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妖狐の微笑み

戦いの場は、鬼童丸の叫び声だけが無情に響いていた。


「グオァァァァァァァァ!!」


悠希が張った結界の中から、その光景を見つめていた紗月は、ただただ驚愕していた。


(みんな……凄い……あんな強そうな鬼を、一方的にやっつけてしもうた……。)


紅子の冷静な戦いぶり、雅彦たちの容赦ない連携攻撃――その全てが、紗月にとっては圧倒的だった。


自分が知っている陰陽師という存在が、これほど強く、頼もしいものだったことを、初めて目の当たりにした。


だが、特に目を引いたのは、同い年の彩花の姿だった。


彩花は神楽鈴を握りしめ、堂々とした立ち振る舞いで大人たちと共に戦っていた。烈火童子の灼熱の炎にも怯まず、祝詞を唱え、火除けの呪いをかける姿は、紗月の目には輝いて見えた。


(彩花様……すごい……。)


紗月は自分の手を見つめ、ぎゅっと握りしめる。


(うちも、彩花様みたいに、みんなの役に立ちたい……!)


安全な結界の中にいるとはいえ、肌を刺すようなヒリヒリとした戦いの空気は、紗月にも感じられた。


その中でも、おじけることなく堂々と力を振るう彩花の姿に、紗月は憧れを抱いた。


(このまま……うちは、いるかいないか分からん存在のままなんて、いやや……!)


自分の無力さが悔しかった。心のどこかで、自分も何かを成し遂げたい、誰かの力になりたいという思いが芽生えていた。


その時――


「おーい、紗月、ちょっとまずいかもなー。」


「……え?」


紗月が呆けた声を漏らして振り向くと、清雅はいつもの調子で、のほほんとした笑みを浮かべている。


「ちょっと待って、どういう意味なん?何がまずいん?」


「いや~、困ったなぁ」


「……だってさ、まだ終わってないんだもん。」


「えっ……?」


月が雲に隠れ、先ほどまで月明かりに照らされていた屋敷の庭が一瞬にして暗闇に包まれた。


その暗闇の中、屋敷の入口から青白い光が揺らめきながら現れた。


「……なんや、これ……」


青白い狐火が庭を照らし出し、不気味な美しさで揺らめき続けた。


「ほらほら、厄介なのが来たぞー。」


狐火に照らされる中、屋敷の入口から一人の女がゆっくりと歩いてきた。


彼女は和傘を差し、白い着物を優雅にまとい、ゆったりとした足取りで現れる。


その姿はまさに絶世の美女――だが、彼女の頭には白い狐耳が揺れ、流れる白髪が月明かりに透けるように輝いている。


――妖狐、葛葉。


「……なんや、めっちゃ綺麗やけど、あの人……。」


——紗月が思わず息を呑む。


葛葉は冷たくも妖艶な微笑みを浮かべながら、紅子や雅彦たちの前を通り過ぎていく。


まるで彼らの存在が目に入らないかのように、無関心に、優雅に――その姿はまるで時間の流れすら支配しているかのようだった。


やがて葛葉は鎖に巻きつかれ、動けなくなっている鬼童丸の前で立ち止まる。傘をゆっくりと閉じると。


「あなた達……何を遊んでいるのかしら?鞍馬はとっくに一人捕まえてきたわよ。」


「はっ!今楽しんでるんだから邪魔すんじゃねえよ!」


鬼童丸は苛立ちながら鎖を引きちぎろうとするが、その口調にはどこか余裕が残っている。


「これから盛り上がっていくところだぜ……!」


だが――異変はその時すでに起こっていた。


紅子や雅彦、達也、慶介、直人たちが、まるで糸が切れた人形のようにその場で立ち尽くし、全く動けなくなっていたのだ。


目には虚ろな光が浮かび、まるで別の世界に心を奪われているかのようだ。


「あぁぁぁ……!」


周りから歓喜の声が溢れ出す。


「あらら、完全に幻術にハマってるよ。みんな夢の中で好きなことしてんだろうなー。」


そう言いながら、清雅は横目で紗月を見た。


そして――。


「……あれ、紗月、何してんの?」


「ふふ……このケーキ、めっちゃ美味しいわぁ……!ショートケーキ最高や……♪」


何かを夢中で食べるような仕草をし、頬をほころばせている紗月。


「はぁ……やれやれ。」


清雅はため息をつきながら、そっと紗月の肩に手を置いた。そして、静かに霊力を流し込む。


「はいはい、夢からお目覚めだよ、紗月。」


「……はっ!」


紗月は目を見開き、勢いよく顔を上げた。


「う、うち、今ショートケーキ食べてたはずや……!?あれっ?」


「紗月、食い意地張ってるのバレたな、よだれが垂れてるよ。」


「そ、そんな場合ちゃうやろ!!」


紗月は周りを見回すと、紅子や雅彦たちが依然として動けないまま立ち尽くしている。


葛葉は紗月に目を向け結界の中にいることを確認すると、彩花に視線を移した。


葛葉は妖艶な笑みを浮かべながら、白い髪の中から一枚の笹の葉を取り出した。その細長い葉に指を滑らせながら、ふっと小さく息を吹きかける。


「さて……少し眠ってもらいましょうか。」


笹の葉が息を受けてひらひらと舞い上がり、空中で淡い青白い光を放ちながら彩花の前に飛んで行った。


「清雅……あいつ彩花様に何しよる気や?」


すると、彩花の体がふらりと揺れ、膝から崩れ落ちた。


「彩花様ッ!!」


紗月は結界の中から必死に叫ぶが、その声は彩花には届かない。


「ダメや……! 何とかせんと!」


紗月が結界から飛び出そうとすると、清雅が慌てて紗月を止めた。


「まあまあ、落ち着きなよ。今飛び出したら紗月も捕まっちゃうぞ。」


「そ、そんなこと言ったって……彩花様が――」


「ふふ、可愛いわね。夜叉王様もお喜びになるでしょう。」


葛葉はしゃがみ込み、倒れた彩花の髪を優しく撫でる。


「やめでッ!!」


結界の中から紗月が叫ぶも、葛葉は全く気に留めず、淡々と動く。笹の葉の光が彩花の体を包み込み、彼女の姿が次第に霞んでいく。


「これで……二人目。」


葛葉は立ち上がり、紅子や雅彦たちを一瞥した。依然として彼らは金縛りにかかったように動けない。


「さあ、烈火童子、鬼童丸。結界の中に残った子は任せたわ。夜叉王様のために、ちゃんと仕事しなさい。遊びもほどほどにしないと怒られるわよ。」


「分かってるって言ってんだろ! うるせぇな!」


葛葉はくすりと笑いながら踵を返し、ゆっくりと屋敷の外へ向かって歩き始めた。


「……彩花様……っ!」


紗月は歯を食いしばり、悔しさに拳を強く握り締めた。目の前で連れ去られようとしている彩花を助けられない無力さが、胸を締め付ける。


「……清雅、どうしたら……うち、どうしたらええん……?」


震える声で問いかける紗月に、清雅はふと空を見上げた。雲の切れ間から、まだ満ちきらぬ月が顔を覗かせている。


「大丈夫、紗月。まだ時間はある。今は……我慢して。」


紗月は、ただ彩花の消えていく姿を呆然と見つめることしかできなかった——。

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