悪魔との契約~皆様のご要望通りですのに、何がご不満ですか?
「ああ! オレリーヌ!
優秀なお前が自慢だったのに。
何故だ! 何故、こんな事に!」
「オレリーヌ! オレリーヌ!
お願い、目を覚まして!」
「嘘だ! オレリーヌ!
淑やかなお前を愛していたのに、どうして……」
侯爵家の長女オレリーヌ・ナンシェルの冷たくなった体を目の当たりにして嘆く、ナンシェル侯爵夫妻、そして、オレリーヌの婚約者レオナルド王子。
「全て、オレリーヌ・ナンシェル本人の望み。
そして、他ならぬあなた方が、オレリーヌ・ナンシェルに、望んだ事です」
何処からか進み出てくる、オレリーヌ・ナンシェルの面影を持ちながら華やかな容姿の存在。
「な、なんだお前は!?」
「オレリーヌ? そんな馬鹿な……」
「私達がオレリーヌに望んだ、だと」
***
「……レオナルド様、至らなくて申し訳ございません」
「フン。
口では何とでも言えよう。
その地味な見た目を何とかしてこい。
お前のようなみすぼらしいパートナーを連れて行かなければならない俺の身にもなれ」
わたくし、オレリーヌ・ナンシェルは生まれた時から、レオナルド王子殿下の婚約者でございます。
家柄と父母の美貌を考慮して選ばれたと、聞き及んでおります。
幼きより、登城しての妃教育を受けており、ほとんど眠りに帰るだけの侯爵邸では、家族の交流はあまりありませんでした。
年の離れた兄は、後継教育のため領地に行ったきり、父母との会話が僅かにあるばかり。
「嘆かわしい事。
一体、誰に似たのかしら。
なんて華の無い娘に育って」
「まったくだ。
親のどちらにも似ないとは」
妃教育をどれ程頑張っても、教師の方々にどれ程褒められるようになっても、レオナルド様にも両親にも、容姿の地味な事を責められるばかりでございました。
「あの、わたくし、もっと華やかな装いをした方が、良いのではないでしょうか……」
「オレリーヌ様。
自信をお持ち下さい。
オレリーヌ様の良さは、内面から輝くものでございます。
気になるようでしたら飾りを少し増やしておきますが、オレリーヌ様の姿勢や所作の美しさがもたらすものは、派手な華やかさに勝りますよ」
「あの、でも、レオナルド様にも、地味と言われておりまして……」
「とんでもないことでございます。
レオナルド王子殿下も、オレリーヌ様の淑やかな美しさを絶賛されておいでですよ」
マナーの教師の方も城の侍女たちも、わたくしがもっと華やかな装いをと言うと、このように言って下さるのですが、当のレオナルド様には、容姿をけなされるばかりで、褒められた事など無いのです。
「レオナルド様、お待たせいたしました」
「……い、いつもにもまして地味だな。
お前のようなパートナーを連れて行かなければならないとはな」
「申し訳ございません」
「フン、行くぞ」
少しずつ、心のどこかで決して削られてはいけない何かが、削られていくような気がいたします。
「オレリーヌ様、素晴らしい出来でございます。
本日は少し早いですが、終わりにいたしましょうか。
毎日の妃教育で、お疲れでしょう」
「ありがとうございます。
少し、本を読んでいっても良いでしょうか?」
早めに終わっても、帰りたいとは思えません。
「まぁ、あまり根を詰めすぎてはなりませんよ。
王宮の書庫にあるものは、あまり気晴らしにはならないかもしれませんが、書庫が落ち着くようなら、手続きをお願いしてきましょう」
「ありがとうございます」
それでも、こんな生活を続けて来られたのは、妃教育の教師の方々が親切だったからでございましょう。
婚姻後は、彼らなしにやっていかなくてはなりません。
「オレリーヌ。
今日はもう終わりなのか?」
「はい、少し早めに切り上げていただけましたので、少し書庫に寄らせて頂こうかと思っております」
「書庫だと?
