リアン
十二歳の秋、両親であるロシュフェルト侯爵夫妻が我が家の寝室で惨殺された。
その瞬間、私は第7代ロシュフェルト侯爵になった。両親の遺体を前にして、指揮を取るのは私の役割になった。
特別仲の良い家族というわけではなかったが、父は毎日必ず私のために一時間捻出し、侯爵そして領主としての心構えと仕事を叩き込んだ。
母は必ず一日一食は、我々と食事をともにするように努力していた。
夫婦同伴のパーティーには互いに衣装をチェックしあい、確認事項を打ち合わせながら、自然に腕を組み、見送りの私と弟に手を振って出発していた。
その場に立ち続けるためには、心を凍らせ、蓋をするほかなかった。
◇◇◇
両親の殺人事件は物取りによる偶発的な犯行と結論付けられた。どう考えても敵対する派閥による計画的な殺人というのに、私が幼く弱いばかりに、全く相手にされなかった。
「クソッ!」
親が殺されたというのに、泣き寝入りするしかない自分に反吐が出る。思わず目の前のティーカップに八つ当たりして、壁に投げつける、バリンと破れ、ジャラジャラと床に落ちる。
「お、おにいさま……」
ハッと正気に戻り振り向くと、幼い弟が震えて立っていた。
「デミアン!」
慌ててそばに行き、膝をついて抱きしめる。
「おにいさま、今、とても恐かったです……」
ああ、かわいそうなことをしてしまった。デミアンはまだ六歳。両親を失ったうえに、唯一の肉親である兄がこの体たらく……。
「ごめんねデミアン。二度と声を荒げたりしないよ。デミアンのことは私が必ず守るから」
自分を厳しく律し、二度と侮られぬよう、つけいられぬよう、力をつけて、デミアンを立派に育てなければ!
「おにいさま、だーいすき」
私の使命、侯爵家を、弟を守ること。
◇◇◇
学校に通い社交をこなしつつ、父の書斎にある本や資料、書きつけを読み、一般教養を学び、信頼できる我が派閥の大人に教えを請い、必死に力を蓄えた。そして、次男であるデミアンが幸せになるような婿入り先を探させる。
「デミアン様よりも……リアン様が先でしょうに」
父の右腕だったロバートはそう言って苦笑する。しかし、
「私には、結婚などできそうにないよ。父上と母上のあの様子が……頭にこびりついて離れない」
母は侯爵である父の妻だったから殺された。父は結果、母を守れなかった。私と結婚することで、その女性が巻き込まれて死ぬなどあってはならない。あんな惨い姿に……。
「侯爵家はデミアンの子どものうちの一人が継いでくれればいい」
ロバートは黙り込んだ。そしてそれ以降、私に舞い込む膨大で迷惑な見合い話を私に繋がなくなった。
やがて、弟とエマ・リュエット伯爵令嬢の婚約が整った。弟は残念ながら飽きっぽく、熱意をもって領地を経営などできそうにないが、あの真面目なリュエット伯爵がついていれば、道を誤ることはないだろう。
「お、おにいさま、はじめまして!エマでしゅ。あ……」
緊張のあまり噛んでしまって、真っ赤になり俯いた女の子。シルバーブロンドの細い髪をピンクのリボンで結び、同じ色のドレスを着て、青い瞳には涙がうっすら滲んでいる。
怯えている。どうやら私は子どもに好かれるタイプではなさそうだ。
私はレディにするようにうやうやしく彼女の手を取って、
「はじめまして、デミアンをよろしく」
と、彼女の失敗を気づかぬフリをして短めの挨拶をすると、ホッとした顔を見せ、
「はい!」
と元気に挨拶をして、父親のところに弾むように駆けていった。
色合いといい、明るい声といい、花の妖精のようだ、と柄にもなく思った。
彼女……エマはたまに我が屋敷を訪れるようになった。彼女も幼くして母親を亡くしており、領主夫人としての教育を受けていなかったのだ。亡き母の侍女であった、うちのメイド長シャーロットがエマを徹底的に仕込んでいく。
特訓の様子がドア越しに聞こえてくる。
『エマ様、これくらい出来なくてどうしますか?エマ様の礼儀がなっていないせいで、恥をかくのはデミアン様なのですよ!』
『っ!もう一度、やらせてください!』
思わず目を見開く。
「なかなか根性があるな」
「はい。健やかで、溌剌と知識を吸収してくれるので楽しいと……奥様を亡くして以来、あのシャーロットが初めて笑っておりました」
エマは私の屋敷に爽やかな風を吹き込ませ、皆を気鬱にさせていた重苦しい空気を追い出した。私はようやく、両親の部屋を整理して改装する気持ちになった。
