記憶の中の旅日記「日本の夏、やはり京都の夏」
念願の京都五山送り火を観に行った。
しかも賀茂川べりの豆腐料亭「豆水楼」でおいしい京料理と伏見の酒に酔いしれなら・・・。
祇園祭の時期に匹敵するほど街は大混雑となっている。
京都では「大文字焼き」なんて言ってほしくないのだとのこと。
もっと神聖な行事らしいのだ。
確かに饅頭かなって感じもするしね。
この送り火の歴史はもちろん古い。
なんで「大」なのかはたくさんの説があるのだという。
「この日にしか出さない食器なんですよ」
さすが老舗、自慢げに漆のお椀を出してきた。
蓋を開けると京野菜の煮物が綺麗に施してある。
八時になり、「そろそろ始まりますよ」と板さんが川辺に突き出した縁側席に誘導してくれた。
満席の客たちは料理そっちのけで一斉に移動する。
「大」の文字が、真っ暗になった京の街を囲む山々に浮き上がってきた。
オーッという歓声、あちこちで拍手が起きる。
日本人ってこういうのが好きなんだよなぁ・・・そう思った。
火を見ると興奮するって感性もあるしね。
ホントの山火事なら拍手は起きないはずだ。
知らない同士の客たちにも妙な一体感が生まれ、こっちからのほうがよく見えますよと場所を譲り合ったりもした。
「大」の字が燃えている時間は約20分。
その20分のために、数ヶ月前から1000人近い人たちが準備をしているのだ。
壮大といえば壮大、儚いといえば儚い。
でもそれがまたいいんだよね、日本人は。
その儚さが好きなんだよね。
昔、タイガースの虎ファンたちが大勢集まって、タイガースのロゴマークを懐中電灯で浮き上がらせた事件があった。
ユーモアといえばそうなのだが、大ひんしゅくだったらしい。
そう言えば、さっき、冷や奴食べるのに、すいませーん、大きめのスプーン貸してもらえますか?と日本語で、しかも大きな声で頼んでる茶髪レディがいた。
はぁ? 唖然としながら、心の声で小さく呟いた。
「ココに来るな!しかも京料理だぞっ」
まあ、いいか。
茶碗蒸しには付いてくることだし。
さて「大」の字が少しづつ薄れていくと、今度はさらに左手から鳥居が浮き上がってきた。
縁側から身を乗り出しながらまた歓声がわいた。
冷静さを取り戻したボクは、そんな歓声より、縁側のミシッという軋み音のほうが気になった。
やばいんじゃないかなぁ・・・。
定員オーバーだよな、絶対に!!
そんな恐怖心を足裏で感じながら、そろりそろりと室内の宴席に戻った。
(京都先斗町、長月)




