十一話 亀がくれた妻がかわいくてたまらない
姫君の熱は数日で下がった。
しかし、熱が下がってからも姫君は頭が枕から離れなかった。
眠ることが、また増えた。
発熱している間も、眠っている間も、ずっと手を握って霊力を送っていた。
目が覚めたら薬を飲ませた。
霊水で作った薬は普通のものと比べて格段に効果が上がっているはずなのに、姫君の容態は良くならなかった。
それでも、俺は薬を作り、飲ませる。
少しでも良くなるように。
少しでも一緒にいられるように。
目が覚めると必ず俺が手をつないで自分を見ていることに、姫君は心を痛めた。
「私のことは気にしないで」「ちゃんと休んで」と、俺のことばかり心配する。
「俺がしたいからしているんだ」と言っても眉を寄せ悲しそうにする。
だから、言い方を変えてみた。
「貴女が好きだから、ずっと顔を見ていたい」
「貴女が好きだから、ずっと手をつないでいたい」
「貴女が好きだから、ずっと側にいたい」
とどめに「俺を甘えさせてくれないのですか?」と問うたら、真っ赤な顔であきらめてくれた。
「本当は、目が覚めて貴方が側にいてくれるのが、うれしいの」
「手を握ってくれてるから、目を閉じていても貴方の存在がわかって、安心するの」
そんなかわいい本音を赤い顔で教えてくれるものだから、愛しさが爆発して死ぬかと思った。
姫君は気持ちを言葉にしてくれるようになった。
俺が何度も何度も「甘えて」「気持ちを教えて」とねだったからだ。
「俺にならば言っても大丈夫」と姫君自身も理解したらしい。
「甘えていいですか?」と恥ずかしそうに言ってくる。
かわいいすぎてぎゅうぎゅうに抱きしめてしまった。
そもそも姫君は、願いをあまり言わない。
感謝の気持ちはすぐに伝えてくれるが、自分が『甘えだ』と判断したことや、苦しいこと、辛いことは言わない。
貴族はそれが普通なのだろうか。よくわからない。
でもあの日から、姫君は少しずつ俺に気持ちを明かしてくれるようになった。
甘えられているようで、頼りにされているようで、うれしい。
姫君が起きている時、俺達は色々な話をした。
答え合わせをするように。
残り時間から目をそらすように。
姫君を初めて抱きしめたあの時。
俺はあの時自分の気持ちをはっきりと自覚したが、姫君もあの時俺のことを「好きだとわかった」という。
「貴方にぎゅうってされた途端に、包み込まれて、ものすごく安心して、『ああ、この人だ』って、わけもなく思って」
たどたどしく彼女が話してくれるのを聞く俺の顔はゆるみっぱなしだ。
「なんだか、欠けてた半分が戻ったっていうか、合わさったっていうか、とにかく、うれしくて、満たされて」
「うん、俺も」
ああ、うれしい。
彼女も同じ想いを感じてくれていた。
「『夫婦』って、こういうことなんだ、って、突然、わかって」
亀が『夫婦に』と提案してきたとき、姫君は『夫婦がわからない』と言っていた。
それが、あの時唐突に理解したという。
つまり、俺のことを「好きだ」と理解したということだ。
うれしくて叫び出したくなるのを必死にこらえる。
「でも、貴方が私と夫婦になってくださっているのは、黒陽に言われたからだから。
仕方なく妻にしてくださっているだけなのだから、そんなふうに感じてはいけないと、思ったの」
「言ってくれたら良かったのに」
つい言ってしまった俺に、彼女は拗ねるように反論してきた。
「貴方だって言ってくださらなかったわ」
それもそうだ。
俺も「あの時、貴女への気持ちを自覚したんです」と暴露していた。
「この気持ちが貴方にご迷惑だとわかっていたのだけれど、貴方が抱きしめてくださるのはうれしくて。
どんどん好きになっていくのをとめられなくて。
でも、仕方なく夫婦になってくださっている貴方に、これ以上ご迷惑をおかけしたくなくて。
――苦しくて、悲しかったの」
「――すみません」
抱きしめると、彼女もぎゅっと抱きついてきた。
ああ、愛おしい。
髪をすくように頭をなでる。
「それは全面的に俺が悪いですね」
最初に亀が『夫婦に』と提案してきた時。
俺が大声を出して抵抗したために、姫君は俺が『姫君と夫婦になりたくない』のに『黒陽に命令されて仕方なく夫婦になった』と思った。
「あれは、身分差を気にしていたんですよ。
俺は最初から貴女が貴族だとわかっていたんですから」
「――そうなの?!」
目をまんまるにして驚く姫君。かわいい。
「それに、貴女の気持ちも。
好きでもない男と夫婦にされるなんて、お嫌だと思ったんです」
「あの時は、確かにまだよくわかってなかったですが…」
うつむいたままごにょごにょと言う姫君。かわいい。
「俺は、あの時もう貴女を好きになっていたんです。
でも、身分差があるから言ってはいけないと、そんな気持ち抱いてはいけないと思っていた。
それを亀に見透かされてたんです。
だから亀は『夫婦に』と提案してくれたんです。
助けた恩返しに俺の『願い』を叶えるために」
「――そうなの!?」
驚いて亀を見る姫君。
亀はそっぽをむいて黙っている。
「言ってくれれば良かったのに!!」
亀を責める姫君は、いつもより幼く見えた。かわいい。
「亀は悪くないですよ。姫君。
ちゃんと言わなかった俺が悪いんだ」
むう、と拗ねたように口をとがらせている。かわいい。
駄目だ。姫君が何をしても『かわいい』しか出てこない。
そんなかわいい妻に笑みがこぼれた。
そっと頬に触れ、俺に顔を向けさせる。
