執着する者たち
「……ここまでだな」
鬼一法眼が静かに刀を鞘へと収める。
そして——荒い息をつきながら膝をついている紗月を一瞬だけ一瞥し、千紘の方へと向き直る。
「……は? ちょっと鬼一、何勝手にやめてるの?!」
千紘は不満げに頬を膨らませ、足を踏み鳴らした。
「待って待って、まだ終わってないよね!? さっつん、立てるでしょ!? ほら、あとちょっとだけ! もうちょいだけやろっ!!」
「はぁ……はぁ……」
その時、紅子が近づき紗月の背にそっと手を置いた。
「紗月ちゃん、だいぶ強くなったわね」
紅子の声は、いつものように穏やかだった。
「でも、あまり無理しちゃダメよ」
そのまま、千紘の方へと視線を向ける。
「もう十分でしょ? これ以上は無理よ」
「む、無理じゃないし!! さっつんを倒せばアイツが出てくるじゃん!! もう一度アイツとやらしてよ!!」
——アイツ。
その言葉に、研修生たちがざわつく。
「アイツ……?」
「誰のことだ……?」
誰もが疑問を抱く中、紅子の表情が一変した。
「……千紘」
その瞬間——紅子の感情に反応するように、周囲に黒い揺らめきが立ち上った。
「それ以上、無茶を言うようだったら——許さないわよ」
「……っ!」
(な、何だ……この空気……)
(支部長が本気で怒ってる……!)
誰もが言葉を失う中——
千紘はしばらく唇を噛みしめた後、不貞腐れたように視線を逸らした。
「……ちぇっ、つまんない」
そう吐き捨てながら、踵を返す。
「アイツと……絶対に……もう一度……」
「……鬼一、行くよ」
「………」
鬼一は何も言わず、ただ静かに千紘の後に続いた。彼女が去っていく背中を見送りながら、紅子は小さくため息をついた。
「ったく……やっぱり、本命はそっちか……」
その言葉に、しのぶが眉をひそめる。
「……本命?」
紅子の目が千紘の消えていった方向をじっと捉えた。
“紗月ちゃんと戦いたい”なんて、建前でしょ。
(あんたが本当に求めてるのは——)
「……はぁ…あの子、相当拗らせてるわね……」
紅子は呟き、再び紗月の肩をそっと押さえた。
「さて、紗月ちゃん……ちゃんと、意識はある?」
「……だ、大丈夫です……けど……ちょっと、休ませて……ください……」
「ふふ、そうね。まずは休まなきゃね」
紗月の戦いが終わった後も、研修生たちは目の前で繰り広げられた圧倒的な戦闘に言葉を失っていた。
その中で——
「あんな戦い方、陰陽師やない!! ただの戦闘狂や!!!」
九重獅子丸が、拳を握りしめながらわなわなと震えていた。
「こんなもん、陰陽術ちゃう……!! 俺らの知っとる術やない!!」
言葉を吐き捨てるように叫びながらも、獅子丸の視線は紗月から離れなかった。
荒い息をつき、膝をついた彼女の姿——
——悔しい。
こんな奴が……こんな奴に……!!
「……お、俺のほうが……強いはずや……!!」
——いや、違う。
俺のほうが強い「はず」じゃない。
俺のほうが「強くなければならない」。
「なんでや……なんで、アイツなんや……!!」
彼は、ずっと「強者」として生きてきた。
強者であることが当然だった。
どんな場でも、どんな戦いでも、俺が一番強い——そう信じていた。
なのに。
認めるわけにはいかない。
あんなもの、俺の知ってる「陰陽術」じゃない。あんな戦い方、俺の知ってる「強さ」じゃない。
だから——
「……あの女は、俺が倒す……!!」
執着を滲ませた言葉が、獅子丸の喉から漏れた。
——そんな彼の後ろで、全く違う反応をする研修生たち。
「 やっぱり紗月お姉ちゃんは凄い!!!」
莉乃がピョンピョンと飛び跳ねながら、歓喜の声を上げる。
その隣では——ポトリ。
「……っ」
蓮華院葵の手から、握りしめていたハンドグリップが落ちた。彼女はボーイッシュな振る舞いで、後輩の女子たちから絶大な人気を誇っていた。
そして、葵の恋愛対象もまた——女性だった。
(……橘紗月……)
視線の先——そこには、まだ戦いの余韻を残したまま、荒い息をつく紗月の姿があった。
汗に濡れた髪が張り付き、肩が上下するたびに、その身体のラインが浮かび上がる。
(……まさか……こんな子が……いたなんて……)
ゴクリと喉が鳴る。
こんなにも荒々しく、獣のように戦いながら、それでもなお——
「今まで見たどんな戦いよりも、強く、速く……そして……いやらしい……」
(……あぁん……もうダメ…ゾクゾクするぅ……!)
