陰陽師協会員の特権
(紗月ちゃん、思ったより元気そうだ。よかった。)
悠希は、予想以上に元気そうな紗月の姿を見て胸を撫で下ろした。紗月が軽く会釈すると、悠希も少し照れくさそうに頷き返す。
その視線がふと紗月の反対側に座る人物へと移る。賀茂千紘。この場における異質な存在感を放つ人物だった。
(………。)
千紘は鮮やかなネイルを施した指先でスマホを操作しており、画面に釘付けだ。ときおり、「ピコン!」という効果音が広間に響き、橘家の人々からは冷たい視線が送られる。
(……この人が……特級陰陽師?)
「あー、ヤバ、ミスったわ。」
広間の空気をまるで意に介さず、千紘はゲームに没頭したまま独り言をこぼしている。
(本当に……日本に9人しかいないって言われる特級陰陽師なのか……?)
悠希は信じられない思いで千紘を観察した。髪はきれいに巻かれ、メイクは完璧。耳元には大ぶりのピアスが揺れ、赤いフード付きのパーカーが際立ってカジュアルな印象だ。
「よし、コンボ……あっ、ヤバい、待って、あーもう!」
(………。)
悠希は心の中で複雑な思いが渦巻いていた。
(特級陰陽師って、もっと威厳があるとか、静かな迫力を持ってる人だと思ってたけど……。)
そんな悠希の内心など気にする素振りもなく、千紘はスマホの画面から目を離し、軽くあくびをしながら悠希に目を向けた。
「……何?さっきからジロジロ見てるけど。」
「あ、いや、その……なんでもないです……。」
「なんでもないならチラチラ見ないでくんない。」
「は、はい、すいません……。」
悠希は今朝の出来事を思い出していた。
橘家の屋敷に泊まれなくなったため、紅子とともに急遽、京都市内のホテルに宿泊することになったのだ。特に準備もないまま選んだホテルへの移動は慌ただしく、疲れもあってぐっすり眠れた悠希はようやく落ち着いた気持ちで朝食会場へと向かっていた。
会場に入り、紅子を探して目をやると、彼女の隣に見知らぬ女性が座っていた。皿に山盛りの料理を次々と平らげているその姿に、悠希は一瞬目を疑った。
紅子と目が合うと、彼女は疲れた表情で手招きをしてきた。
「悠希、こっち来なさい。」
近づくと、紅子が隣の女性を指差して紹介した。
「コイツが特級陰陽師の賀茂千紘よ。」
「えっ……」
悠希は驚きのあまり言葉を失った。賀茂千紘は、相変わらず料理を食べるのに夢中で、こちらに気づく気配もない。
「たまたま、ここに泊まってたみたいなのよ。私も見つけた時はびっくりしたわ。しかも、コイツ任務だって知らなくて、『京都に遊びに来ただけ』なんて言ったのよ!」
紅子の語気には怒りと呆れが滲んでいる。その隣で千紘はフォークを手にオムレツを突き刺し、口に運んでいた。
「えっ……そんな……僕たちだけじゃ、またあんな鬼が出たら厳しくないですか……?」
悠希が不安そうに呟くと、紅子は苦笑いしながら続けた。
「だから、凛に電話したのよ。安倍長官に直接話を通してもらったわ。『もし協力しないようならすぐに帰って来い』って、長官にハッキリ千紘に言ってもらったの。」
「そ、それで、どうなったんですか?」
「千紘は明日の夜まで絶対に帰りたくないって、渋々、協力することにしたわ。」
悠希がちらりと千紘を見ると、千紘は山盛りのパンケーキにたっぷりのシロップをかけながら、こちらを気にする素振りもなかった———。
「そろそろ来る時間か…。」
橘宗近が時計を気にしながら呟いた瞬間、廊下からバタバタと慌ただしい足音が近づいてきた。
——バタンッ!
