記憶の中の旅日記「東京散歩、紅葉芸術…」
散歩がてら近くの大学構内を歩いている。
構内にはプラタナスロードがある。
日本語的には鈴懸の路。
なぜプラタナスは日本名が鈴懸なのかというと、プラタナスの木の実が山伏僧侶が首にさげている鈴に似ているかららしい。
そう言えば宮沢賢治の代表作「銀河鉄道の夜」でもケンタウル祭の夜にプラタナスの枝にたくさん豆電球をぶら下げ、華やかさ神秘性を演出するというシーンがあった。
この木には神宿る不思議な魔力でもあるのだろう。
構内を散策していると、水面に浮かんだ落ち葉の一枚一枚が、最後の潤いを与えられ赤く光っていた。
まるで命尽きる前に燃え尽きようとしているような…そんな情念さえ感じた。
理系生物学に詳しい友人に目からウロコの話を聞いた。
そーか、考えてみればずっと勘違いしていた。
なぜ? という疑問をそのことに関しては抱いたことがなかったのだ。
理屈っぽいボクにしては珍しい。
それは、なぜ紅葉するのか?・・ということ。
イメージでいうとこんな風に決め付けていた。
晩秋になり寒さが増してくる。
木々の葉はその冷気のために末端の葉っぱから病み退化してくる。
つまり人間の手足が炎症を起こすように・・それが紅葉。
そんな幼稚な解釈をしていた。
考えてみれば、木々の悲惨な情景を見ながらキレイキレイと喜んでいてはいけなかったわけだ。
答えは違った。
では紅葉のしくみを聞きかじり解説。
秋から冬にかけて気温は低下する。
すると木々は葉を落とすために葉と枝の境に離層を形成する。
これにより葉と枝・幹の間で水や養分の流れが妨げられ栄養配給が遮断される。
そのため今まで葉を緑色に見せていた葉緑素が老化・分解され他の色が表れ始めるのだ。
葉の色は赤になるもの、黄になるもの様々。
赤くなる理由は、光合成により葉に蓄積された糖分が離層によって枝に送られなくなるため、この糖分などから赤い色素アントシアニンが合成され葉が赤くなる。
一方黄色になるものは、もともと葉に含まれていた黄色の色素カロチノイドが、葉緑素が分解されていくことにより目立って現れてくるため黄色く色付く。
要するに木がその意志により紅葉させ、散らせていたのだ。
びっくりした。
木々は冬支度をしていたわけだ。
幹に栄養を蓄える為に。
まさしく眼からウロコ。
いや疑問視していなかったのだからこの表現は当たらない。
確かによく観察すると、枯葉の枝は全て同じ位置で切れていた。
まさに自然の芸術。
人為的には不可能な美なのだ。
このこと、きっと生物学で習ったのだろうが、皆知っているのかな?
まあ、冷気にいじめられているのだと幼稚に解釈していたのはボクだけなのかもしれないが・・・
こんな植物たちですら、明日に向かって未来に向かって生きようとしているわけだ。
鈴懸を見上げていると、ふと脳裏に懐かしいフォークソングがこだました。
♪プラタナスの枯葉舞う冬の路で プラタナスの散る音に振り返る♪
♪帰っておいでよと振り返っても そこにはただ風が吹いているだけ♪ 〔by シューベルツ 風〕
もう一度プラタナスを見上げた。
だよな、振り返っても何もないんだよな。
楽しい思い出や成功体験を思い起こし、幸せ感に浸りたくなっても、所詮自分の道程なんてちっぽけなわけだ。
目を凝らしても耳を澄ませても、ただ冷たい風を感じるくらいなのだろう。
つまりは前向いて歩けってことなのだよな。
とはいえ、最近夢見が悪い。
なぜか夢を見ている自分の夢を見ることが多い気がする。
いよいよユメウツツが混乱し始めているのだろうか。
やれやれ、これって、結構疲れる。
♪何かを求めて振り返っても そこにはただ風が吹いているだけ♪
(東京・某大学構内、晩秋)