舌なめずりするような視線で、葵は紗月を舐めるように見つめ続ける。
(ねぇ、紗月ちゃん……私が、いろいろ教えてあげようか……? そうしたら、もっと……可愛くなるよ……?)
——これは、絶対に、私のもの。
「……何が掃除係よ……めちゃくちゃ強いじゃない……」
西園寺しのぶが、小さく呟く。
彼女は戦いの全貌を見て、紗月の実力を認めざるを得なかった。
(これほどの強さ……推薦枠で選ばれたのも当然ね……)
だが、そこで彼女の視線はもう一人の推薦枠へと向かう。
「……もう一人の推薦枠……あの中学生の子……」
彼女の目が、奈々へと向けられる。
「……もしかして、あの子も……見た目とは違って、橘さんみたいに強いのかしら……?」
納得のいかない様子で、しのぶは紅子へと問いかけた。
「支部長……橘さんの強さはわかりました。でも、あの中学生の子も強いんですか?」
紅子が答える前に——
「……え?」
——さっきまで奈々がいたはずの場所に、誰もいなかった。
「……あの子が、いない?」
研修生たちも、それに気づき、辺りを見渡す。
「え……?」
「消えた……?」
ざわつく中——
「ここ」
「ひっ!?」
突然、しのぶの目の前に奈々が現れていた。
「っ!!!」
しのぶは即座に後ろへ跳躍し、間合いを取る。
——だが。
「……っ!?」
パサッ。
軽い音がした。
ピンで留め上げていたはずの、しのぶの長い黒髪が、ハラリと肩に落ちる。
驚愕するしのぶの視線の先——
奈々の無表情な手のひらには、彼女のヘアピンが乗っていた。
「………」
「……!!!」
(……これが……もう一人の推薦枠……?)
奈々は、無表情のまましのぶの髪飾りを持ったまま、じっと彼女を見つめていた。
(……こ、この子……いつのまに……?)
しのぶの驚愕をよそに、奈々はヘアピンをしのぶに返し、何事もなかったように後ろへ下がった。
「驚いたでしょ?」
「奈々ちゃんは陰陽師でもあり、異能者でもある特殊な子なの、だから、まだ中学生だけど推薦者として決まったのよ。これで納得できたかしら?」
——納得できたか?
その問いに、誰もが答えられなかった。
いや、正確には答えられるはずがなかった。
「実際に霊障事件に対応する場合、研修生は数人のチームに分けて、現役の協会員も同行するわ。」
「悪いけど、個人的な感情やプライドなんか、現場では何の意味もないから」
当の紗月は——
ぼんやりと意識を保ちながら、戦いを振り返っていた。
(……あかん、途中で戦場の記憶に呑まれかけたし……)
真面目に反省しようとした、その時——
(おーい、紗月、生きてる?)
(……なんや…清雅……)
(いやぁ、紗月、ダメダメ。全然ダメ)
(……そ、そんなん、わかっとるわ!!)
(まず、Vチューバーとしての自己アピールが足りないね)
(そっちかい!!!)
(でね? 画角が悪いんだよね。戦闘中、もっとカメラ映えを意識してほしいわけよ?)
(カメラなんかどこにあんねん!!!)
(あと、リアクションももっと欲しいなぁ。視聴者が求めてるのは『やばい! こわい! つよい!』みたいな臨場感ある実況だから!)
(実況しながら戦えるかボケェ!!!)
「……ん?」
紅子が、不思議そうに紗月を覗き込む。
「どうしたの紗月ちゃん……? なんかすごい顔してるけど……」
「……大丈夫です。ただ、うちの脳内コーチが……くっそウザいだけです……」
そうぼやいた瞬間——
(こっちは真剣に指導してるんだぞ!!!)
(術の指導せんかい!!!)
紗月と清雅の脳内バトルが繰り広げられる中、一人の男が静かにその場を離れていく。
「さて……この件、どう報告したもんかね」
青山颯の姿は陰陽師協会のビルの中へと消えていった——