襖が勢いよく開け放たれ、見知らぬ男女三人組が広間に飛び込んできた。
「おお、ええ感じに全員揃っとるやんけ!!」
空気をまったく読まないその声と共に、京都府警霊障対策課の班長、大村が大股で広間の中心まで歩み出てきた。
「京都府警霊障対策課、班長の大村や!橘家の皆さん、今日はよろしく頼むで!」
大村の後ろに控えていた志穂が、少し困ったような笑みを浮かべて頭を下げた。
「すみません、班長がどうしてもって言い張りまして……お邪魔します。今日は少しだけお話を伺えればと。」
最後に現れたのは、巨大な荷物を抱えた結城龍二だった。額に汗を浮かべ、眼鏡がずれかけたまま、おずおずと挨拶する。
「あ、あの……京、京都府警霊障対策課の結城龍二です。どうぞよろしくお願いします……えっと、もし可能でしたら後でサインなんか……!」
(………。)
悠希が隣の紅子に小声で尋ねた。
「紅子さん、なんで京都府警の人たちがここに?」
「昨日、あなたがへばってた間に民間人からの通報で霊障対策課が来たの。で、今日の事情聴取ってわけ。」
紅子は疲れた表情で大村を睨む。
「正直言うけど、これ以上話をややこしくしないでほしいわ。こういう人たちが絡むと、後々面倒なことになるのよね……。」
「そ、そうですよね……でも、なんか押しが強そうな人たちですね……。」
「押しが強いなんてもんじゃないわよ。特にあの班長……とにかくうるさい!!」
宗近が眉間に皺を寄せ、静かに口を開く。
「……大村さん、昨晩、お騒がせしたのは申し訳ないと思いますが、こちらもいろいろ立て込んでいましてね、用件が済んだら早めにお帰りいただけますか?」
宗近の低い声に一瞬場が緊張したが、大村は全く意に介さず、満面の笑みを浮かべながら声を張り上げた。
「いやぁ、妖の襲撃のこと、詳しく話を聞かせてもらうまでは帰れませんなぁ!そんなん見逃すわけにはいかんやろ!」
「……捜査権の濫用にならぬよう気をつけることだ。」
「まぁまぁ、堅いこと言わんといてや。こっちも市民を守る使命があるんや!それでや、橘さん、一体どんな妖の襲撃を受けたんや?」
「ここらで最近よく現れる動物の妖ですよ。こちらはそれに応戦しただけのことです。」
「そんなわけないやろ?雑魚の妖で屋敷が土砂に埋もれるかいな。橘さん、嘘はあかんで。ちゃんと話してくれるまで帰れまへんで?」
「嘘と言われましても、それ以上のことは申し上げられません。」
「ハッハッハ、そないな言い訳で納得するワシちゃうでぇ!昨晩、京都駅の屋上でごっつい妖を見かけたんや。なんか関係あるんやないか?」
その時、大村は視線を広間全体に巡らせ、次の瞬間、千紘に目を留めた。
「……あ、あれ?」
千紘は大村と宗近のやり取りに興味なさそうに、スマホを操作している。
だが、次第に大村の顔が真っ赤になり、目を見開き、口をパクパクと動かし始めた。
「お……おったー!!」
突然、大村は大声を上げ、指を震わせながら千紘を指差した。
「昨日屋上で暴れてた陰陽師やんか!?おい、志穂!龍二!早よパクらんか!逮捕やー!!」
紅子がスッと立ち上がり、大村の言葉を遮るように静かな声で切り出した。
「京都府警霊障対策課の皆さん、まずご挨拶が遅れました。私は陰陽師協会、二級陰陽師の村瀬紅子と申します。そして彼女は特級陰陽師の賀茂千紘です。」
広間が一瞬静まり返り、大村は警戒心を浮かべた目で紅子を見つめた。
「橘家の霊障については、陰陽師協会が正式に要請を受理し、すでに対応を進めています。ですので――」
「――今回の事象は、陰陽師協会員の『特別活動免責権』、『優先出動命令権』、『出頭免除特権』、そして『霊障事件優先調停権』に該当する案件です。」
「……それが何やっちゅうねん。ウチらには捜査権が――」
「いいえ、今回に関しては違います。」
「『特別活動免責権』――これは公務中の陰陽師協会員が行った活動について、法律的な責任を免除される権利です。もちろん、理由があればですが、今回の件はその範疇に入ります。」
「『優先出動命令権』――特定の霊障事件においては、陰陽師協会員が霊障対策課よりも優先的に行動を許される権利。」
紅子は視線を大村から志穂と龍二に移し、少し声を低くした。
「『出頭免除特権』――陰陽師協会員は霊障事件に関する調査や出頭を原則として免除されます。つまり、私たちは警察署で事情聴取を受ける必要はないということ。」
「そして、最後に『霊障事件優先調停権』――霊障事件における調停の最終決定権を、陰陽師協会が持つというものです。」
紅子は一息ついて、満足げに微笑んだ。
「ですので、霊障対策課の皆さんがこの霊障事件について出る幕はありません。さっさとお帰りください。」
「ぐぬぅ……」
大村は口を開きかけたが、何も言い返せずに唇を噛んだ。志穂と龍二が小さく顔を見合わせ、頷き合う。
「……班長、次はもっと慎重に行きましょうね。」
その後ろで結城龍二がそわそわしながら手を挙げる。
「す、凄い……陰陽師協会員!?サ、サインだけでもダメですか……?」
「陰陽師協会が調子に乗りおって……。」
広間に緊張が残る中、紅子は座に戻り、静かにため息をついた。




