記憶の中の旅日記「四国巡礼もいよいよ佳境」
四国を訪れる度に近場の札所を遍路して2年。
残すところ16ヶ所になっていた。
つまり72ヶ所回ったことになる。
雪が降りだし、山の頂上で「泊まっていけば!」と勧められた徳島の焼山寺。
タイヤをスリップさせながら夕闇の山道を下山したときは生きたここちがしなかった。
スーツ姿に革靴、千段近い階段を上り下りした愛媛の岩屋寺。
帰りの空港まで足がつってブレーキを上手く踏めなかった。
遍路なのか源平合戦観光ツアーなのかわからなくなった香川の屋島。
そうだ、ついでに懐かしのセカチューのブランコや堤防も見に行ったっけ。
そもそも遍路のきっかけは徳島空港だった。
降り立つと携帯の電話が鳴る。
すると仕事先からのドタキャンの知らせ。
〈もう徳島に着いてるんだよぉ~〉
心の叫びを聞きながら空港ロビーでたむろしていると遍路の一団に出会った。
話を聞くと空港の近くに一番札所があるとのこと。
ひやかし半分で霊山寺にタクシーを飛ばすことにした。
それが始まりだった。
出張の度に遍路を重ね、辺鄙なところだけが残った。
週末金曜の仕事を終え、今回は松山から宇和島・足摺・四万十を経由して高知まで。
走行距離は四百キロを超えた。
初日はどしゃぶりの雨、二日目は晴天だった。
足摺岬。
行ってみたかった場所のひとつ。
山がせまった半島の先端は絶壁ができ、土佐の荒波が大きなしぶきをあげていた。
朝日が昇ると、白い灯台がキラキラ輝き、それを見守るように金剛福寺が寄り添っている。
「なんで足摺岬ってつけたんでしょうねぇ?」
いつもの聞きたがり癖で旅館の主人に尋ねた。
いろいろ説があるんですが、巡礼中の弘法大師がこの地の雄大さに感嘆。
ここは修業の地に適していると高野山で説いた。
それを聞いた修業僧たちは、ひと目聖地を観ようとこの地を訪れたのだが、険しい山、絶壁と海の荒々しさに恐怖をなし、足を摺るように後ずさりして結局この寺に到達できなかった。
だから足摺岬になったのだという。
なるほどぉ、確かに説得力のある話だなぁ!
でもちょっと待てよ、じゃあ金剛福寺を建てたのは誰なんだろう?
その人たちは恐くなかったことになるよな。
それにその僧たちが来る前はこの岬、別の名前だったんだろうか。
考えてみれば全国、その土地土地の名前っていつ頃どんな由来でつけられたんだろう。
おそらくすべてに歴史があるんだろうが。
新たな興味心の目覚めだった。
やっぱり旅は面白い!!!!!
さーて、残すは室戸岬近辺の10カ所。
秋までには高野山にお札を納めにいきたいものだなぁ!!
(高知・足摺岬、盛春)




