嵐が来る
また、都の大きな動乱は地方にも伝わり、伊勢からも使いが来た。
帝は斎宮と六条御息所に不足、不安がないように伊勢に近い南濃『美濃南部』、尾張西部からも十分に食糧を送らせていた。斎宮からは、毎月、お礼の文が来ていたが、久しぶりに六条御息所からも文が来た。
「愛執と笑われるかもしれませぬが、源氏の君が流されたとうかがい、動揺がおさまりませぬ」と帝への文があり、別に源氏の君への文があった。
帝は食糧などと一緒に、その文を須磨に送ってやった。
恋人がいなくなってしまった朧月夜は、ちょくちょく御所を訪ねた。
一条は帝の姫宮を産んだことで、御息所の称号を与えられ、立場が強くなり、朧月夜にイヤミを言った。
「源氏の君も、おさみしいでしょう。おひいさんは暇を持てあましていらっしゃるようですし、追いかけられては?」
「嫌じゃ。嫌じゃ。あんなど田舎、誰が行くか」
朧月夜はやはり長年筋金入りの意地悪で、一条御息所に反撃して来た。
「中務と中将と言う女房がおりましょう」
「ええ」
「殊勝げに、振る舞っていますが、あの二人は源氏の君の召人『めしうど』ですぞ」
「えっ!!」
それを聞いた御息所はイヤーな気持ちになった。二人を追い出そうかと、思ったが、帝と彩子に相談した。
「別にいいであろ。お相手もいないのだし」
彩子は言ったが、一条は
「でも、気持ち悪いのです」
と食い下がった。帝は「直接言うと、向こうも気を悪くするであろ。花散里夫人に中将と中務は、一条の御前に出仕しないよう遠回しに伝えよ」と仰せになった。
そして、二、三ヶ月たった真夏、梅雨明け、帝は宰相中将(もとの頭の中将)をお召しになった。
「宰相中将よ。一年の一番厳しき折に心苦しいが、須磨に下向し、源氏の君の様子を監視し、報告して欲しい」
「はっ、かしこまりました」
甘やかしているかも知れないが、十分な白米と唐宋伝奇の小説本を土産に、宰相中将を須磨に向かわせた。
中将は一週間ほどで戻って来た。黒馬を連れて。
源氏の君のことを聞こうと、多くの高官、大官が集まったが
「源氏の君はご壮健でした。一応、反省の態度で過ごしていますが、さほど苦しんでいるようにも見えませんでした」
と中将が報告し、帝はホッとした。落胆している者もいた。
中将によると、源氏の君は午前中は写経をしたり、念持仏を拝んだりしているらしかった。しかし、午後から夜は自由に過ごしているらしかった。
都から下向した時は最低限のものしか持って行かなかったが、双六、弾棋などの道具、琴、琵琶などは地元の豪族に中古『ちゅうぶる』のものを譲ってもらったらしかった。
「もっとも、双六や弾棋は賭けが面白いのでございます。対等な相手がいないので、退屈しているようでございます」
それより、食いしん坊の帝は源氏の君の食生活を聞いて、色めき立った。
「都にいる時、陛下の食養生を殺生などとそしっていたのに、新鮮な魚をたくさん食べていました。刺身、と言うものがあり、新鮮な魚を生で刻んで、食べるのです」
源氏の君によると、刺身に当たったことがあるらしい。「それは虫『アニサキスか?』だべ。お水をたくさん飲んで、寝ていれば治るべ」と言われ、帝からいただいた胃腸の薬と水を飲んで寝ていたら治ったらしい。
刺身の他にも、多くの魚を煮たり、焼いたりして食べているらしかった。帝はゴクンとつばを飲んだ。
京の都は内陸だったため、比較的新鮮な魚は晩秋から真冬、そして初春ぐらいまでで、夏は川魚しか食べられなかった。
源氏の君は配所で、かえって良い暮らしをしているようだった。
「何か欲しがっていましたか?」
「紙背文書で良いので、紙が欲しいそうです」
帝は髭黒に命じて、いらなくなった公文書を集め、贈った。
黒い馬は源氏の君からの献上品らしかったが、そのまま宰相中将にほうびとして与え、さらに絹などもお与えになった。
源氏の君のことは何とかなりそうだったので、帝は太政大臣『もとの右大臣』、左大臣、宰相中将、桃園式部卿宮と荘園の整理についての朝議を進めた。
予想していたことだったが、いろいろ混沌としていた。
例えば、太政大臣や左大臣が若かった時、寄進を受けた荘園で、領主が亡くなってしまったあと、新しい領主が源氏の君に改めて寄進している二重の所有権がある荘園があった。
また、公地公民、律令国家成立以前の天皇や聖徳太子に寄進したなど奇想天外な荘園もあった。
一応、より巨大、より重大な荘園から、権利書をもとに話し合いを進めたが、「うむ、これは我の生きているうちには終わらぬの」帝は嘆息した。
他にも帝を悩ませることは多かった。
神社仏閣は「歴代の聖賢『天皇のこと』に認められた免税特権がある」と、荘園の目録の提出自体拒むところが多かった。
神社には神人『じにん』、仏閣には僧兵と言う武力もあり、温厚な帝の下では何とかおさまっていたが、はるか後には朝廷と、何度も緊張関係に陥った。
「残念ですが、宗教とはあまり対決せぬことです」と髭黒が奏上した。
「その代わり、門前町を作らせ、そこから年貢をお取りなさいまし」
「なるほど」
公務多端により、母后と彩子は、より重要な書類も扱うようになった。
一条も、手紙を書く量が多くなった。
そして、源氏女御は以前から絵が上手であったが、公的でない手紙にちょっとした絵を入れてくれ、婦人たちに好評であった。
「帝と言うのは、こんなに忙しかったかの?」と母后は愚痴をもらした。
中級、下級の官人たちも、給料をもらえるようになって、よく働いていた。
そんな都を文字通り揺るがす事件が起こった。源氏の君が須磨に下向した翌年の夏だった。




