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桜雷の残響

 白藍の雷光が走り、夜は意味を失った。


 轟音が収まり、視界がゆっくりと戻る。


 中庭に残っていたのは――


 プス、プス……と、鈍い音を立てながら燻る二つの影。


 さきほどまで異形だったそれらは、黒く焦げ、原型を失いかけて地面に倒れていた。

 腕も脚も炭化し、わずかに胸が上下するだけ。


「……虫の息、か」


 反応はない。

 雄叫びも、殺気も――完全に消えていた。


「……な、なに……今の……?」


 莉乃の声が、震えながら響く。


「……私、なにもしてないよね……?」


 その言葉に、勇真は答えなかった。


 ――いや、答えられなかった。


 なぜなら。


 彼の視線は、明らかに莉乃の胸元に釘付けになっていたからだ。


 ほんのりと。

 

 ごく淡く。


 ――光っている。


「…………」


「…………」


 数秒の沈黙。


 莉乃が、じわりとその視線に気づく。


「……ねぇ」


「……ん?」


「……どこ見てるの?」


「……あ?」


「……ちょっと!!」


 莉乃が一歩引き、胸元を両手で押さえる。


「な、なに!? この状況で!? 勇真は変態なの!?」


「違ぇ!! 誤解だ!!」


 勇真は慌てて両手を振った。


「俺が見てたのはそこじゃねぇ!! いや、そこなんだけど!! 違う!!」


「どっちよ!!」


「光ってんだよ!!」


「……?」


 勇真は、びしっと指を差す。


「お前のそこ。なんか……光ってる」


「……え?」


 莉乃は、戸惑いながら視線を落とす。


 確かに。


 制服の胸元の奥で、淡い光が、呼吸に合わせて揺れていた。


「……なに、これ……?」


 恐る恐る、指先を差し入れる。


 引き出したのは――


 一枚の、白いハンカチ。


 ゆっくりと、それを開く。


 次の瞬間。


 ひらり、と。


 淡紅色の何かが、宙に舞った。


「……あ……」


 桜の花びらだった。


 一枚だけ。


 だが、それは確かに、生きているかのように揺れながら、空中を漂っている。


 ふわり、と。


 空気が、変わった。


 焦げ臭さが消え、代わりに――春先のような柔らかさを帯びる。

 

「……いい匂い……」


 莉乃の喉から、無意識に言葉が零れた。


 ――思い出す。


 雷鳴。

 満開の桜。

 一本の桜の下で、だらしなく寝転ぶ雷神。


 桜吹雪の中。


 肩に、ひらりと落ちてきた一枚。


(……そうだった、あの時……)


 あの花びらを、ハンカチに挟んで、大事に、大事に――


 持ち歩いていた。


 桜の花びらは、くるりと一度宙を舞い――


 光の粒となって、ふっと溶ける。


 同時に。


 中庭を満たしていた春の気配が、静かに消え去った。


 後に残ったのは、深い静寂。


「…………」


 勇真は、口を半開きにしたまま、固まっていた。


「……な、なんだ……今の……何かの術か……?」


 莉乃は、しばらく黙っていたが――


 小さく、胸元を押さえ。


 誰にともなく、ぼそりと呟いた。


「……ありがとう」


 夜風が、静かに吹き抜ける。


 焦げた匂いと、春の残り香が、まだ中庭の空気に薄く混ざっていた。


 ――その静けさを、無遠慮に引き裂く音が来る。


 ウゥゥゥゥ――――ン。


 サイレン。


「……あ」


 勇真は肩から力が抜けた。


「誰か、警察呼んだんだな……助かった……」


 妖相手ならともかく。

 元は人間なんて、こっちでどう処理すべきか分からない。


(……こういうのは、警察に任せるのが一番だろ)


 勇真がホッと息を吐いた、その横で。


 莉乃は――微妙な顔をしていた。


「……どうした」


「……うん……いや……」


 言い切れない感じで、目が泳ぐ。


――キキィィィッ!!


 ブレーキ音に続けて、ドアが叩きつけられる。


――バンッ!! バンッ!!


