記憶の中の旅日記「運動不足解消江戸散歩①」
江戸時代の赤坂紀伊国坂から紀尾井坂の辺りは、日が暮れると誰も通る者のない寂しい道であった。
ある夜、一人の商人が通りかかると若い女がしゃがみこんで泣いている。
心配して声をかけると、振り向いた女の顔には目も鼻も口も付いていない。
驚いた商人は無我夢中で逃げ出し、蕎麦屋に駆け込む。
蕎麦屋のお茶出し姉さんは後ろ姿のまま愛想が無い口調で「どうしましたか?」と商人に問い、商人は今見た化け物のことを話そうとするも息が切れ切れで言葉にならない。
すると姉さんは「きっとこんな顔じゃね?」と商人の方を振り向いた。
姉さんの顔もやはり何もなく、驚いた商人は気を失い、その途端に蕎麦屋の明かりが消えうせた。
全ては豊川稲荷の狢が変身した姿だった。
とまあ、小泉八雲の面白いのっぺらぼう話しなのだが、この紀尾井町周辺は江戸情緒もあり中々面白いところである。
さてさて江戸時代、紀伊藩徳川家中屋敷は現在の東京ガーデンテラスの辺り、尾張藩徳川家中屋敷は現在の上智大学の辺り、彦根藩井伊家中屋敷はホテルニューオータニの辺りにあった。
そのため通過する坂道を紀尾井坂、界隈全体を紀尾井町と呼んだわけだ。
この名前を付けたのはどうも井伊家と言われている。
これに怒ったのは水戸藩徳川家、徳川御三家であるかのような井伊家の勝手な振る舞いに怨念が募り、水戸藩脱藩浪士が井伊直弼を殺害するという桜田門外の変まで繋がっていくわけだ。
ちなみに水戸藩徳川家は現在の後楽園東京ドーム辺りであった。
まあ人間の欲望というか名誉欲というか、凄まじいモノがありますね。
そんなこんなで坂を登り切るとかの有名な上智大学がある。
上智、つまり智の最上位という意味だ。
すなわち叡智の集合ということになる。
そんな叡智な学生に来てねなのか、それともそれを学びにきなさいということか?
出入りする学生達の姿からは、ちょっとイメージがわかない。
いや、きっと私自身のソレを理解するだけの叡智が足りないのだろう。
上智大学の英語読みはソフィア・ユニバーシティ。
傍らの小径はソフィア通りとなっている。
まるで京都の哲学の小径のようだ。
もう一度振り返り学生達を眺めた。
どうしても皆同じ顔に見えた。
「叡智な顔立ちってどんな感じなんでしょうかね?」
誰かに訊ねたい衝動にかられる。しかし、答えも想像はできた。
「きっとこんな顔じゃね?」
笑笑、どこかで聞いたフレーズ。
歩き疲れて、ぼーっとしてはいたが、ふとのっぺらぼうの顔が頭をよぎった。
そうか、哲学って奥が深いのだなぁ~!
(東京紀尾井町、晩春)




