#3『束の間』
群青色をした空に鳴りやまない蝉時雨を乗せて、まるで青春の一幕の様に映るこの景色は、確か夏といっただろうか。
焼ける様な日差しに些かの苦痛を覚えながら、私は待ち合わせの場所に向かっていた。
市街地区の端にあるショッピングモ―ル。
開店記念セールの幟に、人々が生み出す雑踏、そしてこの蒸し暑さも手伝ってか、宛ら祭りの様だ。
「あ、やっときたぁ。遅刻だぁ遅刻~」
声のする方へ視線を移すと、そこには真っ白な髪を伸ばした猫耳の少女。
パラソルの刺さった机にメロンソーダが置かれ、少女の手には溶けかけたソフトクリームと開店記念とでかでかと書かれた団扇があった。
「早速満喫してるみたいですね」
私がそう言うと、少女はあからさまにご立腹な様子でソフトクリームを一舐めする。
「そっかぁ。遅刻してきておいて最初に口にする台詞がそれかぁ」
あ、あれ?集合の時間は確か十二時だったはず。時計を見る。今、丁度十二時になったところだ。
「あー・・・。ごめんねー。じゃあ、いこっか」
彼女はそう言うとそれ以上は何も言わず、残っていたメロンソーダを一気に飲み干し立ち上がった。
気まずい沈黙が張り付いたまま、しばらく歩いたところで少女は上を見上げ立ち止まり、
「着いた」
と、目をキラキラさせながら店内へと吸い込まれていく。
見上げると、『パフェの極み』と書かれた看板が目に入る。
店内に入るとそこは、店名には似つかわしくない厳かな雰囲気が漂っていた。
暖色の間接照明のみで照らされた薄暗い店内に、どこか懐かしさの様なものを感じながら、既にメニューを広げて情熱的な視線を向けている少女の前の席に腰掛ける。
「これにしよう。絶対これ。もうこれ以外はあり得ないよ」
「いあでもこっちも。うーん。これも捨てがたい」
ブツブツと数分間迷った挙句、結局全部注文するという暴挙に出た彼女を横目に、私はコーヒーとチョコレートパフェを注文した。
「お待たせしました。こちら、イチゴパフェ盛れるだけ、スペシャルデコレーションチョコレートパフェ、パフェの極み、季節の果実そのまま特製フルーツオレ、チョコレートパフェとコーヒーになります」
机に乱立するパフェ群は、まるで現実感がなく、私から思考能力を奪っていく。
確か、こんな世界遺産があったような、いやこんなに奇抜ではなかったか。
「見て!これがこの店の店名にもなっている、パフェの極み。これが食べたくてここに来たの。この圧倒的ボリュームに、あ、でもでも、完璧に配分された具材によって最後まで飽きることなく食べられるって話題で、あ、これは本店での話で」
口元にたっぷりのクリームを付けながら、まるでブラックホールの様にすべてを吸い込んでしまうのではないかと、一抹の不安に襲われる程の食べっぷりを見せる彼女に唖然としながら、スプーンでパフェを一掬いし口に運ぶ。
「美味しい」
思わず、口をついて出た言葉だった。
「でしょっ!」
彼女は、如何にも感慨深いといった表情をして、スプーンを力強く握りしめる。
「さて、じゃあ次、いこっか」
気が付くと、目の前にあったはずのパフェの塔はすべて空っぽになっている。
もしや本当にブラックホールなのではないかと、空想に耽っていると、「早く食べろ」と言わんばかりの視線をこちらに向けてくるので、残りを掻き込んでコーヒーで流し込んだ。
それからというもの、食い倒れの旅が始まり、フードコートのありとあらゆる店を回り、残り一軒を残して、そのすべてを食べて尽くした。
「最後はここね」
ラーメン屋。『マヒル亭』と掲げられた赤白黒で構成された看板が如何にもな雰囲気を醸し出している。
「ここね。友達の家族が経営してるラーメン屋の支店なの」
猫耳少女は尚も語る。
「あたしはね。このラーメンを食べるために生きていると言っても過言ではないんだよね」
その真剣な表情に思わず納得してしまいそうになったが、絶対に過言だろう。
「これね。君もこれ。異論は認めない」
彼女の指差すそれは、真っ赤に染まったスープ、山盛りの真っ赤な野菜やよくわかない何か、そして真っ赤に染まったチャーハンのセットだった。
「げ…激辛味噌ラーメン」
説明書きにはギブアップ者多数、上級者向け。気絶やその他症状の危険性があるため要注意。など、まるで物騒なことしか書かれていない。ラーメンで気絶?冗談じゃない。
「まっ…」
私が声を絞り出しつつ、彼女の方に視線を移した時にはもう既に私の分まで注文を済ませていた。
「ん?」
白く伸びた髪を靡かせ振り返るキョトンとした顔の少女は、悪意など微塵もないといった様子で、
「一旦席戻ろ。ちょっと掛かりそうだって」
そう言って、もう何度も利用した席にスタスタと戻っていく。
私も諦め、腹をくくり、少女の後を追った。
「やっぱり締めはラーメンだよねぇ。ピリッと辛いラーメンで汗かいてさぁ、今日食べた色んなものを帳消しにするの」
無邪気に少女は笑う。
両手で呼び出しの端末を握りしめて、それはもう楽しそうに。
「絶対に無理だと思う。というか、ピリッと辛いどころではないよ。あの赤さ、あれは正しく地獄そのもの…」
「そんなことないよ。食べてみればわかるはず」
自信満々に彼女が呟くとほぼ同時、ベルが鳴り端末が振動して見せる。
「それじゃあ、ちょっと待ってて。あたし取ってくるから」
小走りでカウンターまで行き、二人分の大盛りラーメンとチャーハンをニコニコしながら運んでくる。
「はい。お待たせ」
机に置かれたそれは、やはり、地獄と形容するに相応しい。
渾身の勇気と、諦めと、ほんの少しの好奇心で、私はその地獄を口へと運ぶ。
それから何が起きたかなど、もはや語るまでもないだろう。
時刻は夕刻へと移り、傾いた日が世界に色をつけ始めた頃、私は額に濡れたハンカチを乗せてもらい、ベンチで横になっていた。
隣に座る満足げな少女はお腹を摩りながら空を見上げる。
「楽しかった」
心の底から出た言葉の様に感じられた。
まるでこんな日常なんてものが長く続かないことをよく知っているかのような。
いや、良く知っているのだろう。
だって。
「来た」
そう呟き立ち上がった彼女の顔には緊張が走っていた。
次第に暗がりに落ちていく世界が、夜でないことは感覚として感じられた。
張り詰めた空気が弾けた様に、警報が鳴り始める。
「結界が弱まってるんだ」
独り言を呟くように投げかけられた言葉に、私は何も言えずに彼女の顔を見つめる。
「今日はありがと。この前のお礼だなんて嬉しかったよ。でも私は、これが私の役目だから。私はこうするために生まれてきたし、これ以外は何もないんだ。だからお礼なんていいんだよ。でも、ほんとに、ありがと」
閃光が辺りを照らし、影を作る。
「あたしが守るから」
風が吹く。
「あっ」
言葉を紡ごうとしたその時には、彼女の姿はもうそこには無かった。
物憂げな少女の表情が脳裏に焼き付いて離れない私に、代わりに無数の光の羽根を残して。