「来たで、来たで、来たでぇぇぇぇ!!」


 塀の外から、やたら元気な声が響いた。


「京都府警! 霊障対策課や!!」


 そして――


 中庭へ突入してくる足音が、やたら騒がしい。


 ライトが乱暴に振られ、誰かが転びかけ、誰かが「班長!前!」と叫び、誰かが「うおっ!?瓦踏んだやんけ!」と叫ぶ。


 騒音の塊みたいな一団が、どかどかと現れた。


「——霊障対策課の大村や! おうおうおう! またやってくれたやんけ!! 京都の治安を乱す陰陽師どもがァ!!」


「いや違――」


「逮捕や!! 今度は逃さへんで!! 京都におる陰陽師ども、全員パクったる!!」


「話聞け!!」


 志穂が慌てて割って入り、両手を広げる。


「班長! 落ち着いて! まず状況確認です!」


「状況確認? 見たら分かるやろ! 屋敷半壊! 焦げ跡! 陰陽師二名が現場に立っとる! はい、犯人!!」


「決めつけが雑すぎんだろ!!」


 勇真は両手を上げて、必死に説明を始めた。


「違う! 俺らは襲われた側で――黒い服の連中が来て、そいつらが――」


「はいはいはいはい、言い訳は署で聞くでぇ!」


「だから聞けって!」


 大村が腕を組んで鼻を鳴らす。


「……龍二。例の“アレ”出せ」


 龍二の目がキラッと光った。


「ついに出番ですね……“嘘発見器・零式”!!」


「零式?! 嫌な予感しかしない!!」


 志穂が即ツッコミを入れる。


 龍二は車からゴソゴソと、やたらメカメカしい機械を引っ張り出してきた。


 ゴーグル。謎のヘッドバンド。胸部に貼るパッド。腕に巻くバンド。


 見た目だけで嫌な未来が見える。


「この装置はですね、発汗・脈拍・瞳孔・声帯の揺らぎから、嘘を検知します! しかも“嘘”判定が出た瞬間、軽い電気ショックで矯正します!」


「矯正すな!!」


 志穂が叫んだ。


 だが龍二は、嬉々として自分の身体に装着していく。


「まずはテストをしましょう! 班長、質問を!」


「よし。龍二、お前は、ワシを尊敬しとるか?」


「もちろんです! 班長は僕の人生の指標です!」


――バチィィィッ!!


「ぎゃああああああ!!」


 龍二が跳ねた。


 髪が逆立ち、真っ黒焦げの匂いがした。


 大村は頷いた。


「ヨシ。正常に動作しとるな」


「どこがヨシなのよ!!」


 志穂が半泣きで頭を抱えた。


 龍二は口から煙を吐きながら、親指を立てる。


「問題ありません……! これで嘘がどうか、完全に分かります……!」


 勇真は固まったまま、莉乃を見た。


「……なぁ。俺、今なにを見せられてんだ?」


 莉乃は深いため息を吐き、首を横に振った。


「……知らない」


「京都って……こういう街だったか……?」


「さぁ?」


 そのやり取りの横で――


 地面に倒れていた“焦げた影”が、わずかに動いた。


 ほんの僅か。

 誰にも気づかれない程度に。


 炭化した喉が、ひゅ、と空気を吸う。


 その視線が――一直線に、スーツの男へ向いた。


 天城一樹。


 無言で場を見渡し、すべてを“観察”している目。


 異形は、最後の力で唇を動かした。


「……橘……北……」


 音にならない声。


 けれど天城は、視線を落としたまま、確かに“聞き取った”ように目を細めた。


「……続けろ」


「……は……橘……紗月……」


 天城の口角が、ほんの僅かに持ち上がった。


 喜びではない。“目的に届いた”という確認の顔。


「……そうか……ゆっくり休め……」


 次の瞬間。


 天城が、足元へ視線を落とす。


 指を鳴らすでもなく、印を切るでもなく。


 ただ――一歩、踏み込んだ。


 ズ……。


 地面が、ぬらりと歪んだ。


 まるで水面に石を落としたかのように、土が波打ち――

 次の瞬間、炭化した異形の身体が、そのまま沈み込んでいく。


 音は、ない。


 砕けることも、崩れることもなく、

 ただ、“最初からそこに存在しなかった”かのように。


 すう、と。


 影ごと、痕跡ごと、地の底へ。


 土はゆっくりと元に戻り、焦げた匂いだけを残して、何事もなかった顔をした。


 ――そこには、もう何もない。


「……怪物やと?」


 大村が、周囲を見回して鼻で笑った。


「どこにおるんや、それ。異形? 妖? どこにもおらんやないか」


「……ここに……」


 勇真は、言葉を失ったまま地面を見つめていた。


 瓦礫に焼け焦げた跡。


 だが、“それ”だけだ。


(……う、嘘だろ……)


 さっきまで、確かに、ここに“いた”。


 背中を、冷たい汗が伝う。


 大村は、その様子を見逃さない。


「ほら見ぃ。何もおらん」


 指を突きつける。


「怪物? 異形? 全部、嘘やったんやな?」


「ち、違――」


「待って! いま確かに――!」


 勇真と莉乃の声が、重なった。


 だが。


 “怪物”を証明するものは、どこにもない。


 勇真は、言葉を失う。


「嘘は泥棒の始まりやで?」


 大村が、満足そうに笑った。


「――よっしゃ。二人とも、署で“じっくり”話聞こか」


「班長、待ってください! もっと調べた方が……」


 志穂の制止の声。


「やった! 嘘発見器の出番ですね!!」


 龍二の、場違いな興奮。


 ――だが。


 その喧騒の端で。


 天城だけが、静かに口元を緩めていた。


 視線は、まだ姿も見えない――


 “橘紗月”のいる方角へ。


(……見つけた)


 誰にもわからない、そんな微笑だった。

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