#6『歌』
機械的な音が連続してなっている。
甲高く響いては長い廊下に溶けていく。
ガラス越し、全身に噛みちぎられたような傷が広がる猫耳を生やした少女がベッドに横たわっている姿が見られる。
薄い緑色をしたショートヘアに、白と赤の毛束が幾つか見られ、その顔はまるで穏やかに眠っている様だ。
「フタバも壁を越えたみたいだね」
白く長い髪に隠れて表情は見えないが、カップを持つ手が小刻みに震えている。
「でも、あまり良いやり方とは言えないかな」
余った手を顔に持っていき、眼鏡の位置を整える。
「それにこの傷。人型の出現報告は上がっていないはずだったけど。ん、あぁ、アカネか。あの娘も帰ってきたらお説教だな」
身体から漏れ出す光の粒が勢いを増していく。
「先生」
そう言って先生の肩に触れる。
「うん」
分かってるよ———。
呟いて、カップを口元に持っていく。
「悪かったね。心配したかい?」
眼鏡の奥で黄色が揺れている。
私を見つめるその目が揺らいでいる。
「まぁ、少しは」
顔を逸らしてしまっていた。
目を合わせているのが、怖かった。
「はははっ。君も素直じゃないね」
踵を返し、靴音を鳴らして廊下を行く。
「そろそろ戻ろうか」
明るさを取り戻した声とは裏腹に、酷く重い足取りだ。
「あの娘はさ、二年前の生き残りなんだ」
二年前。
東京全域に突如として天門が開き、未曽有の大災厄をもたらした亡霊の大量発生。
「隊長不在の中、犬型の群れに奇襲を受けて部隊は全滅。その後、単身で殲滅には成功したものの心身に大きなダメージを負ってね」
はぁ。
ため息を吐いて頭を掻く。
「つい最近ようやく前線に復帰したばかりだったんだ」
この長い廊下に連なるそれは恐らくすべてが病室になっていることだろう。
曇りガラスになっていて中を見ることは出来ないが、先程の少女と同等、或いはそれに近しい状態の患者がこんなにも。
「まぁ、でも、良かったよ。あれくらいまでなら、まだ私ので中和できるからね」
相当時間がかかってしまうがね。と笑う。
「自分を、ひいては、世界を呪う。理不尽を体験した少女の行きつく最後の足掻き。不条理も不合理も、すべてを上書きするそれは、きっと奇跡にも匹敵する」
首に下げたカードを手に取って壁際のリーダーに翳して見せる。
「大切な何かを代償に、己が望みを、理想を、世界に再現する力。悪意や敵意と言ったものが心を満たしたとき、その資格を持つ者のみが振るうことが許される諸刃の剣」
認証が終了し、ロックが解除される音が辺りに響く。
「呪いが侵食していけばあの娘もいずれは」
でも———。続けて、
「私は医者だからね。きっと救ってみせるよ。きっとね」
重い扉が開いていき、暗い廊下に薄く明かりが差していく。
「それが私の役目だから」
差した光が彼女を照らし輪郭をなぞる。
歌が聞こえる。
物悲しい、これはきっと鳴き声だろう。
何かが擦れる様な、金属音の様なそんな音。
「呼んでいるのか」
一つに結われた金色の長い髪を風に揺らし、柵に凭れ掛かって紫煙を吹かす。
胸元には勲章が幾つか見られ、袖には三本の線が引かれている。
「まさかな」
煙草を手に取って伸びた灰を叩き落し、口に咥え直す。
狐耳を生やした少女は、天高く伸びるビル群を眺めては、何か思考する。
琥珀色に輝くその瞳は、まるですべてを見通す様な気さえ起こさせる。
「失礼します」
バタンと音を立てて、ドアが開かれる。
酷く慌てた様子の隊員が敬礼もそこそこに急ぎ足で話始める。
「現在市街地区にて五部隊が戦闘中。一部隊が壊滅し、三名が消失。戦闘中各隊からも数名重傷者が出ております。未だ天門が開き続けており、亡霊の数、種類共に把握しきれておりません」
紫煙が風に揺らぐ。
まるで嘲笑うかの様に揺らいでは宙に溶けていく。
「そうか。報告ご苦労。下がっていい」
淡々とした口調でそう告げて、煙草を柵に押し当て火を消す。
「私もすぐに戻る」
敬礼をして去っていく隊員を見送り、空を見る。
深まる夜がより一層、世界を黒に染め上げていく。
未だ止まぬ歌を響かせて、まるで何かを隠していくかの様に。