陰陽師への一歩
いつもの朝。悠希は目覚まし時計のアラームで目を覚まし、スマホを見ると、陰陽師協会からの出張依頼が入っていた。
(えーっと……京都? 京都に陰陽師協会の支部があったはずなのに…なんでだ…?)
悠希は疑問に思いながらもスマホを置き、いつものように朝食の席に向かった。キッチンからは母親が慌ただしく動く音が聞こえる。
「母さん、急に京都に出張の依頼が入ったから、夕飯は作らなくていいよ。」
「あら、ずいぶん急なのね。」
「まあね。霊障はいつどこで起きるかわからないし、困ってる人がいたら助けるのが陰陽師の役目だからさ。」
母親はふと手を止め、心配そうな顔を向けた。
「……危なくないの?」
悠希は笑いながら、ご飯をかき込みつつ答える。
「危なくない依頼なんてあるわけないだろ、母さん。危ないからこそ一般人には手に負えなくて、陰陽師協会に要請がくるんだから。」
「そんな危ないところに行くなんて……。」
「でも、今回は何か封印されてた石碑が壊れて、低級の妖が集まってるってだけの話だよ。大したことないさ。頼りになる先輩もいるし!」
「でも、もしものことがあったら……」
悠希は箸を置き、胸を叩いてみせる。
「大丈夫! 俺も立派な三級陰陽師だよ。もう見習いじゃないんだから! 鬼の一匹や二匹、退治してみせるさ!」
「鬼なんて……出たらどうするの……?」
「だからさ、鬼なんて滅多にいないんだって!安心してよ、母さん!」———
(…ごめん母さん、鬼いたよ、しかも、とびっきり強そうなの…)
「アッハハハハッ!もっと暴れさせろォォ!!」
悠希の目の前で爆発的な霊力が放たれ、空気が震える。阿修羅と化した鬼童丸は、紅子の鎖を引きちぎった。
鬼童丸の狂気じみた叫び声が響き渡る中、悠希は自分の拳をギュッと握りしめた。
(うん……完全に中級、いや、下手したら上級の鬼だな……。)
目の前の異形に戦慄を覚えつつも、悠希は何とか冷静さを保とうとする。しかし、その場の緊張感をさらに高めるように、地面が激しく揺れ、強烈な衝撃波が走った。
「……っ!」
その瞬間、悠希の視界から鬼童丸の姿が消えた。
———「ドゴォーーーーン!!!」———
轟音が響き渡り、音のした方に振り返ると、橘家の人達がまとめて屋敷の壁を壊しながら吹き飛ばされていく。
その光景に、悠希は目を見開き、息を呑んだ。
(……う、嘘だろ、ヤバすぎる!)
「べ、紅子さん……!」
悠希は急いで紅子の方に視線を移す。だが、彼女の背後には、ガスのような霧が静かに集まってきている。
(えっ、紅子さん、気付いてない?マズイ!)
悠希の全身に鳥肌が立つ。躊躇している余裕はなかった。
「紅子さん!!後ろ――!!!!」
悠希の叫び声が響いた瞬間、紅子は咄嗟に身を翻した。直後、背後の霧が実体化し、烈火童子が指をクイッと上げた。
———「ボンッ!!!」———
紅子が立っていた場所が爆炎に包まれる。炎の柱が一気に立ち上り、熱波が周囲に広がる。衝撃で悠希の張っていた結界が揺れ、細かなひび割れが走った。
(ま、まずい、あんなのまともに食らったら結界なんか持たない。)
悠希は急いで視線を戻し、紅子の様子を確認する。爆炎の中から、何とか身をかわした紅子が現れた。肩で息をしながらも立ち上がる姿に、悠希はホッと胸を撫で下ろした。
(ふう、よかった、紅子さんはなんとか無事だ……。)
だが、余裕を感じる暇もなく、視界の端で紗月の姿が目に入った。彼女は震えるように混乱しているのか、顔を引きつらせながら独り言を大きな声で喋っていた。
(大丈夫か……?いや、当たり前か。こんな状況で混乱しない方がおかしい。)
悠希は焦りを覚えつつも、どうすればいいのかわからずに立ち尽くしていた。その時、不意に背後から声がした。
「……大野くん、でよかったかな?」
振り向くと、橘南家の明良が険しい顔でこちらを見つめていた。
「は、はい!」
悠希は咄嗟に返事をしたが、内心では名前を覚えられていたことに驚いていた。
(えっと……なんだっけ、南家の……明良さんだっけ?)
「橘南家の明良だ。手短に話すから聞いてほしい。このままだと、全滅する上に……紗月まで攫われてしまう。」
その言葉に、悠希はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……そんな……。」
「だが、とっておきの術がある。四方守護結界だ。」
「四方守護結界……?」
「元々は橘家の当主を守るための結界術だ。しかし、この術は内部と外部を完全に遮断できる。つまり、鬼たちを閉じ込めることが可能だ。」
(そ、そんなすごい術が……!)