そんな所より……
いや、お前のような地味な者は、地味な場所が似合いだな」
「申し訳ございません」
「フン。さっさと行け」
「はぁ、何だか疲れてしまったわ」
……いいえ、もう、ずっと疲れているんだわ。
でも、どうしたらいいのか分からない。
ふと顔をあげると、仕舞われないままに机に置いてある本が目に入りました。
ふらふらと、本に近付きます。
「禁書の印があるわ」
これまでのわたくしなら、本を戻すことしか考えなかったでしょう。
けれど何故か、その時は本をそのまま開く事が自然なように思われたのでございます。
***
「それも含めて、ご主人様の思惑通りでございましょうか」
わたくしは今、人だった時の名も魂も命も体も全て、今の主人である悪魔ダンタリオンに捧げ、彼の使い魔をしております。
「当然だろう」
うっそりと笑う様は、わたくしが人間だった時の容姿を元にしているとは思えない程、艶やかです。
「何故、あの三人に、入れ替わりが分かるようにされたのでしょうか?」
「その方が楽しいからだ」
ご主人様の様子は、確かに楽しそうです。
「左様でございますか」
わたくしが聞きたかったのは、あの三人が、あのようになる事を予想していたかどうかでしたが、この様子では、答えてはいただけなさそうですね。
不用意に悪魔ダンタリオンの本を開いたわたくしは、契約とも呼び難いような不利な契約をダンタリオンと結ぶことになりました。
すなわち、わたくしの魂のみならず命、体、名前、全てを悪魔ダンタリオンのものとし、代わりにダンタリオンがわたくしにされた要求を全て叶える。
そういう意味では、あの時ダンタリオンが言った、全てオレリーヌ・ナンシェル本人の望み、という部分は嘘かも知れません。
わたくしが、オレリーヌ・ナンシェルを取り戻そう思えば、そう言えば叶うかもしれません。
けれど、そんな気になりませんでした。
尤も、オレリーヌ・ナンシェルの全てがダンタリオンのものになった後ですから、悪魔的な意味では、嘘ではないとも言えますので、叶わないかもしれませんが。
一方的な契約をわたくしと交わしたダンタリオンは、わたくしを使い魔とした後、わたくしに入れ替わりました。
妃教育の教師が認めたオレリーヌ・ナンシェルの全てを持ち、かつ、ナンシェル侯爵夫妻とレオナルド王子がわたくしに言っていたように、華やかな容姿のオレリーヌ・ナンシェルとして。
ナンシェル侯爵夫妻とレオナルド王子以外は、記憶を変えられましたから、妃教育の教師たちとナンシェル侯爵家嫡男がかすかに違和感を持った以外は、入れ替わりに問題はありませんでした。
不思議なのは、ナンシェル侯爵夫妻とレオナルド王子に、ダンタリオンが入れ替わりが分かるようにした事。
いえ、あの三人がこの入れ替わりを嘆いた事だけが、不思議な事でしょうか。
あの三人だけが、オレリーヌ・ナンシェルが入れ替わったと主張し続けたために、三人は心を患ったとみなされました。
ナンシェル侯爵夫妻は早めの代替わり、レオナルド王子は廃嫡こそ免れたものの、もう二度と表舞台に立つことはないでしょう。
「何故、あの三人は、ご主人様のオレリーヌ・ナンシェルを認められなかったのでしょう?」
ダンタリオンのオレリーヌ・ナンシェルは、わたくしの目から見ても完璧でした。
あの三人が、わたくしに望んだ華やかさは、三者三様でしたが、ダンタリオンはその全てを叶えているように思えます。
入れ替わりが分かってなお、受け入れて当然だと思われます。
「さてな。
お前こそ、それを知る必要はない者だろうよ」
「左様でございますか」
何はともあれ、わたくしは、今のわたくしを気に入っております。
「そろそろ、魔界に帰るか。
もちろん、お前も連れて」
「お供いたします」
命令は断る事が出来ないのかもしれませんが、今のところ断る気にもならないのです。
何故か、削られたように思われた心も治った気がして。
読んで下さってありがとうございます。