第十三話 別れ 1
姫君と一緒に料理を作る。
霊力回復薬も作る。
最初はおっかなびっくり取り組んでいた姫君も、三回目あたりから上達が見えた。
「上手になりましたね」と褒めると、うれしそうに笑う。
一緒に作ったものを一緒に食べる。
手をつないで散歩して。
時には神域に行って。
色々な話をして。
他愛もない、しあわせな日が数日続いた。
「今日も楽しかったです」
「よかった」
今日も助けた亀がくれた妻が愛おしい。
「明日は何を作りましょうか」
「楽しみです」
そんな話をして、笑いあって、手をつないで「おやすみなさい」と眠った。
朝になっても姫君が目を覚まさない。
どんなに眠る日でもいつも朝には一度起きるのに。
きっと寝坊しているだけだ。
昨日少し歩きすぎたんだ。疲れさせてしまったんだ。だから起きないだけだ。
脈もある。呼吸もある。大丈夫だ。大丈夫だ。
それでも、恐怖は消えない。
手をつなぎ、霊力を送る。
「姫君」声をかける。
「そろそろ起きましょう。朝食の支度をしないと」
昨夜も手をつないで寝た。
霊力を送っていたはずだ。大丈夫だ。
「竹。起きてください」
何度も何度も声をかける。
抱き起こす。抱きしめる。
「起きて。竹」
亀は何も言わない。
ただじっと、側でうなだれている。
大丈夫。大丈夫だ。
前もこんなことがあったじゃないか。
きっと今回も大丈夫だ。
必死で霊力を送る。
指を絡める。離れないように。
抱きしめる。少しでも接していられるように。
口づける。霊力を吹き込むように。
「竹」
愛しい名を呼ぶ。
呼んでも呼んでも、答えはない。
「竹」
どのくらいそうしていたのか。
姫君がやっと目を開けた。
「――竹――!」
白い肌が赤く染まっているのに、その時はじめて気付いた。
熱が出たかと頬に手をあてるが熱くない。逆に氷のように冷たい。
夕焼けに染まっていると理解するまでに時間がかかった。
俺の腕の中の彼女は弱々しく微笑み、手を伸ばし、俺の頬をなでてくれた。
「――どう、しました――?」
俺の頬をなでる彼女の手をぎゅっと握る。
彼女の微笑みから目が離せない。
「…なんで、泣いてるの……?」
「貴女が、」
情けない声が出た。
「貴女が、起きないから」
俺の言葉に、彼女は眉を寄せた。
ちがう。悲しそうな顔をさせたかったんじゃない。
「……ごめんなさい…」
「あやまらないで」
彼女の目がうるんでいる。
ちがう。泣かせるつもりなんかない。
「俺が、勝手に心配してるだけだから」
俺が勝手にこわくなってるだけだから。
「心配するのは、夫の勤めだから。
あやまらないで。あきらめて」
いつかのようにそう言って、笑顔をつくる。
それでも俺の涙はとまらない。
彼女も思い出してくれたのだろう。
優しく笑ってくれる。
ぎゅうっと、抱きしめる。
「貴女は、俺の妻だから」
「俺達は、夫婦だから」
「側にいて。離れないで。一緒にいて」
子供のようにわがままを言っている。わかっている。だが、止まらない。
「ごめんなさい……」
「あやまらないで」
ぎゅうぎゅうと抱きしめる。
どこにも逃げられないように。
「もう、ご褒美の時間は終わり」
それは、最後宣告。
「貴方に、最後にお話ができて、よかった」
「いやだ」
聞きたくない。そんな話、聞きたくない。
「――トモさん」
「智明さん」
彼女が穏やかな声で俺を呼ぶ。
しぶしぶと彼女を抱く腕をゆるめて、愛しいひとと目をあわせる。
そんな俺に、彼女は穏やかな笑顔を向けてくれる。
「ありがとうございました」
やさしい声。愛おしい声。
「助けていただいて。妻にしていただいて。しあわせを教えてくださって。
ありがとう。私、しあわせです」
やめてくれ。いやだ。
そんな、お別れのような言葉、聞きたくない。
「まだだよ」
彼女の言葉を制して、先に言う。
「まだまだ、楽しいことも、うれしいことも、たくさんあるよ。
一緒に見よう。一緒に、もっと」
彼女は首を振る。
「自分で、わかるの。
もう霊力を保つことができない。
もう、ご褒美の時間は、終わり」
そんなことない。きっと、まだ、もう少し。
何も言えず首を振る俺に、彼女はにこりと微笑んだ。
「しあわせをくれて、ありがとうございました」
愛しいひとが、別れの言葉を口にする。
たまらず、ぎゅううっと抱きしめる。
何か言わなくては。
何か、何か。
でも、本当はわかっている。
もう、無理だと。
もう、お別れなのだと。
涙が止まらない。
嗚咽がもれそうになるのを必死でこらえる。
彼女に情けないところを見せなくない。
「生まれ変わったら、また会いにきて。
また、一緒に暮らそう」
かろうじて、それだけ言えた。
それなのに彼女は俺の腕の中で首を振った。
「もう、ご褒美は終わり。
生まれ変わったら、また『災禍』を追わなくちゃ」
「そんな――」
「それが、私の責務だから」
きっぱりと、彼女は言う。
誇り高い王族の姫らしい、潔い声だった。
真面目で責任感の強い彼女らしい。
それならば。
「それなら、俺も一緒に追う」
彼女が来てくれないなら、俺が行けばいい。
