御成婚の行方
この時代、もちろん英語はないが、政治とはギヴ・アンド・テイクのテクニックであり、太政大臣が数日後の吉日に訪ねて来た。
一条御息所と朝顔の姫宮の同席も求めて来た。
太政大臣は三人に震旦のやきものを献上してから、願いを奏上した。
「本院さま、ご存知のように、私の母は陛下の祖父の帝さまの姫宮でした。畏れながら、陛下と私は従兄弟になります」
「うむ、そうじゃ・・・」
「それで、私の家と皇室のつながりが末長く続くように、落葉の宮さまを柏木の夫人にいただきとうございます」
本院以上に、一条御息所の顔色が変わった。三人の姫宮は十五、六になっていた。当時としては結婚しても、おかしくない年ごろであった。
しかし、「落葉の宮」を指名してきたところに太政大臣の深謀遠慮があった。
源氏女御はご不自由だったため、その姫、女三の宮は一条御息所が養育してきた。(また、今上と女一の宮も一条を母として慕っていた。)
斎院になる予定の女一の宮はともかく、落葉の宮と女三の宮のことは、一条は分け隔てなく育てて来た。
しかし、太政大臣からすると、生母が健在かつ、生母が健常者の落葉の宮しか選択肢は無かったのだろう。
そのことが分かったので、一条御息所はうれしさ一色でも無かった。女三の宮を気の毒に思う気持ちもあった。
一条自身、女三の宮のことは人一倍、気にかけていた。女三の宮が物心つき、目も見え、耳も聞こえ、意味のあることを話せたとき、胸を撫で下ろした。
しかし、朱雀院の四人の子供のうち、上三人は父の血が濃かったのか、おっとりした性格だったが、女三の宮は勝ち気、元気であった。
多くの者が献上してきた産着、子供服にしても、上三人は父帝や薄雲女院から由緒正しいと勧められたものを素直に着ていたが、女三の宮は「こんなの時代遅れ!!イヤ!!」と言い、源氏の君や太政大臣(曽祖父、元の右大臣)にもらった新しい、今様なものをお召しになっていた。
また、四、五歳ぐらいになると女三の宮は男の子『おのこ』の遊びや、道具により惹かれていた。兄宮『今上』が夕霧や柏木と蹴鞠をやっていると「私もやりたい!!」と仲間にまぜてもらっていた。
そして、兄宮が下手っぴいで、勝負などあまり気にかけない「帝王ぶり」だったのに対し、闘争心が強く、夕霧や柏木にも勝るとも劣らぬ腕前になられた。
一条自身は、女童『めのわらわ』の時から、働いてきたが、男の子の遊びとかは思いがけないことであった。
また、父帝が「お話」をなさっている時も、上三人は素直に聞いていたが、女三の宮は矛盾を指摘して、つっかかったり、「お話」も、あまり好きでは無かった。
そして、十五、六になった今も、姉二人が母親たち、朝顔の姫宮のお古で満足しているのに対し、なるべく新しいものをお召しになっていた。
流石に蹴鞠はやらなかったが、落葉の宮のように、大人しく本を読んでいると言う風では無かった。
朱雀ご自身は「罪深いこと」と、あまりお好きでは無かったが、この頃、犬や猫、小鳥を飼うことが流行し、女三の宮にも犬、猫が献上された。
女三の宮は、その猫とよく遊んでいた。
そんな中で、落葉の宮の結婚の話が出て、一条はうれしくない訳でもなかったが、女三の宮のことを思うと、胸が、ちょっと痛んだ。
それでも、落葉の宮と柏木の結婚は慶事だったので、すぐ勅許は下りた。『時代や身分のことも有り、本人の意志はあまり重要視されなかった。』
ただ、太政大臣が帰ったあと、一条は朝顔の姫宮に話しかけられた。
「落葉の宮のこと、喜ばし。しかし、女三の宮は御相手をいかがしたらよいであろうの?」
「・・・」
天皇の姫宮と結婚するには身分も高く、十分な財産もあって、皇女としての尊厳を守ってくれる相手でないといけなかった。
そして、太政大臣家以外に目ぼしい権門勢家は見当たらなかった。
一条は本院に奏上した。
「落葉の宮の御成婚はめでたけれど、女三の宮はいかがしたら良いのでしょうか?」
「うむ・・・」
「女三の宮は大切に育てて来ましたが、継子は良い所に嫁がせなかった鬼婆と皆に思われます!!」
「この御所におるもので、そのように思う者はいない・・・」
「いいえ、それが世間と言うものでございます」
流石の朱雀も苦慮した。
今日、これだけは投稿することが出来ました。夜も投稿したいのですが、よろしくお願いします。もし、夜の投稿が無かったら、明日、よろしくお願いします。いつもありがとうございます。




