚空星座』、スタートっと。」


彼女が手をかざすと、霊符が淡い光を放ち始めた。その光が広間に広がり、天井に夜空のような星の配置が映し出される。


「これこれ。過去に北北西の空にあった星を再現してるの。で、その運行から黄泉に繋がる真実を探るわけ。」


紅子が興味深そうに見守る中、千紘はやる気なさそうに、けれど手際よく術式を展開していく。


「光の織り成す空、過去と今を結ぶ糸、虚空に散る星々よ、その姿を現し、我に真理を示せ――『星影照応』!」


霊符から放たれた光が天井いっぱいに広がり、無数の星が瞬き始める。その中で北北西の方向に特異な暗い光点が浮かび上がった。


(す、すごい……これが特級陰陽師の力……!)


「あー、やっぱりね。北北西に、黄泉と関係あるかわかんないけど『扉』があるっぽい。」


千紘は指をひょいっと動かし、星座の一角に浮かぶ異様な影を示した。


「これが『冥府の光点』。何かしらの扉が開く場所のサインね。星の角度と位置から見ると……だいたい12キロ先くらいかな。」


そう言うと、千紘はスマホを取り出し、地図アプリを立ち上げた。周囲の緊張感などお構いなしで、指で画面をなぞりながら広間の空気を完全に無視する。


「北北西に進んでっと……ほら、ここね。」


彼女が指で示したのは、スマホの地図に表示された「鞍馬山」という文字だった。


「なんかの扉が開く可能性があるのは鞍馬山の周辺。これで決まりじゃん。」


(何気ない態度に見えるけど、この術式を展開するのにどれだけの力が必要なんだろう……。)


広間がざわめきに包まれる中、宗近が低い声で確認する。


「鞍馬山……確かなのか?」


「確かも何も、星が言ってるんだから確定でしょ。あとは行って見ればわかるじゃん?」


紅子は半分呆れながらも、わずかに満足げな表情で千紘を見た。


「……やるじゃない。少しだけ見直したわ。」


千紘は霊符を片付けながら、いつもの調子で軽く笑った。


「でしょ?これが特級陰陽師の実力ってやつ。さ、あとはみんなで頑張ってねー。」


(この人、本当にすごいのか、ただ面倒くさがりなだけなのか……どっちなんだよ……。)





「………お…姉……ちゃん…起きて、彩花お姉ちゃん!彩花お姉ちゃん!!」


かすかな声が耳元で響き、彩花はゆっくりと瞼を開けた。目の前には、涙目になりながら自分を揺り起こそうとする莉乃の姿があった。


「…り、莉乃…なんで…?」


彩花は頭がぼんやりしていて、自分が今どこにいるのかさえ把握できない。周囲を見渡しても、見覚えのない薄暗い部屋が広がるだけだった。


「や、やっと起きた!彩花お姉ちゃん、ここにどうやって連れてこられたか覚えてないの?」


莉乃の焦った声が耳に飛び込むが、彩花の頭は混乱したままだった。


「た、確か…鬼が来て……兄様が凄くて……えっと……それからどうなったかしら……。」


思い出そうとするが、記憶が霧の中に消えているような感覚が彩花を包む。


「彩花お姉ちゃん、妖狐に連れてこられたんだよ。わかんない?」


「………」


「あら、お目覚めのようね。ゆっくり眠れたかしら?」


そこに現れたのは、妖艶な雰囲気を纏った一人の女性。しかし、頭の狐耳とゆらゆらと揺れる六本の尻尾が、彼女が人間ではないことを物語っていた。


その声に、彩花ははっと息を呑む。そして、ようやく自分が莉乃の言っていた通りに連れてこられたことを理解した。


(そういえば、鬼たちが霊力のある生娘が三人揃ったとか騒いでいたわね……。それで私が……紗月は無事だったのかしら?)


心配が頭をよぎるものの、彩花は冷静を装って返事をする。


「ええ、ゆっくり寝られたわ。最近寝不足だったから、ちょうどよかったの。」


余裕のある口調でそう言い放つと、狐の女性は微笑を浮かべた。


「ふふ、だいぶ余裕があるみたいね。でも、その余裕も明日の夜には消え去ると思うけど。」


その言葉に、彩花の胸がざわつく。


(明日の夜……何があるのかしら?)


狐耳の女性が言葉を続けようとしたその時だった。遠くから荒々しい足音が響き渡り、部屋の奥から鬼童丸が疲れ果てた様子で息を切らしながら姿を現した。


「鬼童丸、もう一人の娘はどうしたの?それに烈火童子は何処にいるの?」


狐耳の女性――妖狐の葛葉が、怪訝そうな顔で問いかける。だが、鬼童丸はその問いには答えず、拳を振り上げると、壁に向かって力任せに殴りつけた。


「ガァァァ!!白鴉めぇぇ!!絶対にぶっ殺す!!」


突然の怒号と物音に、彩花も莉乃も怯んだ。葛葉も一瞬驚き、狐耳をぴくりと動かす。


「はァ?タチの悪い冗談やめてよ、白鴉がこの時代に生きてるわけないでしょ、説明しなさい!!」


葛葉が鬼童丸に詰め寄るが、鬼童丸は怒り狂ったまま、全く話が通じない。拳で結界を叩き続け、声を荒げる。


「白鴉の野郎ォォ!!くそっ!!あいつがまた現れやがった!!烈火童子の奴もやられて……この俺があの白鴉ごときに……!」


「し、白鴉が…?本当にいたの?夜叉王様に知らせないと…」


鬼童丸は荒い息を吐きながら床に拳を叩きつけ、血のように赤い目を見開いたまま吠えるだけだった。


「くそぉ……白鴉の野郎、絶対にぶっ殺す!!」


その光景を見つめながら、彩花は静かに頭を巡らせた。


(白鴉……?烈火童子がやられた……紗月たち、無事でいるってことでいいのよね……?でも、どうやってこんな強そうな奴らを……?)


胸の奥に僅かな希望を抱きながらも、彩花はその場の緊張した空気を見守るしかなかった。


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