さらば六条御息所
斎院と斎宮は帝がかわっても、必ず交替しないといけない訳ではなかった。
朝顔の姫宮は引き続き、斎院をつとめていらした。
しかし、斎宮は母の六条御息所の体の具合も悪いらしく、上洛していらっしゃった。
斎宮は早速、院に挨拶にうかがった。
「陛下、伊勢に下向の折、毎月、過分のものを下さり、ありがとうございました」
「いや、おひいさんこそ、大嵐の時に助けて下さったこと、ありがたし」
「陛下、なかなか奏上しづらきことにございますが、母がだいぶ危なく、遺言を奏上したいとのことでございます・・・」
「何と・・・悲しきこと・・・」
六条御息所は息も絶え絶えになって、参内した。
「陛下、見苦しき姿、お許しを・・・」
「なんの・・・」
六条御息所は顔色は蒼白くなっていたが、妖艶な美しさは衰えていなかった。
「陛下・・・非常識な遺言、女の妄執と笑われるかもしれませんが・・・娘は・・・絶対に源氏の君と結婚させないで下さい」
院は寒気、震えさえ感じたが、必死に言った。
「うむ、それについて良策がある。おひいさんは当今に入内し、皇后となられるが良い」
六条の苦しげな顔に喜びの色が浮かんだ。かえって、斎宮は切なく院をご覧になった。
院と斎宮は思い合っていたが、当今の御代を安定させるには、神事を知り尽くしている斎宮が皇后となり、神事だけでも当今は一人立する必要があった。
また、公務も斎宮が皇后になればはかどると思われた。
「陛下、ありがとうございます・・・まことに妄執と思われましょうが、姫の行く末も定まり、私は残りの月日を源氏の君と過ごしとうございます」
「そうなさいまし」
斎宮は御所に残り、六条は自分の宮殿に帰った。そして、そこに源氏の君を迎え、六条御息所は冬ごろに、お浄土に旅立った。
女子の厄年、三十七歳だった。
六条と源氏の君には気の君だったが、六条の生涯の最後の時期、さらに院は源氏の君に四十九日までの供養をするよう院宣を出した。
その間、朝議は大いにはかどった。
また、一条と彩子は斎宮女御のため、衣装、装束、道具などを宝物殿から選んだり、職人に作らせたりした。
それを時々、朧月夜がのぞきに来た。中納言の姫である女御は、朧月夜からすると、姪にあたるので、皇后の位をめぐる争いで、有利になるよう偵察しているのだった。
ただ、斎宮女御は母の喪に服しているため、入内するまでには一年ほどの時間が経った。
その間、当今は、院の御指導により、公務と神事をだいぶやれるようになって来た。
見かけも、十二の春には、十六、十七ぐらいにお見えだった。
しかし、院は当今の内面を豊かにするため、院一家と当今を一緒に生活させた。
ある夏の月の夜、餅菓子を盛った台と茶、まがり一杯の水を前に、院は当今、春宮、夕霧に、例の野犬に喰い殺された姫宮の話をなさっていた。
「そして、姫宮は野犬に喰い殺されてしまったのじゃ」
「ぎゃあぎゃあ」
院の右手にすがりついていた春宮が泣き声を上げた。
「バカだなあ、こんな話、そらごと『嘘』だよ」
春宮の右にいた夕霧が強がったが、その声は震えていた。
当今は院の左手を握っていた。院の左半身は不自由なので、分からないと当今は思ったのかも知れないが、院の左半身には感覚はあった。
当今は院の左手を強く強く握っていた。
彩子が抗議した。
「そのようなほら話、おやめ下さいまし。春宮は真に受けて怖がっているではありませぬか」
「ほほほ。しかし、世の中には恐ろしい事があることを知っておらねばならぬのじゃ」
その後、皆、寝室に向かったが、一条は当今のところに二つのまがりと震旦の薬を持って参上した。
院の指示により、毎晩、漢方薬を服用。もう一杯は夜中に目が覚めた時のためだった。
当今は薬を飲み干すと、一条にお尋ねになられた。
「さっきの野犬の話はほら話ですよね?」
一条は苦笑いした。
「私は女童『めのわらわ』の時から、御所さまにお仕えいたしておりますが、幼い時から、手のつけようのないホラ吹きにございました」
それを聴いた当今は安心して、微笑むと、眠りについた。
また、院は公務の前後の時間に、当今に公地公民、律令国家の仕組み、歴史、何故作られたのか、どんな働きをしたのか、しかし、今は何故、働かなくなってしまったのか、どう改革していかないといけないか、説明なさった。
そして、院の存命中に多分、改革をやり終えることは出来ないだろうが、その時、当今が春宮を指導していかないといけないこと、実務は髭黒を頼ることなどもご指導なさった。
当今は、もともと、利発で、よく話を飲み込んで下さった。
また、六条御息所の喪中の朝議は摂政家中心にはかどった。
源氏の君は喪が明けたら、すぐ、斎宮女御を養女として入内させようと考え、朝議そっちのけで準備していたからである。
(ちなみに、六条御息所の遺産、六条の宮殿は斎宮女御が相続した。)
ある日、本院、当今、斎宮女御は源氏の君に梅壺『宮中の建物』に招かれた。
源氏の君は一流の画家を集めて、障壁画を描かせ、一流の歌人に歌を詠んでもらい、一流の書家に書いてもらっていた。
源氏の君は本院に尋ねた。
「兄上さま、この秋の絵は特別に美事でございましょう?」
「うむ・・・」
秋の夕暮れの山。その上を、雁であろうか、鳥が飛んでいた。
「本院さまは知る人ぞ知る名手。何か歌をつけていただけないでしょうか?」
「・・・」
院は少し案じて、「春がすみ」と呟かれた。
源氏の君は噴き出した。そして、耐えきれず、大声で笑い出し、その場の者も笑い出した。
当今と斎宮女御は不快そうな表情を見せた。
しかし、本院は動じず、源氏の君の笑いがおさまった時に、一気に歌った。
「春がすみ、かすみて去『い』にしかりがねは今ぞ鳴くなる秋霧の上に」
ワッと歓喜の声が一座から上がった。
少し年をとっている者は、愚かを装っているが、ここぞと言う時、必ず失敗しない御方だった、と感心していた。
当今、源氏の君、その他の官人も本院の手で、扇に「春がすみ」の歌を書いてもらおうと並んだ。
その時、本院は皆に気づかれぬように懐紙をたたんだものを斎宮女御の前にそっと落とした。それを開いた斎宮女御の瞳からドッと涙があふれた。
「さしつぎに見るものにもが万代を黄楊の小櫛の神さぶるまで」(引き続き拝見したいものです。斎宮女御の幸福な結婚生活を。はるか未来までを告げことほぐ黄楊の小櫛も神さびて古くなってしまう未来まで続く幸福を)
斎宮女御は即座に、近くにあった筆で、返歌を書いた。
「別るとてはるかに言ひし一言もかへりて物は今ぞ悲しき」(都と伊勢に別れると言って、はるか昔にあった一言も、かえって今はとても悲しうございます」
本院と斎宮女御、思い合っていながら、皇統を守るため、別々の道を行くのであった。古代なる『古風な』二人であった。




