#2『ある日』
ガヤガヤと喧騒に包まれる教室の中で、私は今日も項垂れていた。
「ねぇねぇ。亡霊、間近で見たんだって?」
「間一髪のところで来てくれたんでしょ!?精霊術師!」
「私も会ってみたいなぁ…精霊術師。私も将来精霊術師になりたく―――」
亡霊に遭遇してから数日間、私はクラスメイトから口撃攻めを受け続けていた。
あんなものと遭遇するのが羨ましい?私にはまったく理解出来そうにない。
「あーそうだねー」
適当に相槌を打ちつつ、早くチャイムよ鳴ってくれと祈り、愛想笑いをする。
精霊術師なんて、良いものじゃない。
私は―――
響き渡る銃声に、人々の泣き叫ぶ声。
鳴りやまないサイレンに共鳴するように、遠吠えを繰り返す亡霊たち。
私はまた、奴らを呼んでしまった。
「ははは・・・どうしてこうなっちゃうのかな」
嘲笑の混じった溜息とともに、やるせない気持ちを吐き出し、目前の化け物に向かって笑って見せる。
『ガルルルル・・・』
亡霊が人間の言葉を理解する訳もなく、異形の犬は今にも私に襲い掛かろうとしている。
「このまま、私がいなくなれば、みんな、こんなに苦しまなくても済むのかな?」
通じないと分かっていても、私は尚も続ける。
「私が亡霊を引き寄せるから、そのせいでみんな・・・」
仲良くしてくれたあの子も、先生も、私のせいで。
「それは違うよ」
気がつくと空中に無数の羽根が舞っていて、一体の亡霊が二つに割けて呻き声すら上げずに地面に落ちる。
「こちら地点B、犬型二体と人型一体視認、うち、犬型一体撃破。保護対象は無事です」
白く伸びた髪に腰に下げた刀、あぁ、私はまた、この人たちに救われるのか。
「秘剣・・・」
呟くと同時に、両断された亡霊が宙を舞い、落下途中には既に次の型を取り終えている。
人の目では、もはや追うことのできない剣閃。
型を取り終えたとほぼ同時、亡霊の触手が膨らみ纏まりだっていく。
頭上の環は大きさを増し、その黒さを増す。
瞬間、精霊による身体強化の施された精霊術師を置き去りにし、黒く伸びた髪のような触手が彼女に次々と突き刺さる。
まるで世界が静止してしまったかの様な感覚に襲われながら、次第に赤く染められていく視界を唯、眺める他に術がない私に、彼女は、苦しそうに笑っている様な気がした。
目が覚めるとそこは教室だった。
どうやら私は眠ってしまっていたらしい。
私を囲んでいた人だかりはいつの間にか消えていて、代わりに見慣れた一人の少女の顔がそこにあった。
心配そうに覗き込んできている顔に私はわざとらしく微笑んだ。
それに気づくと、ぱっと顔を明るくして、すっと立ち上がり、
「もう、居眠りだなんてはしたない。涎まで垂らして」
少し意地悪そうに笑い、顔を赤らめる彼女にまるで胸を撫で降ろされているかのように、安心のようなものが広がっていく。
「それにしても、すごい魘されてたよ。何か悪い夢でもみてたの?」
リスの様な耳をピクピクと動かして、少し落ち着かない様子だ。
「ちょっとね」
「ちょっとって。ふーん。教えてくれないんだ?」
不服だ、と言わんばかりに揺れを増していくふさふさとした尻尾。
「まあ、いいけどね。別に?そんなに気になってもいなかったし。うん。そう」
明らかに苛立ちを増していく彼女から視線を逸らし、黒板の上に吊るされている時計を見る。
「あぁ、もう授業の時間だ。そろそろ席に着かないと…」
「まだ話は終わって…」
私の言葉を遮りそう言いかけた彼女の言葉も、チャイムの音にかき消さる。
慌てて席に向かいながら、私の事を軽く睨みつける小動物の様な女の子に、日常なんてものを見出しつつ、私は、口元の涎を拭った。
「えー、皆さん知っての通り、亡霊というのは――」
詰まらない授業を話半分に聞きながら、窓の外を眺める。
空に浮かぶ星が幾つかの線を結んで、何かの模様のように見える。
結界、そう呼ばれているあの星座によってこの街は守られているらしい。
あれが無ければ今頃、街は亡霊で溢れ、滅んでいるんだとか。
「それでは、本日の授業はここまでとします」
先生がそう告げるとほぼ同時にチャイムが鳴り、号令がかかると皆でお辞儀をする。
ぼうとしている間に、どうやら授業は終わったらしい。
次第に増していく喧騒に包まれながら、私も帰りの支度をしていると、
「さて、秘密主義の誰かさん?」
物凄く不吉な顔をした少女がそこにいた。
「ひ…秘密主義…?誰の事やら…?」
すっとぼけてみた。
「な…な、はぁ、もういい。さあ、帰ろうよ」
許してくれた。
許してくれた…?
まぁ、でも、悪夢を見ていた、だなんて言えない。
「うん。悪いね」
そう言って鞄を背負って二人で教室を出る。
なんだかこうして二人で帰るのも久しぶりな気がする。
「平和な日常だ」
私がそんな事を言って空を見上げると、
「何が平和なんだか。この前だって、あんた亡霊に襲われたばかりじゃない」
と、彼女も空を見上げる。
「そうだったっけ?」
「そうでしょう。何をとぼけているんだか。もう一回病院に行って検査して貰った方がいいんじゃない?」
「何を人を病気みたいに。私は健康体そのものだよ」
「そんな擦り傷ばかり付けて、包帯だって巻いてるくせに」
「死ぬこと以外すべてかすり傷さ」
「ばか」
それからしばらくして、私たちはお互いの帰路に着いた。
金属とコンクリートで出来た螺旋状の階段を下っていく。
靴音が辺りに反響し、より一層その静けさを教えてくれる。
廊下に出て、しばらく歩いた場所、『0023号室』それが私の部屋だ。
暗唱番号を入力して扉を開ける。
重い金属音を鳴らしながら、ゆっくりと扉が開くと、そこにはいつもの無機質な部屋が目に入ってくる。
「ただいま」
なんて、誰にも届かない言葉を発しては、憂鬱が私を満たしていく。
ゆっくりと歩いて、力なくベッドに横たわる。
体が痛んだ。
腕の包帯に、じんわりと血が滲んでいく。
「疲れたな」
薄暗い部屋の中に幾つも掛けられた時計がその針を淡々と進めていく。