俺が、彼女を助ければいい。
「貴女の側で、貴女を助ける。
一日でも早く責務を果たせるよう、協力する」
彼女はただ首を振る。
わかってる。俺では足手まといになる。
だが。
「チカラが足りないなら、チカラをつける。
知識が、技術がいるなら何でも学ぶ。身に着ける。だから」
言いつのる俺の胸で、彼女はまた首を振った。
身を起こそうと力を入れたのがわかったので、腕の力を少しゆるめる。
俺の目をまっすぐに見て、彼女は微笑んだ。
「貴方のチカラも、知識も、技術も、この都のために使ってください」
息をのむ。
反射的に首を振る俺を、彼女は困った子供をみるような目で笑った。
「貴方は素晴らしい方です。
きっと千年続く都を作ってくれる」
そんなの買いかぶりだ。
俺はただの下っ端役人だ。
それより、貴女と共にいたい。
ぶんぶんと首を振る俺に、涙をこぼす俺に、彼女はそっと頬に触れてくれた。
彼女の目の中に、情けない顔の男がいる。
彼女を守りたいのに。彼女を支えたいのに。
そんな情けない男に、彼女は涙を浮かべ楽しそうに笑って言った。
「いつか私がこの都に生まれ変わった時。
『この素晴らしい都は私の夫が作ったのよ』って、自慢させてね?」
――ずるい。
そんなこと言われたら、がんばらないといけなくなるじゃないか。
「貴方は、今生きている。
生きている限りは、生きる努力をしなければ」
その言葉は、俺があの日彼女に言った言葉。
意識を取り戻した彼女が、薬を拒否したときに俺が言った言葉。
「それが、『生きる者の勤め』なんでしょう?」
いたずらが成功した子供のような笑顔で彼女が言う。
ああ、なんて可愛らしい。
なんて愛おしい。
「――覚えていたの…?」
震える声に、うれしそうにうなずく彼女。
そのまま、俺の首に腕をまわし、ぎゅっと抱きついてくる。
彼女を支えるように俺も彼女を抱きしめる。
「住みよい都を作ってください。
生まれ変わったら『ここを貴方が作ったのかな』て思いながら歩きますから」
そんな未来が、容易に想像できた。
今より幼い彼女が、楽しそうに俺の作った街を歩いている。
「約束して?」
俺の顔をのぞきこみ、彼女が言う。
甘えられていると感じた。
彼女が甘えてくれるならば、叶えなければ。
俺は、彼女の夫だから。
彼女は、俺の愛する妻なのだから。
「――約束、する」
かろうじて、声が出た。
そんな俺に彼女はホッとしたようだった。
こつんと俺の額と彼女の額を合わせる。
「貴女が生まれ変わった時、過ごしやすい都を、作る」
「おねがいします」
くすぐったそうに彼女が笑う。
愛おしくて、そっと唇に唇を重ねた。
一瞬触れるだけの、くちづけ。
彼女はいつかのように赤くなることも目を回すことなく、穏やかに俺を受け入れてくれた。
うれしくて、かなしくて、もう一度唇に触れる。
やわらかくて、冷たい唇だった。
「もうひとつ、甘えても、いい?」
何も言えずただ抱き合っていた彼女が、そっと言った。
身を離し、彼女の顔を見る。
「連れて行ってほしいところが、あるの」
目線でどこかとたずねると、彼女は一言告げた。
「鳥辺野」
瞬時に、カッとなった。
鳥辺野は葬送地だ。
彼女は、一人で逝く気だ。
俺を置いて。俺を残して。
怒鳴ろうとした俺の口に彼女はそっと手をあてて言葉を封じた。
「これ以上ここに、貴方の側にいたら、貴方がこわれてしまう」
「こわれていい」
むしろ、望むところだ。
こわれたら、彼女と一緒に逝ける。
「こわれていい。貴女と一緒ならば。一緒に燃え尽きたい」
亀が言っていた。
彼女の亡骸は『魂送り』の得意な知人が燃やすと。
俺も一緒に燃やしてもらえたら、これほどしあわせなことはない。
それなのに、彼女は悲しそうに眉を下げる。
「約束。守ってくれないの…?」
ぐっとつまる。
その時やっと気付いた。
くそう。彼女にやられた。
彼女は俺を連れて行かない為に、あんな約束をさせた。
ずるい。ずるい。
そんな風におねだりされたら、断れないじゃないか。
彼女は困ったように笑うと、また俺の胸にもたれた。
「私のことは忘れて。
貴方は、しあわせに暮らして」
「忘れない」
そんなこと、できるものか。
「貴女は、俺の妻だ。俺の大事なひとだ。
忘れない。
俺の半身。俺の唯一」
ぎゅうっと抱きしめる。
忘れるわけがない。
忘れられるわけがない。
俺の唯一。俺の愛しい妻。
そんな俺の気持ちが伝わったのか、彼女もぎゅうっと抱きしめてくれた。
肩が冷たい。彼女が泣いている。
彼女を泣かせたくなかったのに。
駄目な男だ。俺は。
歯を食いしばり、こらえようとするのに、涙があとからあとからこぼれてくる。
「私も、忘れない」
彼女の声に、また涙がでた。
ただうなずき、ぎゅっと抱きしめることしかできない。
そんな情けない男に、彼女は涙まじりの笑顔を向けてくれた。
「お願い。連れて行って。鳥辺野へ」
智明は姫君しか見えていないので、お話にわかりにくいところがあります。
後日黒陽視点で、智明がどうしたのか、何があったのか説明します。