「しかし、発動には条件がある。術者が東西南北に四人必要だ。大野くん、君は結界術が得意と聞いているが、問題ないね?」
悠希は戸惑いながらも、力強く頷いた。
「はい!」
明良は続けて指を差しながら説明を続ける。
「向こうにいるのは私の息子、達也だ。そして、君と私が加われば三人。」
悠希は周囲を見渡しながら考えた。
「……あと一人は、紅子さんですか?」
「彼女は…無理だ。」
明良は即座に首を振った。
「今、あの鬼たちと戦えるのは彼女だけだ。我々の邪魔をされないように、彼女には時間を稼いでもらう。」
「えーっと、じゃあここの当主様はどこに……?」
「今は他家との会合で不在だ。屋敷にいるのは我々だけだ。」
明良は一瞬だけ表情を緩め、しかしすぐに真剣な顔で言葉を続けた。
「だから、残りの一人は紗月に頼むしかない。」
「えっ、紗月ちゃんですか!? でも、無理ですよ!彼女、一般人じゃないですか!」
「紗月は橘家の血筋だ。稀代の陰陽師だった橘北正成の一人娘だ。彼女なら、きっとできる。」
「えっ……橘北家……?」
「すまない、詳しく話している時間はない。」
明良の言葉に、悠希は紗月の方を振り向いた。
(紗月ちゃん……本当に大丈夫なのか……?でも、やるしかないのか……)
明良もまた紗月を見つめ、深い息を吐いた。そして、どこか祈るような声で彼女に呼びかける。
「紗月……少し話を聞いてくれ。」
紗月はその声に反応し、恐る恐る顔を上げた。
「……明良の叔父さん……?」
「紗月、今から結界術をやる。力を貸してほしい。」
彼女は驚愕したように自分を指差し、信じられないという表情を浮かべる。
「えっ、結界術……で、でも、うちは……陰陽師やないし……ただの……ただの……」
紗月の声は震え、彼女自身の混乱が滲み出ていた。
「皆は言わないが――お前のお父さんは橘家歴代の中でも稀代の陰陽師だった。紗月はその血を引いている。橘家の誇りを持て。」
紗月はその言葉に息を呑んだ。
やがて、紗月は唇を噛み締めながら、誰もいない横に向けて静かに呟き始めた。
「……うち、陰陽師やってもええんやろか……?」
悠希はその異様な光景に目を丸くし、ただ紗月を凝視する。
(……えっ? 誰と話してる……?)
「……でも、お父さん……陰陽師で橘家に迷惑かけたって……。それで……お母さん、病気になったし……」
「……そんなの関係ないって言ったかて……」
紗月は俯きながら、両手を強く握りしめた。その手は微かに震え、頬には一筋の涙が流れる。
「……うち……ずっと辛かった……。」
「陰陽師なんて……怖いし……お父さんみたいになったらあかんって……ずっと……思ってた……。」
紗月の肩が震え、ぽたりと涙が地面に落ちる。
「……でも……でも……!」
声が震えながらも、次第に力強さを増していく。
「うちだって……うちだって…ほんまはやりたいんや! みんなの役に立ちたい……認めてもらいたい! もうこんな……いるかいないかわからん存在なんていやや!」
彼女の涙は止まることなく流れ続けた。それでも、紗月は顔を上げることなく言葉を続けた。
「……うち、陰陽師になりたい……。ちゃんと……認めてもらいたい……!」
涙をぬぐうことなく、紗月は虚空に向かって囁いた。
「……清雅……見守っててくれるか……?うち……頑張るから……。」
その言葉を最後に紗月は、深く息を吐いた。そして、涙で濡れた顔を静かに上げる。
「ありがとう、清雅……」
(清雅……? 誰だ、それ……?)
悠希の頭の中に疑問が渦巻く中、紗月は決意を固めたように立ち上がり、静かに明良に向き直った。
———「うち、やります。」
その言葉に悠希は驚きと安堵を覚えた。明良も一瞬だけ表情を緩めたが、すぐに鋭い指示を出した。
「よし。達也は向こう側、南にいる。紗月、お前はここ、北だ。」
「はいっ!」
「悠希くん、君はあそこの池の前、西に移動してくれ。」
「了解です!」
「そして私は、あの植木まで行く。東だ。」
明良は周囲を見渡し、鬼たちの動きを確認する。
「村瀬さんが動けるうちに結界を完成させるぞ。時間がない、急げ!」
悠希は紗月を振り返り、力強く頷いてみせた。
「紗月ちゃん、絶対大丈夫だから!僕も頑張るからさ!」
「……うん……!」
紗月もぎこちないながらも頷き、指定された位置へと走り出した。




