勇の過去 その1
今からおよそ5年前の某日。
仕事を終えた勇は大学時代の友人3人と久々に集まり、居酒屋で飲んでいた。
「――はぁ~、勇は良いよなー」
ビールを一気に飲み干した悠也が、テーブルに突っ伏しながら言葉を漏らす。
「ん? 何だよ、唐突に」
「いやー、だってさ。勇って全てが順調に行ってるって感じじゃん? 本当、羨ましいわー」
「だなー。30歳で係長とか!」
「しかも、めちゃくちゃ良い彼女も居るしな! はぁー、不公平だわー」
悠也の言葉に同調するように、昂祐と健が続く。
対し、勇は苦笑いを浮かべながら口を開いた。
「うーん。係長って言っても、俺のところはそんなにでかい会社でもないからさ。そこまで凄くはないよ。……まあ、由香のことは否定しないけど」
勇が勤めているのは従業員400人規模の食品メーカー。
そこで勇は営業の職に就いており、半年前に係長へ昇進した。
成績と勤務態度が評価された結果だ。
そして、由香というのは勇が付き合っている彼女――七沢由香のことである。
歳は勇の三つ下で、パン屋さんで働いている。
由香とは勇が26歳の時に出会い、それから交際を続けてかれこれ4年になる。
もちろん、ここに居る三人も由香とは何度も会っており、互いに認識している。
「ちくしょー、惚気やがって! ……で、どうなんだよ? そろそろ、良い頃合いなんじゃねーか?」
「あー、うん。俺もそう思ってるんだけど、今は仕事でいっぱいいっぱいでさ。それにもう少し金も貯めたいし。色々と落ち着いたらプロポーズするよ」
「そっか、あんま待たせんなよ。……つっても、抜け駆けされんのは癪だから、フラレちまえばいいと思ってるけどな!」
「だな! その時は慰めてやるよ!」
「早くこっち側来いよー!」
「うっせー! 残念だけど、お前達の思い通りにはならねーよ!」
冗談めいた口ぶりで言う三人に、勇は笑いながら言葉を返す。
その後、話は別の話題になり、四人は大いに盛り上がり楽しい時間を過ごした。
☆
数時間後。
「ただいま!」
終電に乗って帰宅した勇は、ドアを開けながら口ずさむ。
すると、部屋の扉がバッと開き――
「あっ、勇君お帰りー!」
女性が明るい声色で勇を出迎えた。
現在が勇が同棲している彼女――七沢由香である。
サラリとした長い黒髪に大きなタレ目。
キュッと上がった口角が何とも愛くるしい、清楚という言葉がピッタリと当てはまる可愛らしいルックス。
加えて、いつもニコニコとしており、誰に対しても明るく優しく、それでいて心が広い聖母のような人格者。
そんな由香を勇は『自分には勿体ないほどの良い子』だと感じているが、傍から見たら良い子ちゃん同士のお似合いカップルである。
「ただいま! ごめん、遅くなって」
「ううん、大丈夫! どう? 楽しかった?」
「うん。久々に会ったからつい話し込んじゃったよ」
「そっか、それはよかった! あ、酔い覚ましにしじみのお味噌汁作ってあるよ」
「お、ありがと! 早速もらおうかな」
「うん! じゃあ、座って待ってて!」
由香はそう言って、トコトコとキッチンに走っていった。
そんな愛おしい姿に勇は頬を緩めながら、リビングのテーブルへ。
そうしてスマホで明日の予定を確認していると、
「お待たせ! はい、どうぞ!」
コトッとお碗を置く音と同時に、由香の声が耳に届いた。
「ありがと! じゃあ頂きます!」
勇は汁椀を手に取り、フーフーと息を吹きかけることで冷ましてから味噌汁を口に含んだ。
「うん、美味い!」
「よかった! まだお代わりいっぱいあるから、たくさん飲んでね!」
「うん。明日は大事な日だから、しっかりと酔いを覚ましておかないと」
「だね。新しい部長さんもいい人だといいね」
「……うん」
(不安だな……)
明日は人事異動により、支店から新しい部長がやってくる。
その人物は社長夫人の弟、つまりは縁故で採用された口で、色々とよろしくない噂を聞いている。
故に勇は不安を感じていた。
前の部長が上司としても人としても尊敬できる立派な人物であり、そのおかげで部内の空気もよかったため尚更だ。
「勇君、どうかした?」
そんな勇の不安を感じ取ったのだろう。
由香は首を傾げながら、心配そうな顔を浮かべて尋ねてきた。
(あ、由香に心配させちゃったな。いけないいけない。どんな人であろうが、俺はこれまで通り頑張るだけだ)
そう、愛する由香との将来のためにも。
勇は不安を振り払い、笑顔を浮かべながら口を開いた。
「いや、この味噌汁ほんとに美味しいなーって、しみじみ感じてたんだよ。……ほら、しじみだけに」
「あはは、もー勇君たら! ほら、お代わり入れるね」
「うん、ありがとう! あ、そうそう。そういえば――」
その後、勇は愛する彼女との会話をしばらく楽しんでから、由香と一緒に床に就いた。
そうして先に眠りに就いた由香の寝顔を見ながら、勇は改めて思った。
気の知れた親友が居て、愛を確かめ合う彼女が居る。
そして会社では同僚に恵まれ、若くして係長になれた。
仕事もプライベートも上手くいっていて、俺は本当に幸せ者だな、と。