記憶の中の旅日記「比較するのもおこがましいが」
田原坂 死中に活と 散りにけり
ちょっと説明。
この田原坂の文字をみると感慨深いものがある。
福岡から熊本に向かう車中、熊本に入るとすぐ森林に囲まれ、瞬間的に山の尾根の中腹に田原坂という大きな看板が見え、すぐトンネルに入ってしまう。
それくらい急な坂ともいえる。
さて郷里の先達である西郷翁は、まったく勝つ見込みもないのに、時の政府に戦争を挑み田原坂に陣をはった。
攻めてくるのは内務卿大久保利通と弟の西郷従道。
諸説いろいろあるが、おそらく西郷は不平分子を道連れにきっと死ぬ気だったんだろう。
盟友大久保の為、そして国の将来の為でもあった。
西郷の性格からして、最後の一人になるまで九州一円を逃げ回るなんて考えられない。
そこには意味があったはずなのだ。
「政府はスゴい軍隊を作ったそうじゃから練習相手でもしてあげましょかい(笑)」
死に場所を探し自分の下に集まった彼らに、武士としての最期の晴れ舞台を冗談まじりに提供した。
結集した彼らにとっては、正義とは何なのか等はもう関係なかったのだろう。
明治維新に翻弄された武士としての名誉ある死に場所を探していたのだ。
隠遁生活をしていた大将軍西郷が旗印になることによって、彼らのプライドも保てるわけだ。
武士としての死に様、西郷はその辺の思いを達観していたんだろうな。
自分の価値と人生最後の使命として。
トムクルーズの映画ラストサムライは西郷がイメージなんだという。
改めて偉大だったんだなぁと感銘しながら車窓を眺めた・・・。
いやはや、それに比べるとなんとも自分の小ささを実感する。
日々の小事に右往左往して生きている。
未だ煩悩棄てきれず・・・なわけだ。
でもまあ当たり前か!
比較するのもおこがましい。
人生って、結局自分探しの旅なんだなー。
哲学的に言うと自分の存在意味。
自分の与えられた使命とは・・・?
自我が芽生えた時、人はまず何よりも自分とは何なのか?に疑問を持つわけだ。
でも答えは中々見つからない。
思い悩み、苦しみ、あきらめ、挫折し、それでもまた何かに向かって、何かを求めて歩き出そうとする。
五木寛之の「大河の一滴」を読んでつくづく感じるんだけど、そういう風に思い悩んでいる人間の存在の百年にも満たない人生なんて、この大自然の壮大な流れから見れば、大河の上流の、さらにその支流の川の上に突き出した、小さな木の枝からこぼれ落ちる一滴のしずくにすぎないんだと。
そんなふうに大自然の壮大さを受け入れれば、やはり粛々と人生をまっとうして生きていくしかないと考えるようにもなる。
生きてるんじゃなくて生かされているわけなんだから。
存在の意味と使命を捜し求めながらも、それでも現実の本能や欲望に翻弄され生きてしまう。
それが人生なんだな、きっと。
死ぬ瞬間までその答えを探せないかもしれないし、もしかすると気付かないだけなのかもしれない。
その答えを知っているのが神のみであるのなら、召された後に聞くしかない。
「ボクはちゃんと生きられたんでしょうか?」
とね・・。
「あなたはちゃんとたくさんの人にシアワセ感を与えましたよ」
そんな天の声が聴こえてくることを期待して頑張って生きていくしかないのかな。
田原坂美少年の銅像を見上げながら、そんな感慨にふけった。
♪右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな 美少年♪
民謡「田原坂」の一節である。
そういえば昔かぐや姫の歌だったかな、変調田原坂という変な替え歌が流行ってたなぁ。
♪右手に質札 左手に馬券 豊かに生きます 未成年♪
ふと、熊本の銘酒美少年の風味が脳裏をよぎった。
さてと、まっ今日のところはこの辺でいいか!
(熊本・田原坂にて、入梅雨)




