夢はうつつ、うつつは夢
そして帝は少し休まれたが、疲れと精神的衝撃のためか、不思議な夢を続けて見た。
帝は幼子に戻っていた。そして、祖父の帝の胸に抱かれていた。
「ほほほ、そして、ある古の帝の孫の姫宮は真冬の夜の街に使いに出たのじゃ。しかし、あやまって真冬の河に落ち、凍えているところを野犬たちに喰い殺されてしまったのじゃ」
「ぎゃあ、ぎゃあ」
「陛下、おやめください。そのようなほら話。みこは純粋ゆえ真に受けているではありませぬか?」
抗議したのは母后だった。
「ぶほほ。しかしの、世には恐ろしきことがあるのを知っておらねばならぬのじゃ」
祖父の帝は愉快そうに仰せになった。
その次は、帝は少し年を重ねて、先々代の帝の傍らに控えていた。
「そうして、かぐや姫は月の都に帰って行ったのじゃ・・・ところで、月の都の者がかぐや姫は罪を犯したと申したであろ。何の罪を犯したか分かるか?」
「何の罪・・・思いもかけませんでした。殺生とかですか?」
「ぐふふ。不義密通じゃ・・・」
「ふぎみっつう?」
「陛下、おやめ下され。この子は源氏の君と違って格別におぼこいのですから」
「ぼほほ。しかし、この世には不条理と言うものがあることを知らねばならぬからの」
「ふじょうり?」
「そうじゃ、この世を豊かにしてくれるものじゃ・・・」
最後の夢は先刻のことだった。いや、そんなことは無かったのかも知れぬ。夢幻だったのかも知れぬ。
髭黒に問われた。
「陛下、あの雑穀の粥を食べている少年と中年の女がございましょう」
「うむ」
「親子に見えるかもしれませんが、あの少年も、女も家族を皆失ったのです」
帝は短い悲鳴をあげた。
何故?何故、我らはいろいろな苦しみを受けねばならぬ?いつ、何故、どこから、我らはやって来て、生老病死の苦しみを受け、どこへ去らねばならぬ。
「陛下、陛下」
母后ではなく、彩子であった。
「うなされていらっしゃいました。これをお飲み下さい」
帝はまがり一杯の水を飲んだ。夏なので、まだ明るがったが、申の刻(午後4時ぐらい)だった。
「後宮に避難している者は息災か?」
「ええ、斎院さま(朝顔の姫宮のこと)が仕切っています。年配の者は横になっております」
彩子は少し声をひそめた。
「桃園の宮さまが亡骸を早く片付けたことが偉いと仰せになっていましたが・・・火葬の匂いがいたしませぬか・・・大寺院の庭で燃やしているようです」
「・・・広間へ行かねば・・・上着を着せてたもれ」
帝は広間に戻って来た。
「陛下、各地から知らせが来ています。嵐は、九州の南から中国『山陽・山陰』地方を通って、都を直撃し、北陸の方を進んだらしうございます」
「うむう・・・」
帝は困って絶句した。今は過疎地域だが、この時代は北陸は都に近く、自然が豊かで、農水産品も豊富で、経済を支えていた。
「しかし、不幸中の幸いと言うべきか、陛下の荘園の多い東海地方はあまり被害を受けていないようです。多分、東国や陸奥も、あまり被害は受けていないでしょう。無事だったところから北陸に食糧を運ばせなさいまし」
その時、宰相中将も奏上した。
「こんな時にあれですが・・・源氏の君はご無事でした」
しかし、その表情は苦虫をかみつぶしたようだった。
「何かあったのですか。奏上なされよ」
髭黒が代わりに奏上した。
「在原行平中納言の宮殿は雷が落ち、全焼してしまったそうです」
「何と!!」
「ところが、源氏の君は悪運の強き御方。もともと、明石の地に、かつての桐壺の更衣の従兄である富豪が住んでいて、そこに移っていたらしうございます」
「良かったではないか」
「それが良くないのです」宰相中将が言った。
