第十五話 亀と妻のいない世界
気付いたら、家でうつ伏せていた。
どうやって帰ったのかわからない。
あれからどのくらい経ったのかもわからない。
ただ、わかるのは。
彼女がもういないということ。
おまけの時間は終わったということ。
時折、誰かが姿を見せる気がする。
誰かはわからない。
彼女ではないことだけはわかる。
何故彼女はいないのだろう。
何故彼女がいないのに俺は生きているのだろう。
わからない。わからない。
左手の先にあったあの手がない。
彼女の手を探して手をのばすと、薬指の指輪に気付いた。
俺と彼女の涙から錬成した、お揃いの指輪。
彼女が確かにいた証。
愛おしい、俺の唯一。
助けた亀がくれた、俺の妻。
彼女は、どこに行ったのだろう。
迷子になっているのならば、探しにいかなくては。
彼女の帰る場所は、俺のところなのだから。
「――なんてザマだ」
不意に聞こえた声に顔を上げる。
亀がいた。
偉そうに俺を見ている。
「――黒陽…」
久しぶりに名を呼んだ。
そういえば、最初は名を呼んでいた。
水脈の件を上申するのにエラいさん方に会うようになった頃から「別の呼び方にしたほうがいい」と黒陽が言い出した。
「もし誰かに聞かれたら、マズいことになるかもしれない」と言って。
すぐに彼女の今生の家族のことだとわかった。
だから「じゃあ『亀』で」とその場で決め、それからずっと『亀』と呼んでいたんだった。
「シャンとしろ! 情けない」
久しぶりに亀に怒られた気がする。
「起きろ! 座れ!」
もそもそと起き上がり、正座する。
「何だ! ひげも髪もボサボサじゃないか! だらしない! 姫が見たら嫌がるぞ!」
その言葉に衝撃をうける。
姫君に嫌がられる?
それはいやだ!
そこまで考えて、気付いた。
姫君がいない。
「――姫君は…?」
「――無事、天に送った」
黒陽の言葉に、全身の力という力が抜けた。
「最後まで、穏やかに逝ったよ」
呆然としたまま、ボロボロと涙が落ちる。
本当に、本当に失ってしまった。
俺の唯一。俺の半身。
俺の、愛しい妻。
「――お前のおかげで、姫はしあわせな時間を過ごせた。ありがとう」
そんな言葉いらない。
なんにもいらない。
姫君がいれば、それだけでいい。
「お前、忘れてないだろうな? 姫との約束」
唐突に黒陽が言う。
「約束……?」
なんのことだっけ?
「住みよい都を、千年続く都を作ると、約束しただろう。姫と」
その言葉に、あの日の姫君とのやりとりが浮かんできた。
「約束して」と甘えてくれた、愛しい妻。
ああ、そうだった。
彼女と約束したんだった。
彼女が望むことならば、叶えなければ。
生まれ変わる彼女のために、住みよい都を。
「やっと思い出したか」と亀が呆れて息を吐く。
ゴシゴシと袖で顔をぬぐう。
それだけでも少しシャキッとした気がする。
そうだ。
生まれ変わる彼女のために、俺のできることを。
彼女の誇れる俺であるように。
「覚えてる。約束は、守る」
俺の言葉に、亀がフンと鼻をならした。
いつもの亀のえらそうな仕草に笑みが浮かぶ。
「姫君のことを教えに来てくれたのか?」
ありがとな。と礼を述べると、またフンとえらそうにする亀。
「姫のこともある。
私がお前に礼を言いたかったのもある。
あとは、お前に言い忘れたことがあったのを思い出してな」
「言い忘れたこと?」
この家にはずっと亀の結界が張ってあった。
姫君と亀がいなくなってからも少しは結界は残るが、じきに消えるだろうこと。
亀と姫君とずっと過ごしていた俺には、二人の気配がついてしまっている。
その気配を狙って、善悪様々なモノが寄ってくるだろうこと。
姫君の作ってくれた結紐と帯である程度は防げるだろうが、十分気をつけたほうがいいこと。
俺自身の霊力もかなり上がっていること。
特に金属性の霊力が飛び抜けて上がっているので、しばらくは霊力訓練をして身体に慣らし、できることとできないことを把握するようにと注意を受ける。
「あと、人前で絶対に錬成はするな。
錬成できることも言うなよ」
欲深い人間達に狙われるのは間違いないと亀が断言する。
時々『主』のところに行って、聖水を献上すること。
あまり放置しておくと押しかけてくることもあるらしい。
様々な注意を事細かにしてくれる亀。
ありがたくて頭が下がる。
ふと一番知りたいことを思いついた。
「なあ」
この亀ならば知っているかもしれない。
「記憶を持ったまま転生って、どうすればいいんだ?」
「知るか」
即答かよ。
「聞く相手を間違っている。
私は死んだことがない。
姫は記憶があることで苦しんでいる。
私が知るはずがないだろうが」
それもそうだ。
「誰なら知ってるかな?」
「知るか」
それも即答かよ。
まあまた『主』にでも聞いてみよう。
「『主』も知らないと思うぞ」
先に釘を刺された。くそう。
「記憶を持ったまま転生なんて、しないに越したことはないぞ。
姫だって記憶がなければ、もっと楽に生きられた」
「それはそうかもしれないが」
つい愚痴っぽい声が出た。
「記憶がないと探せないし、会ってもわからないじゃないか」
「なんだ。お前、自信がないのか?」
フン、と馬鹿にしたように亀が言う。
「あれだけ『唯一』とか『半身』とか言ってたくせに。
記憶がなくなったらもうわからないと、そう言うのか?」
「普通そうじゃないのか?」
「そうでないのがたまにいる」
初耳だ。
「いわゆる一目惚れ」
なるほど。
意味がわからないと思っていたが、あれはそういうことだったのか。
「あと、お前も姫も言ってただろう?
