現人神『あらひとがみ』
一方、後宮に避難した者たちのところに箱崎が参上した。朝顔の姫宮に申し上げる。
「あの、このような時なので、ちゃんとした御膳は御用意出来ませんが、軽い食事を御用意しました。お召し上がりを」
「うむ」
大きいお皿におにぎり、玉子焼き、小さい皿におつけもの、あとあつものは一人一人の椀に入れてあった。
朧月夜がおにぎりに手を出そうとしたが、朝顔の姫宮に止められた。
「今は非常時、陛下にご迷惑がかからないよう整然と行動しなければ、ならぬ。私が指名する順におにぎりを二つずつ取るように。母后さま、薄雲女院さま。東宮さま、承香殿さま『彩子のこと』。若宮と姫宮の分を一つずつ取りなされ。源氏女御、一条、お二人も姫宮の分を取りなされ。八の宮、太政大臣、朧月夜」
意外と早く順番が回ってきて、朧月夜はホッとした。また太政大臣は「わしは二つも食べられぬ。おひいさんが食べなされ」と一つを朧月夜に与えた。
「左大臣、大宮、四の君」
大宮と四の君は、宰相中将が前線で働けているのか、不安に思った。
「紫の女王、花散里夫人、麗景殿女御、末摘花女王」
それより下位の人にも食事が配られた。
彩子は若宮と姫宮に食事をさせていた。彩子はおにぎりを一口かじり、やわらかくかみくだくと、離乳食のように若宮に食べさせた。玉子焼きも。そして、自分の分を少し食べると、太政大臣や左大臣もいるのに気にせず、乳房を出すと、姫宮に乳を与えた。
一条と源氏女御も同じように乳房を出し、乳を与えた。
左大臣家の四の君にも柏木と紅梅と言う赤児がおり、乳を与えた。
それを目撃した朝顔の姫宮は、一瞬、驚いた顔をし、一瞬、悔しそうな表情にも見えた。
そして、大広間では必死の作業が続き、朝を迎えようとしていた。夏の早い朝。台風一過の朝だった。
それは、現代人からしたら偶然と笑うだろう。また、帝も夜明けを見計らって、民の様子をご覧になろうとしたのである。
しかし、古『いにしえ』の民の眼にはこう映ったのである。
帝が広間の端で民をご覧になろうと、立たれた時、空に残っていた雲も去り、黄金の光の束が御所の前庭に落ち、空には虹もかかった。
「現人神『あらひとがみ』じゃ!!」
「活仏『いきぼとけ』じゃ!!」
民は興奮し、叫んだ。老人たちは正座し、帝を拝んだ。武者や検非違使は民が前に出過ぎないように隊列を組んだ。
そして、帝は驚き呆れていた。しばらく、民を眺め、静かに髭黒のところに戻ってきた。
「ご神威でございますな」
「ふざけるでない」
「そうじゃ、都の市中はたいへんなことになっておる」
宰相中将が奏上した。
「都の中でも死人が出ているようです」
「今こそ、寺社を働かせる時じゃ」
髭黒が言った。
「真夏ゆえ、大寺院に命じ亡骸を集めさせ、供養をさせなさいまし。神社は死のケガレを嫌うので、住み家を失った者たちを敷地に引き取らせ、めんどうを見させなさいまし」
多くの者が亡くなったことを聞こし召した帝は脇息に寄りかかり、涙した。しかし、髭黒に叱咤された。
「陛下、これは都だけの話ではありませぬ。恐らく西日本全土に被害は広まっておりましょう」
そこで髭黒は帝に奏上した。
「しかし、陛下は珍しく徹夜なさいました。少しお休みを・・・」
帝は大広間のそばの小さい部屋にうつった。
すると「御所さま」と声をかける者がいた。一条だった。「少しお召し上がり下さいまし」お膳におにぎり、おみそ汁、玉子焼き、おつけもの、茶、からくだもの、まがりに入った水がのせてあった。
しかし、それを脇に置いて、一条は帝にすがりついた。
「御所さま、大嵐に襲われている時、弟宮さま(十の皇子と八の宮)と女院さまが、御所さまにすがりついておりました・・・耐えておりましたが、私もすがりつきとうございました」
帝は一条を抱きしめ、仰せになった。
「許してたも。我は帝として、この身は公のもの。しかし、そなたらのことを忘れることがあろうや」
帝は姫宮を抱いた。
「そなたたち、子供たちのため、皇国『すめらみくに』を立て直さねばならぬ」
実はその時、彩子も小部屋の外にいた。若宮と姫宮を連れて。あれ、一条殿に先をこされてしまった。これは一つ貸しじゃな。
一条は奏上した。
「そう言えば、私、陛下の勅に背きました」
「ほう」
「茶は薬ゆえ、全て民に下すように言われましたが、陛下の数日分を残しておきました」
帝は声をあげて笑った。
「しかし、すぐに福原や摂津から届けられるそうです」
帝は一条の手を優しく撫でた。