「源氏の君は、そこの明石の君と言う姫君とわりなき仲になり、その姫がはらんでいるので、上洛も出来ないらしいのです」
「・・・」
帝は、もう何も仰せにならなかった。
「御所の食糧は?」
「だいぶ配りました。陛下の黄金と白銀で、摂津や福原の蔵町の食糧を買い、運ばせております・・・しかし、民は逞しき者。避難している民に物を売る者もおれば、小屋などを建て直している者もいます」
「さようか・・・」
また帝は思索にふけった。
しかし、気付くと髭黒と宰相中将に仰せになった。
「卿『けい』らも休んでいないであろ。今夜は休まれよ。我は大納言や中納言と宿直『とのい』いたす」
酉の刻『午後6時ぐらい』に髭黒と宰相中将は退出したが、帝は「源氏の君が無事だったことは後宮に伝えよ。明石の君のことは申してはならぬ」と釘をさしておいた。
次々、各地から使いが来た。帝は直々に手紙をご覧になった。国司や荘官が優れている所では、もう、ある程度、手を打っている所もあった。しかし、令和の日本では考えられないだろうが、十世紀ぐらいの日の本に限らず、震旦や高麗、天竺、ヨーロッパなどでは、大災害、戦、疫病などで村全部が消滅してしまうことは決して珍しいことではなかった。
○○村が全滅したらしい。○○荘はなくなってしまったようだ、と言う知らせはいくつもあった。
髭黒は真夜中、子の刻(午前0時)には戻ってきた。帝はとりあえずの応急処置を命じてから、髭黒とやや長く話し合った。
平安時代の日本は西高東低で、都に近く、震旦、高麗ともやり取りのできる西日本の方が豊かだった。
だが、同時に東海地方以東の土地もどんどん豊かになり、後の世の武士の台頭を準備していた。
そして、西日本の大災害を受け、帝は西日本の荘園の年貢の一年停止を決断なさろうとしていた。
西日本の良い土地は源氏の君、薄雲女院、太政大臣、左大臣が持っていたが、一年間は年貢を減免。
その代わり、それぞれの者が、おのれの荘園の回復、保養につとめるのであった。
そして年貢を減免した分の国の予算は帝の黄金と白銀でまかなうこととした。
「商売をやっておいて良かったですな」と髭黒が軽口をたたき、帝は微苦笑を浮かべた。こんなことは予期していなかったが、富をたくわえていたことには意味があった。
三日、四日、たつうちに御所の前庭に避難していた民や、住居が比較的無事だった中級、下級の公家は去って行った。
幸運な者は自宅に戻り、地方へ落ちていく者もいた。
帝の積極財政のおかげで、すぐ屋敷を建て直す者もおり、元気な者は、男も女もすぐ働きに出かけた。
太政大臣、左大臣、桃園式部卿宮も朝議に戻った。宰相中将、四の君、大宮も一端、屋敷に戻ったが、朝顔の姫宮と薄雲女院は、都がまだ騒がしいため、念のため、御所に留まった。
東宮は母親『薄雲女院』と過ごせることを喜んでいらした。
朝議が断続的に再開した後、帝は薄雲女院、太政大臣、左大臣、宰相中将、桃園式部卿宮、朝顔の姫宮を集め、西日本の荘園の年貢の停止について打診した。
決して悪くはない話なのだが、重苦しい雰囲気が流れた。
皆が無意識的に、西国と東国の逆転、武者の台頭を予知していたからであろうか?
また、少し落ち着いた時、帝は宮中の楽人『音楽の演奏家』をお召しになった。
「そなたたちの中にも、粥を作るのを手伝っていた者がいるのですね。かたじけない。ありがとう。しかし、この度の災害は諒闇の年より深刻じゃ。そなたたちは洛北の嵯峨野で今年の残りは過ごし、修業して欲しい。今年の残りは、歌舞音曲は控えることとなろう」
楽人たちは涙を流したが、洛北の嵯峨野の大きい寺に疎開した。
帝は、黄金、白銀、米、茶、からくだものを十分贈った。




