記憶の中の旅日記「秋の京都は誰と…」
秋きぬと 目にはさやかにみえねども 風の音にぞ おどろかれぬる 藤原朝臣
古今和歌集に収められてるこの歌は立秋夕暮れの歌。
秋になった兆しは、まだ目に見えないが、耳元で鳴る風の音にその気配を感じて驚いた、という解説。
秋の京都の、シンプルで透明感のある歌である。
この驚かされた音色、それは大きな音ではなく、木のサワサワといったようなわずかな揺らぎだったのではなかろうか。
たとえば寺の軒先に外し忘れた風鈴の、これまでとはちょっと違う音色とか・・・。
季節の変わり目の中で、この夏から秋というのはほんとに曖昧だと思う。
おそらく人の心が欲してないのだ。
たとえば逆の状況。
木枯らしの吹き荒ぶ冬であれば、早く春がこないかなと心待ちにし、ゴールデンウィークやそのあとに続く夏休みに期待を膨らますわけだ。
だからこそ、そのイベントがすべて終了し、少しづつ熱気がさめていくその淋しさ・虚脱感を、迫り来る現実のものとして実感したくないのだと思う。
まあ秋の次が夏だったら、さほど感傷的にはならないのかもしれないが・・・。
とはいえ、日本にはせっかく四季がある。
やはりこの秋を五感アンテナを敏感にしてしっかり体感すべきなのだろう。
♪だれかさんが だれかさんが だれかさんが 見つけた 小さい秋 小さい秋 小さい秋 見つけた♪
きっと澄ました耳にかすかに沁みたキーキーとかん高く鳴く百舌の声だからこそ、小さい秋に気づくことができる。
10月の京都、残暑ではなくまさしく秋の気配で出迎えてくれた。
そんな哀愁歌を口ずさみながら、時間のある限り中心街のお寺めぐり。
六角堂の脇に可愛く手を合わせたお地蔵さんを発見。
木漏れ日の中でちょっと首を傾け優しく微笑んでる。
実に好い顔だ。
心が和んだ。
色づき始めた落ち葉が池に浮かび、ふと小さい秋をみつけられた気がした。
夕暮れ時ともなると、四条鴨川のほとりには、さすがに肌寒さを実感する秋風が川面を走り抜けていた。
もうすぐ、この京都のベストシーズン。
橋の欄干にたたずみ、遠い修学旅行の思い出や去年訪れた建仁寺の紅葉を思いおこした。
やっぱり感傷的だよな、秋の京都は。
帰りの新幹線の中に張り出してあったJR東海秋恒例のキャッチコビー。
秋の京都、今度はあなたとふたりで・・
モデルの女優さんが優しく微笑みかける。
だよな、だよな。
あの燃えたぎるような紅葉の中を散歩するのなら、やっぱりそんなシチュエーションがベストなんだろうなぁ~!
(京都・四条、立秋)




