三人の姫宮
師走(12月)、門院が落飾したと言う話も、すぐ都をかけめぐった。かわいそうと言う声も聞こえたが、下役人や都衆は自分たちとは関係のないことと思っていた。
そして、諒闇『りょうあん』の年『帝の親が崩御した年』が終わっての年末年始、一周忌や法華八講で禄が十分配られたので、市は活気づいていた。
帝も一年ぶりに大みそかから、一月四日までの神事をつとめた。
そして、四日の夜、帝一家は疲れ果てていたのだが、源氏の君の女君『夫人たち』が御所を訪ねた。
花散里夫人、末摘花女王、また麗景殿の女御『この方は厳密には夫人ではない』だった。
花散里夫人が挨拶を奏上した。
「御所さま、あけましておめでとうございます。新年からご迷惑をおかけいたしますが、我らをしばらく、御所に置いて下さいまし。あの事件より、源氏の君はずっとおかんむりなのです」
帝は脇息にもたれかかり、ため息をついた。
「源氏の君は我を恨んでいるであろ」
「はい。女院さまの落飾は御所さまのさしがねだろうと日記に書いていました」
末摘花女王の言葉に花散里夫人と、麗景殿女御は慌てて遮った。
末摘花女王は祖父の帝、先々代の帝とも、また違う皇統の常陸『ひたち』親王の姫で、父も和歌の研究をする学者肌の人だったので、女王も良くも悪くも、浮世離れしたお方だった。
そして、花散里夫人、麗景殿女御、末摘花女王の御三方は、失礼ながら、朝顔の姫宮、朧月夜、葵の上、六条御息所のような最高の貴婦人に比べると、ん?となるかんばせ『顔』だった。
しかし、帝も他人様の顔のことを言える立場でもなく、「ゆるりと滞在するが良い。我らは広い意味での『家族』なのだから」と仰せになった。
その後、松の内は高官、大官の来訪が続くのだが、そこにも二条東院『源氏の君の御所』の女君は控えていた。
その様子に、高官、大官たちは帰宅してから、「源氏の君は最近、落ち目じゃの。昔は輝いていたが、父帝さまの七光りだったのかの?」と噂した。
朧月夜も派手な晴着で来訪したが、「そなた様のところにいらっしゃっるのか?」と帝がお尋ねになると、「いいえ、うちにもおりません」と心外な感じで、お答えになられた。
そして、松の内に、帝の妃殿下たちと、二条東院の女君たちは、食膳を共にし、双六や弾棋で遊び、和歌を詠み、香を調合し、楽器を演奏して、遊んでいた。
源氏の君が挨拶に参内したのは、松の内も過ぎてしまってからで、「病臥ゆえ」と奏上したが、あながち嘘とも思えない、やつれぶりだった。
父帝が崩御し、藤壺の宮も落飾したので、両親を失ったも同じである。
しかし、その日、祝いと別れの膳をともにすると、二条東院の女君たちは帰って行った。去って行った。
その年の大きい事件は二つあった。
朝顔の姫宮が斎院に就任したことと、后妃たちの出産であった。
美しく、地位が高く、有職故実・神事に造詣の深い朝顔の姫宮が賀茂の斎院となることは、おおむね、都の上から下まで大歓迎で、迎えられた。
吉日、朝顔の姫宮は帝に、就任のご挨拶にうかがった。
「陛下の御代の安泰を願い、心を込めて尽くします」
一条、彩子、源氏女御のお腹は大きくなっていた。三人と母后は、朝顔の姫宮をまぶしく仰いだ。
源氏の君も、対面をこうたが、不吉な先例があるので、とつっぱねられた。
朝顔の姫宮の斎院就任の賀茂祭は盛大に行われた。
今回は、大きい争いはなかったと聞き、帝はホッとしていた。
帝の御即位以来、都は活気づき、都周辺の国はもちろん、東海、北陸、山陽、山陰、四国などからも物が流れ込んだ。
そして、暑い頃、后妃たちは次々と出産を迎えた。
最初は彩子が産所に入った。二回目も安産だった。
「姫宮であったであろ?」と彩子に言われ、一条は驚いた。確かにそうだったからである。
一条はうなずいた。彩子は安堵のため息をついた。
そして、彩子が産所から出ると、一条のお産が来たが、こちらは難産だった。彩子と源氏女御が励ましてくれたが、その声も耳に入らないぐらいだった。
この世には、正と負の法則と言うものがあると申す。正、幸福と負、不幸はみな同じになると。
私は田舎の百姓のように、泥にまみれて鍬を持つこともなく、海辺の女のように陽に灼かれて海藻や貝を拾うこともなかった。キラキラした御所に住まい、時代遅れとか悪態をつきながら、高級な品に囲まれて過ごした。
その莫大な正を帳消しにするため、葵さまのようになるのかも知れぬ。
一条は涙した。
しかし、体が少し楽になったと思った時、フギャフギャと赤子の泣き声が聞こえた。
「姫宮じゃ!!」「ひーめー」彩子と源氏女御の声が聞こえた。
一条の全身は安堵に包まれた。
彩子には言わなかったが、帝と源氏の君の確執を長年眺めていて、男皇子は生まれて欲しくないと、一条は思っていた。
産んでしまうと、一条の回復は早かった。そして、源氏女御のことは一条と彩子が、よく気をつけていて、一ヶ月ほど後に産所に連れて行った。
源氏女御は産みの苦しみで、暴れていたが、やがて姫宮が誕生した。
帝は三人の姫宮に恵まれたのである。三人の后妃も無事であった。
祝いの者はひっきりなしにやって来た。最初は太政大臣(もとの右大臣)であった。
「姫宮さまたち、ひいオジシですぞ」
太政大臣は(若宮もふくめて)四人のひ孫を得て、笑みくずれていた。多くの豪華な産着を持参していた。また、帝には「お約束していたものです」と、荘園の財産目録を献上した。
宮中の人は、太政大臣のことを「やはり、轟運の男」と呼び、双六『現代とは違う遊び』のサイコロをふるとき、「太政大臣、太政大臣」と唱えた。
次には源氏の君、花散里夫人、麗景殿女御、末摘花女王がやって来た。源氏の君も産着。また后妃たちに震旦から輸入した調度品など、いろいろ珍しいものを贈った。
女君たちは、「まあ可愛い」と、姫宮たちを抱っこした。珍しく、源氏の君との間に優しい時間が流れた。
左大臣、宰相中将(もとの頭の中将)、桃園式部卿宮、その下の高官、大官たちも祝いの品を持って、参上し、荘園の財産目録を提出するものが多かった。
主だった公卿の祝賀が終わった後、三条の薄雲女院より使いが来た。
「尼のような不吉なもの、縁起でもないかも知れぬが、姫宮を拝見いたしたし」
「不吉などとんでもない。お越し下され」
薄雲女院は参内した。「質素に暮らしておる故、新品でなく申し訳無いが・・・」しかし、その産着は先々代の帝のゆかりの品で、帝はありがたく、おしいただいた。
姫宮を順番に抱いた薄雲女院は、誰にともなく、「女子『おなご』の一番幸せな時じゃ」と仰せになった。




