不動
勇真は、現れた男たちを一瞥した。
(……コイツら、いったい紗月に何の用があるんだ……? 目つきが普通じゃねぇぞ……)
しかし、考える間もなかった。
ひとりが無言で踏み込み、伸縮式の警棒を大きく振り抜く。
「うおっ——!? いきなりかよっ!」
反射的に身をひねり、紙一重でかわす。
風を切った警棒が背後を薙ぎ、その瞬間——勇真の表情が変わった。
錫杖を握ったまま、右手だけを胸元へ。
——不動印
比叡山で叩き込まれた、実戦用の結印。
「……オン・アビラウンケン・バザラダトバン……」
低く、腹の底から響くマントラ。
その瞬間——
灯籠、庭木、回廊の柱——庭に落ちるすべての影が、ざわりと揺れた。
それらは一斉に地面へと吸い寄せられ、溶け合い、巨大な影を形作る。
——不動明王の姿を思わせる、その影が、地を這うように伸びた。
すると——
ズブリ、と。
男たちの足元の地面が盛り上がり、影が“手”となって噴き出す。
「——なっ!?」
黒い手、黒い手、黒い手。
無数の影の手が、足首を、ふくらはぎを、腰を、背を——掴み上げた。
四人の男たちは同時にその場に縫い止められる。
「な……っ、動けない……!!」
ただ——不動。
影が、沈黙したまま男たちを見下ろしていた。
「……ふぅ……」
——そのときだった。
奇妙な違和感が、勇真の胸を刺した。
視線の先、中庭の一角に置かれていたはずの、立派な盆栽。
勇真の脳裏によみがえるのは、剪定ばさみを手に、穏やかに笑っていた桂一の姿。
『宗近様……子どもたちも大きくなりましてな。手は掛からんようになりましたが……それはそれで寂しいものです』
『今ではこれが、我が子のようなもので——』
そう言って、愛おしげに枝を撫でていた、あの盆栽。
男が振り抜いた警棒が掠めたのだろう。
太い幹は無惨にも折れ、枝葉が地面に散らばっていた。
「……ぁあ……」
勇真は、無惨に折れた枝を震えながら拾い上げた。
「……お、お、おま……お前ら……なにしてくれとんじゃぁああ……!!!」
——ドドドドッ!
物音に驚いた使用人たちが、一斉に中庭へ駆け出してくる。
「な、何事です!?」
「今の音は……っ!」
彼らの視線が、一点に集まった。
——折れた盆栽を手に、立ち尽くす勇真。
「……ゆ、勇真様……それは……桂一様が、毎朝手入れされている……」
「ち、違う!! 俺じゃねぇ!!」
完全に“犯人”を見る目に、勇真は思わず声を荒げた。
「それより! オヤジと桂一さんはどこだよ!?」
「七星会の会合に出ておられます!」
「ちっ……誰もいねぇのかよ!!」
——サァッ。
廊下を滑るように、ひとつの影が現れる。
「……あー……」
現れた莉乃が、勇真をびしっと指差した。
「あーあ。勇真が大事な盆栽、折った!」
「だから違うって言ってんだろ!! ……ってか、莉乃いたのかよ!?」
「いたら悪いの? 奈々の家で暴れて、宗近様に怒られても知らないからね?」
「見りゃ分かんだろ!? 好きで暴れてんじゃねぇよ!」
そのとき——
ギチ……ギチ……と、不快な音がした。
拘束されていた男たちが、無理やり身体を捻っている。
影がきしみ、男たちの瞳が——金色に光った。
「……っ」
勇真は歯噛みする。
「力ずくで金縛りを……?」
莉乃も、さすがに表情を引き締めた。
「……なに、あれ」
勇真は視線を男たちから離さず、低く言う。
「こいつら……紗月に用があるみたいなんだ……何か、こころ当たりあるか?」
莉乃の目が、わずかに見開かれる。
「なんで、紗月お姉ちゃんに……?」
「さぁな……ちっ、マズイな……」
——ギチ……ギチ……。
影に絡め取られたまま、男たちは無理やり身体を捻っている。
