院政開始
帝は在任中、最後の桜花の宴で、高官から下級の役人にまで、たくさんの禄を与えた。
そして、その数日後、弟宮の即位を見届けられた。
以後、帝から本院または、朱雀院と、この方をお呼び申し上げる。
朱雀が大内裏から仙洞御所『太上天皇の宮殿』に行幸なさる時、都の人々の「万歳、万歳、上皇さま万歳!!」と言う歓喜の声が轟いた。
仙洞御所は、そんなに飾り立てられておらず、ただ清潔にしただけであった。
ここで余生を過ごすのじゃ。小説もたまっておる。
ところが、楽隠居の夢は一ヶ月も続かなかった。十日、いや、一週間であろうか?新しい朝廷の者が院に泣きついて来たのである。
主には源氏の君と、めったに表に出て来ない存在だが、神祇官が泣きついて来た。
公務も、神事も、はかどっていなかった。
院は、一条、彩子、源氏女御、母后、髭黒を連れて参内した。
まず、公務を拝見したが、これはいかぬ、と院は嘆息した。
摂政(元の左大臣)と内大臣(源氏の君)が手伝っていたが、葵の一件以来、仲が悪くなっていたため、二人が張り合ってしまい、混乱が生じていた。
また、当今(元の十の皇子)には二人の女御がいたが、二人ともお嬢様で助けにならなかった。
一人は中納言(元の頭の中将)と四の君の間の女御である。
もう一人は薄雲女院の弟、兵部卿宮の姫君であった。
院は、公務には玉璽『天皇のはんこ』を使うので、摂政と内大臣は同席を遠慮するよう言い渡した。
そして、髭黒に書類を整理させ、院は帝を、母后と彩子は女御たちを補佐した。一条と源氏女御は私的な書類を引き続き、担当することになった。
一条はうれしいような、悲しいような気持ちだった。
神事も同じようなものだった。
当今は有職故実『しきたり』に外れないようにと言うことに必死で、「祈る」と言う気持ちの真剣さが足りなかった。
これは我の手落ちであったかも知れぬ。院は思し召された。院としては、天皇家の血が濃い帝こそ理想的であると思いこんでいらした。
しかし、当今は「民」や「世の中」を、ほとんど知らない「お坊ちゃま」になってしまわれた。
院の場合は、母后の右大臣家、左大臣家とも親戚で、下々のこと、世の中のことも、自然と耳に入ってきた。
キレイな言葉ではないが、「耳年増」なところがあった。
院一家は、当今一家と寝食を共にし、いろいろなことの心がまえを伝えることにした。
その中で、うれしい出会いが一つだけあった。高官の幼子で、御所に出入りする殿上童に、特別、美しい子がいた。
「そなた、夕霧か?」
「そうでーす」
「いくつになられた?」
「七つでーす」
そこに、花散里夫人もやって来た。
「御所さま、私は源氏の君の夫人を辞めました。夕霧殿の母になったのです」
朱雀は微苦笑すると、右半身で夕霧を抱いた。
院が御所に帰還したことで、中級、下級の官人は文書なども、院がご覧になること前提で、したためるようになった。
また、三条の薄雲女院も御所に参内するようになり、髭黒に財産目録を預けた。
「桐壺帝と先先々代からいただいた皇室の財産ですが、本院さまほどございません。お助けを」
髭黒が調査すると、西日本の大災害で損なわれてしまった所も多く、新しい朝廷の予算のいくらかも朱雀の財布から出すことになった。勢い、朱雀の発言力は強まった。
さて、またまた筆者が拙い故、書き忘れるところだったが、当今『十の皇子』の即位と同時に、彩子の若宮が新しい春宮に定まった。御歳は六つであった。
彩子は歓喜の絶頂にいた。
そして、夕霧は本来、当今のちょっとしたお世話のため参上していたのだが、春宮は夕霧を「おにい」と呼んで、なつき、源氏の君もまんざらでもないようだった。
また、朝議の場から、桃園式部卿宮(朝顔の姫宮の父)は引退した。
高齢のため出家を願ったが、朝廷に万が一のことがあった時のためと朱雀はお許しにならなかった。
ただ、朝議は引退し、代わりに兵部卿宮が朝議に加わったが、源氏の君と摂政、中納言親子が反目し、混乱は続いていた。
院はお待ちになられていた。この混乱をおさめることの出来るお方をお待ちになられていた。
それは伊勢の斎宮であらせられた。
いつも読んでくださる方、ありがとうございます。明日からの一週間なのですが、月曜日と火曜日は平日ですが、一話は更新出来ると思います。水曜日、木曜日、金曜日も更新したいですが、絶対出来るかは保証出来ず、お許しを。土曜日、日曜日は、なるべくたくさん更新したいと思います。よろしくお願いします。「いく久しう」(・・;




