記憶の中の旅日記「秋田美人捜索活動」
みちのく秋田の街に降り立った。
ここの3大名物といえば、きりたんぽ鍋やしょっつる鍋、竿燈祭り、そして秋田犬、いやいや秋田美人・・なのかな?
駅を出て海岸沿いのビジネス街に歩きだす。しかし期待とは裏腹にその秋田美人どころか人の気配がない。
時々見かけるのは老人と幼児だけ。
呆れ気味に目的地に向け早足になると、前を歩く老婆が歩道の段差につまずいてよろけた。
大丈夫ですか?
手を差し出すと、膝を擦りながら人懐っこく微笑み返した。
きっと昔は秋田美人だったのかな!
キリッとした目鼻立ちの老婆ではあった。
少しの間並んで歩く。
秋田美人のトップクラスは都会に出稼ぎ中。
2番手は夜7時以降に歓楽街川反界隈を出没するので行ってみたら?なのだとか。
なんとも粋な老婆の説明で話がはずんだ。
とはいえ、なぜ秋田美人なんだろう。
まず考えられるのは小野小町伝説。
小野小町は平安時代の女流歌人。
彼女はクレオパトラ、楊貴妃と並ぶ言わずと知れた絶世の美女。
諸説いろいろあるが、生まれは秋田の湯沢町らしい。
なぜ彼女が美女なのかは神秘的な伝説が多い。
女官として青春を過ごした平安時代の京の街で、言い寄ってくる男たちにまったくなびかなかった。
夜の床への誘惑をことごとく拒絶するのは、穴がない女なのではないのかと、振られた男どもに揶揄され巷の噂になるほどだから笑ってしまう。
付け入る隙もなく穴もない。
だから穴のない針を小町針(まち針)と呼ぶようになったらしいが、これってほんとかいなともう大笑いするしかない。
それと百人一首の肖像画、小野小町だけは後ろを向いておりなんとも想像欲をかきたてる。
もう一つは元禄時代のルーツ。
秋田佐竹藩のお殿様に京の名門鷹司家から嫁入りがあった。
その彼女もいわゆる京美人だったらしいが、引きつれてきた数百にもおよぶ女官たちも皆美人揃い。
その後、血族継承も影響してか、この地域に美人家系か増えたのだという説。
街並みに京風も流行し、全体のレベルもアップしたのだろう。
これはある程度理解できるかも。
そんなわけで夜が楽しみになってきた。
・・・・とまあ、結論からお知らせすると小料理屋を早々に引き上げ2軒目3軒目と出撃したものの、どうも序列4番手くらいまで東京に出稼ぎ中だったみたいなのだ。
まっ、そんなもんかな。
きっと銀座や六本木あたりのあの美人たちは、みんなこの街の出身だったんだろうな。
店を出て、宿泊ホテルまで歩きながら気付いたのは、そういえば4番手以下もお肌美人であることは間違いないということ。
空気と水とお米が、美人育成に役立っていることは確かなのだろう。
さてさて、最近長旅続きで首が痛い。
ネットで調べたら良い温泉があるらしい。
しかも立ち寄りオーケーとのこと。
強首温泉かぁ、これは効きそうな名前だ。
(秋田・川反、水無月)