関節が本来あり得ない方向へ曲がり、筋が引き裂かれるような鈍い音が続いた。
「……っ、なに……あれ……」
痛みを堪える様子も、悲鳴もない。
ただ――動こうとしている。
(……やばいな、コイツら正気じゃねぇ……)
勇真は、背筋を冷たいものが走るのを感じた。
「皆さん! これは、もう我々の手に負える相手ではありません! 屋敷を離れましょう!」
「志乃さんを!」
「はい!」
二人がかりで、壁際に倒れていた志乃の身体を抱え上げる。
「宗近様には、私が急ぎ連絡いたします! 勇真様も無理をなさらずに!」
使用人たちは互いに声を掛け合いながら、中庭を後にしていった。
その中で――
ひとりだけ、動かない影があった。
「……莉乃……お前も行け。ここは危ねぇ……あとは俺がなんとかする」
ただ、男たちと、不動の影とを、じっと見つめている。
「……嫌」
「何?」
「ここに、残る」
「何言ってんだ! 早く避難しろって——!」
「……私だって、戦える……雅彦兄さんも……彩花お姉ちゃんも……紗月お姉ちゃんだって……」
莉乃は拳を握りしめ、唇を噛む。
「みんな、逃げなかった。戦った」
視線を伏せたまま、続ける。
「それなのに……私は、いつも……守られて……助けられてばっかりで……だから……今回は……! 私もっ!」
そして、勇真を見る
「それに……勇真より、私のほうが強いでしょ」
「……五年前の俺と、一緒にすんなよ!!」
勇真は声を張り上げ、錫杖を握り直す。
「確かに今も、陰陽術は使えねぇ。そこは否定しねぇよ」
「——でもな」
錫杖の石突が、地面に小さく音を立てる。
「今の俺には、これがある」
視線を上げ、真っ向から莉乃を見る。
「密教僧が陰陽師より弱いなんて……誰が決めた?」
その間にも——
——ギチ……ギチ……。
影に縛られている男たちが、なおも動いている。
腕が不自然な角度に折れ曲がり、膝が逆方向に曲がっている。
それでも——男たちは、壊れた人形のような動きで、一歩、また一歩と勇真に近づいてくる。
(……完全に、ゾンビだろ……)
「影だけじゃ足りねぇなら——」
錫杖を高く掲げ、そのまま——
——ゴンッ!!
地面へと、強く突き立てた瞬間、空気が震える。
「——オン・シャラバヤ・ウンタラタ……!」
錫杖を中心に、円形の結界が広がった。
それは光ではなく、“風”。
重く、渦を巻く、不可視の輪。
——錫杖旋風輪。
円環状の風が地を走り、男たちの足元を絡め取る。
「——っ!?」
一歩踏み出そうとした男の身体が、横へ弾かれる。
別の男が無理やり前へ出ようとすると、今度は後方へ引き戻される。
輪の内側から、逃げられない。
動けば動くほど、風が締め上げる。
「……よし、止まった」
勇真が、短く息を吐いた。
「莉乃、あと頼めるか?」
呼びかけに、莉乃は即座に応えた。
指先から、薄い紙の形代をふわりと宙へ放る。
落ちることなく漂ったそれに向け、両手を胸の前で静かに合わせる。
「……出て」
その一言で、形代は地面へ落ちる前に変化していく——小さなネズミに。
ネズミは素早く走り、旋風輪の内側へ滑り込む。
「——な、なんだ……?」
男が声を上げかけた、その瞬間。
耳元で——
——パァンッ!!
乾いた破裂音が、ほぼ同時に四つ響いた。
「——っ……!」
男たちの身体が、一斉に崩れ落ちた。
四肢が力を失い、地面に転がる。
——完全に、意識を断たれていた。
「やった!! 制圧、完了」
勇真は、しばらくその光景を見つめてから——
「……はぁ…………正直、もっと厄介な相手かと思ってた……以外と呆気なかったな……」
だが——
勇真の胸の奥には、まだ消えない違和感があった。
(……本当に、これで終わりなのか……?)




