金と銀の国
一方、春宮は、父帝と御代がわりの儀式について、打ち合わせていた。
「では日取りは桜花の宴の後の吉日で」
「それは良いが、そなたはそんなに小さい式典で良いのか?」
「よろしうございます。今までの先例の中で、一番小さい式典でよろしうございます」
「しわい『ケチくさい』の。大饗の儀は、かかり『費用』を惜しんではならぬぞ」
「もちろんにございます。それについてでございますが、儀式は小さいものでけっこうでございますが、当日、参列した公卿、殿上人はもちろん、下級の役人、下働きの者にいたるまで、十分に禄を与えようと思います。それは、祖父の陛下と先代の陛下にいただいた私の財産で行います」
父帝はギョッとした。儀式を飾りたてるより、官人に財物を十分に与える方が莫大なかかり『費用』になるからである。派手なことの好きな父帝と源氏の君は、春宮の財力をひそかに恐れていた。
「人気取りじゃ・・・」
「そうでございます」
春宮はキッパリ言った。
父帝との打ち合わせの前、春宮は髭黒と十分に打ち合わせ、髭黒に財産の目録や遺言状を点検してもらっていた。いくつかの文書を目にした髭黒の顔が真剣になった。
「これは・・・吟味するのに、一晩いただきとうございます」
「焦ることは無い・・・」
「いえ、これは格別に重要なので、一晩で確認いたします」
「ふむ・・・」
春宮は、『御所には万が一の時のため徹夜で起きている用人がいるので』夜遅くなったら、髭黒におにぎり、おみそ汁、おつけもの、玉子焼きを出してやるよう命じると、漢方の薬を喫して眠ってしまった。
その翌朝、春宮が目覚めると、髭黒が控えていた。髭黒は「火急ゆえ」と、春宮に寝間着の上に毛皮を着せ、熱い茶一杯とまがりの水を差し出した。
「殿下はよく、御自身のことを、藤壺の宮の十の皇子への中継ぎと仰せになりますが、逆だったのでは?」
「逆とは?」
「先代さまと、先々代さま『祖父の帝のこと』は、父帝さまのことをあまり信用なさっていなかったのでは?」
「何と!!」
「畏れながら、春宮御所の予算はどうなっておりますか?」
「父帝、藤壺の宮、源氏の君は畿内に大きい荘園を持っているが、我は美濃から尾張一帯に大きい荘園を持っている。田舎と見下す者もいるが、食料が豊かで、春宮御所のかかり『費用』を十分まかなえる。そして、大きい行事の時は祖父の帝と先代の帝からいただいた宝物を使って、節約している」
「ええ、その通りにございます。しかし、先代さまと先々代さまは陸奥、甲斐、佐渡、山陰地方、九州に大きい領地を下さいませんでしたか?」
「うむ、いただいた」
「都から遠く、土地もやせております」
「そうじゃ、それ故、年貢も軽くしておるが、民の暮らしは楽でないと聞く」
「ところが、そこが宝の山だったのです。ここの辺りには金山銀山があり、莫大な富を生み出します」
「ええっ?」
「これからすぐに信頼出来る高官を派遣して調べさせますが、春宮さまが相続なさってから掘り出したものは、現地で保管しているのでしょう」
春宮は動転した。陸奥の黄金のことは話には聞いていた。かつて聖武帝の陛下が東大寺大仏を建立した権力、財力の源泉であった。
だが、春宮には大事業に黄金や白銀を使う気はなかった。
「それならば、春宮御所の財産と合わせ、とどこおっている官人たちの俸禄を十分に配ってやるが良い」
「それは、私も思っていました。即位したら、毎月お配りになるべきです。しかし、黄金、白銀はもっと便利なものでもございます」
「もっと?」
「例えば、黄金、白銀一枚で、震旦や高麗『こま』の品一つを買います。それを源氏の君や、藤壺の宮、左大臣、その他の富裕なものに黄金、白銀3枚で売るのです」
「何と!!ちと、あこぎでは?」
「いいえ、それが商売でございます」
「ふ~む・・・」
「残念ながら、今の日の本が、震旦や高麗に売ることが出来るのは、黄金、白銀、また銅や錫『すず』などにございます。しかし、殿下が経世済民の改革を行えば、日の本の商売や工業も盛んとなりましょう」
「うむ、分かった」
春宮も腹をくくった。
そして、父帝との打ち合わせの場に戻る。下級の官人たちに、すぐ、即位の礼の時に多くの禄がもらえると言う噂が流れ、期待が広がった。下級の官人に財物が行き渡れば、借財を返す者もいれば、新しい何かを買う者もいる。結果的に、市『いち』の民も活気づくのであった。
年末年始は宮中の神事『祈りの儀式』が多い。桐壺帝は治世の最後の方は春宮と母后に代行を頼むことが多かった。しかし、最後の年末年始は父帝、母后、藤壺の宮、春宮の四人で心を込めて行った。春宮は『いつも』格別真剣に祈っていた。
本当に年末の祈りの後、春宮が御座所に戻ると、一条、彩子、源氏女御が待っていた。一条が申し上げた。
「御所さま、お正月に装束を贈ること、本来、私たち一人一人が行わなくてはいけないのですが、財産が十分ないので・・・三人で・・・一着お贈りいたします」
女房が持って来た品を見た春宮の顔色が変わった。古びてしまった、時代遅れの品だが、先代の帝さまの品と分かった。
「これは・・・」
「おひいさんが、ご先代さまの形見としていただいたものらしいです。それを三人で裁縫して直しました。ご笑納下さいまし」
春宮は思わず涙をこぼした。
「そなた様たちはよく知っていると思いますが、即位の礼の時の装束は決まっています。しかし、その後の大饗の儀の時は、この装束をありがたく召しましょう。
そして、春宮は言った。
「朧月夜の時に学びました。そなたたちの装束は流行の職人に作ってもらいなされ。そして、一条は女房たち、下人たちの晴着をみつくろってやって下され」
やった!!と女子『おなご』たちは喜んだ。
桐壺帝の御代最後の年末年始は穏やかに過ぎて行った。母后と藤壺の宮も、お互いを挑発しなかった。