「俺は、貴女が好きです。
好きだから、夫婦になりたい。
俺の妻になってください」
きょとんとした姫君をまっすぐに見つめて、あの日言えなかった言葉をつむぐ。
姫君はニ、三度まばたきし、それがあの日のやり直しだと理解したのだろう。赤い顔で、それでも「はい」と答えてくれた。
市で出会った乳母のことも気にしていた。
姫君は生まれたときから霊力が強いため、善いモノも悪いモノもよってくる。
亀と自身の結界である程度は防げるが、身内に不幸が降りかかることも少なくない。
『災禍』を捜し封じる使命もあるため、ある程度成長したら家を出るようにしていると教えてくれる。
家を出るときに、黙って行くにしても説明して行くにしても、姫君がどこかで生きていると思う家族は、必死で探してくれたという。
それが申し訳なく、出ていくときには自分が死んだと思わせるようになった。
事故をよそおう。
災害に巻き込まれたようにみせる。
術を使って鬼に喰われたようにみせる。
家族には申し訳ないが、どのみち二十歳まで生きられないのだ。
数年早く死を迎えるだけだからと思っていた。
それなのに、あの乳母はあきらめていなかった。
ずっと自分を探していると聞き、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ごめんなさい」の理由のひとつだった。
確かに俺も姫君を失ったら、あきらめられない。
亡骸をこの手に抱くまで、ずっと探す。
あの乳母の気持ちが痛いほど理解できて、もう少し優しくしてやってもよかったかななどと反省した。
「貴女は良い主だったのですね」
十年間ずっと探すほどに愛されていた。
そのことを指摘すると、姫君は悲しそうに笑った。
姫君の熱も下がり、容態がやっと安定したある日の朝。
「貴船に行くぞ!」
亀が突然宣言した。
前回行った時の姫君の喜びようがすぐにうかぶ。
貴船ならば水の霊力も豊富だ。
姫君も喜ぶし、いい考えだ。
きょとんとしている姫君を置いてけぼりに、亀と二人で話を進める。
「いいな。じゃあ、馬を借りてこよう」
「いや。それにはおよばない」
どういうことだと話の先をうながすと、亀は自信たっぷりに胸をはった。
「この間行ったときに、あの川原に転移の陣を刻んでおいた。
私の転移で行ける」
亀の説明によると、亀も姫君も『転移』と呼ばれる術が使える。
一瞬で目的の場所へ移動する術だ。
ただし、転移するには目標がいる。
行ったことのある場所の具体的な地点、木とか橋とかいった目標を思い浮かべ、空間を繋げないとできないそうだ。
その目標となる『転移の陣』を、貴船の川原に仕込んでいたと話す亀。
いつの間に。
でかした!
「もう一度貴船に行きたい」とは思っていたが、姫君はあれから眠ることが増えた。
馬で長距離を行くのは姫君の負担が大きいとわかっていたので「行こう」と言い出せなかったのだ。
だが、亀の術ならば一瞬で行けるという。
それならば姫君への負担も少ない。
術を行使してでも「少しでも元気な今のうちに連れていきたい」と亀が思って言っていることには気付かないフリをした。
やっとでかけることを理解し、喜ぶ姫君をなんとかなだめ、支度する。
この間の市で買い求めた帯を締めてもらう。
姫君が俺に織ってくれた帯に似た柄の、赤い帯。
一目見た途端、俺も姫君も「お揃いだ」と感じた。
姫君は遠慮したが、すぐに買い求めた。
「色違いのお揃いですね」と笑うと、姫君も恥ずかしそうに笑った。
姫君を抱き上げ、亀を肩に乗せる。
「行くぞ」と亀が言ったのも束の間。
次の瞬間には濃厚な緑の中にいた。
すぐ目の間に川が流れている。
「すごいな!?」
「まあな」
フフンと自慢げな亀。
そんな亀に姫君が笑っている。
姫君を前回と同じように川の中の岩に座らせ、水に足をつけさせる。
亀を護衛に置いておき、俺は大急ぎで薬草を採取する。
在庫が少なくなっていたので、連れてきてくれて助かった。
水脈整備であちこち行ったときにも採取していたが、最近はどこにも行っていなかったので在庫が心許なかったのだ。
前回のように魚を採って焼き、食べていると『主』が来たので魚を分けた。
ついでに聖水も作らされた。
もちろん姫君の分も確保する。
楽しそうな姫君に、俺も亀もうれしかった。
その後も亀の転移で色々なところに行った。
あの水脈整備がこんな形で役に立つとは考えてもいなかった。
賀茂社の森を歩いた。山の中の滝にも行った。
貴船の『主』が話したらしく、水脈整備で訪れた『主』から「また聖水を作りにこい」と声がかかったので、姫君も一緒に行った。
姫君は笛が得意で、神域で聞かせてくれた。
天上の音楽とはこれのことかと思うほど素晴らしい音色だった。
俺の家では結界の強度が足りないので聞かせられなかったと話す。
何でもこの笛は姫君が元の世界にいたときから使っている笛で、姫君の強い霊力が染み込んでいる。そのため、ただ吹くだけでも霊力が広がるという。
これを使って城から離れた魔の森の魔物があふれるのを封じていたというから、どれほどの霊力か知れるというものだ。
亀の結界でも押さえきれないという姫君の笛の音。
そんな笛を俺の家で吹いたら、善悪様々なモノが押し寄せてくるのは間違いない。
「貴方に聞いてもらうことができてよかった」
招いてくれた『主』のためでもなく、自分のためでもなく、俺に聞かせるために笛を吹いてくれたと姫君が笑う。
今日も助けた亀がくれた妻が愛おしい。