『欠けた半身が合わさったような』って。
文字どおり『半身』だと、記憶がなくてもわかるらしいぞ」
「少なくとも私と妻は一目で『わかった』」そう亀が自慢気に頭を反らす。
そう言われたら確かにそうだ。
俺は前世の記憶なんてないが、姫君を抱きしめた途端「この人だ」と理解した。
そうか。
それなら、生まれ変わっても、彼女に会いさえすればまた妻にと望むことは間違いないな。
今度はあまり身分差がないといいのだが。
そこでふと気付いた。
そもそも会えるかどうかが問題じゃないか。
「生まれ変わって彼女に会えるようにするには、どうしたらいい?」
「知るか」
亀は変わらず亀だった。
俺に容赦がない。
「じゃあな。私は休眠する。
目覚めたらお前の仕事を確認するからな。
しっかりやれよ」
「わかった」
「――元気でな。智明」
「アンタもな。黒陽」
それが亀と会った最後だった。
姫君に嫌がられないように身なりを整える。
髪を結い、姫君がくれた結紐でぎゅっとしばる。
帯を締める。
これで今日一日、姫君が護ってくれる。
左手の薬指の指輪に軽くくちづける。
「おはようございます。姫君」
今日もがんばるよ。
亀が会いにきてくれたその日からの習慣。
姫君の思い出に包まれ、姫君に語りかける。
あれから、すぐに仕事復帰した。
以前にも増して働く俺に、周りは比較的肯定的だ。
姫君が過ごす街を作っていると思うとやる気もでるというものだ。
貴族様の退魔の仕事もたまに受ける。
姫君が暮らす街が妖魔だらけなんて許せない。
少しでも彼女が暮らしやすいように。
彼女の誇れる俺であるように。
それだけを考えて働いた。
時々『主』達に聖水を作りに行く。
姫君の話をしたり、知らない色々な話を教えてもらったりする。
霊力訓練もこっそりしている。
『主』達も助言をくれた。
彼女の助けになるにはまだまだ足りないが、地道にがんばるしかないだろう。
彼女のいない世界なんて、考えられないと思っていた。
でも実際は、彼女がいなくなっても、世界はまわる。
そして、彼女がいなくても、彼女を感じる。
彼女との思い出が。
目に映る何もかもが。
俺を支えてくれる。
生きている限りは、生きる努力をしなければ。
生きて、千年続く、住みよい都を作る。
彼女との約束だから。
時折、人々のうわさに耳をかたむける。
どこかに亀を連れた少女がいるのではないかと、ずっと待っている。
生まれ変わるというのはそう簡単なものではないらしい。
いまだにそんなうわさは聞こえてこない。
ひなたぼっこをしている亀の群れの中にあの気の良い亀がいないかと探す。
が、こちらもまだ眠っているようだ。
それっぽい亀を見ることはない。
朝に、夕に、ふとしたときに彼女に語りかける。
この想いが伝わることはないとわかってはいるが、それでも彼女に伝えたい。
姫君。
貴女がいなくても、俺はがんばっているでしょう?
いつかまた出会ったら、うんと褒めてくださいよ。
貴女は俺の妻なのだから、俺を甘やかしてくれないと。
いつか俺の生命が尽きるその時まで、ずっと貴女を想う。
貴女は俺の唯一だから。
助けた亀がくれた妻だから。
生まれ変わった貴女と、また恋をしよう。
そしてまた必ず言うよ。
「俺の妻でいてください」って。
それまでは、約束どおり都を作るから。
勉強して、霊力訓練して、チカラをつけるから。
生まれ変わったら、会いにきて。
間に合わなくて俺が死んでしまっていたら、待っていて。
俺も生まれ変わって、貴女に会いにいくから。
必ず探して、迎えに行くから。
貴女は俺の妻だから。
これにて本編完結です。
このあと黒陽視点の番外編、貴族様の一の側近視点の番外編で完結になります。
今しばらくお付き合いよろしくおねがいします。