「ロバート、エマは花の精のようだと思わないか?こんなに陰鬱な我が家に再び色と、可愛らしい笑い声をもたらしてくれた。エマのおかげでデミアンもずいぶんと快活になった」
「ふふ、おっしゃる通りですなあ」
「何か、お礼をしたい。小さなエマは何が好きだろうか?」
「エマ様はやはり花が大好きだと言っておりました。先日庭師のナックから花の名前を教えてもらい、真剣に覚えておいででしたよ。やはり伯爵邸も女主人が不在ゆえに花まで気が回らないのでしょう」
「そうか……エマのために、たくさんの花を植えるようにしてくれ。そして、摘み取って持ち帰っても構わぬと、教えてやってほしい」
◇◇◇
やがてエマは本当の花の精のように、美しく成長した。銀の髪を結い、赤いドレスを着た彼女は朝露の下のバラの女王のようだった。
立ち居振る舞いも教養も、メイド長とロバートが太鼓判を押すほど完璧で、しかしそれは、負けず嫌いな彼女が必死に努力した成果だ。
しかし、私にはそうして身につけた貴族らしい気取った微笑みではなく、
「お兄様!」
と、にっこり、家族向けの無邪気な笑みを見せるのだ。
その視線をやがて私は受けとめることができなくなり……愕然とした。
私のエマへの想いはいつのまにか女性に対する恋心に変わっていたのだ。
エマは七歳も年下で、何よりデミアンの婚約者であるというのに。乾いた笑いしか出ない。
「まあいい。エマが幸せであればそれでいい。やがてエマとデミアンの子どもに爵位が渡せるのであれば、僥倖」
私はひっそりと愛する女のために、土台を固めるだけだ。
しかし、この世でもう一人の愛する人間、デミアンが、エマを地獄に突き落とした。
あまりの幼さと稚拙なやりように、情けなくて首を締めたくなった。
しかしこれは、私が甘やかした結果。私の教育不行き届きで、エマが苦境に立たされた。もうエマの前に顔を出す資格などない。自分を裏切った男の肉親など憎しみしか持てないだろう。
私は死ぬ思いで手に入れた権力を総動員して、伯爵家が少しでも生きやすくなるよう便宜をはかり、伯爵とエマの生活が安定するまで見張りをつけた。
エマが仕事を欲していると聞き、最も信頼している、父の親友で侯爵家の主治医であるトーマス老医師に雇ってくれるよう頼んだ。先生はもちろん真面目でしっかりもののエマを気にいった。
そして、エマのために今も庭に咲きほこる花を摘み、彼女が少しでも微笑んでくれるといいと願い、ロバートに託して贈る。
全て、私の自己満足だ。わかっている。しかし、惚れた女に出来ることはなんでもしてやりたいのが男というもの。
唯一の願いであった、エマの子どもに爵位と財を渡す夢が、叶わなくなってしまったのだから。
◇◇◇
侯爵領の広大な領地を管理するために、信頼のおける人物を監査員として各地に派遣している。彼らは抜き打ちでその地を訪れ、土地と代官の様子を内密に探ったのちに、正面から私の直筆の書面をたてに、堂々と書類を押さえ、調べ尽くす。
その彼が言いにくそうに、
「侯爵様、ミドルはもう、監査されている状況ではありません」
「……随分と金を注ぎ込んだが?」
「全て、領主代理であるデミアン様と奥方、そのお仲間の……遊興費に消えております」
「お目付役につけた、マイケルとリリーはどうした?」
「それが……どうやら一年以上前にお二人ともお亡くなりになっているようで……」
「……そうか」
私はすぐさまミドルに赴き、遊び惚ける弟夫妻を現行犯で押さえ、小部屋に軟禁した。二人から罵詈雑言を浴びせられながら、収穫が見込めない畑への絶望を隠し、領民を飢えさせぬために走りまわる。
王都への帰路、別れ際の恨みのこもった形相をした弟を思い出し、弟を失ったことにあらためて気がついた。
領地は守れど、エマを失い、弟を失い、私は己で定めた使命を果たせなかった。
十二歳から十六年。ひたすら前を向き、走ってきたのだが……私は失敗したのだ。
「……父上……申し訳ありません」
もう……消えてしまいたい。いいだろうか?月のない雨の闇夜、漆黒に向かって馬で駆けながら、ふと思う。
幸いミドル地方以外の領地は無傷。ミドルに赴く前にデミアンを後継者から外す届を出している。私が死ねば、エマのときのように国が吸収するだろう。
いや、父と母を殺したあいつらがしゃしゃり出てくるか?
いや……それすらもう、どうでもいい。
屋敷に戻り、全てを後回しにして、ベッドに倒れ込む。
「疲れたな……」
一言、心が漏れた。
腕を顔にのせて、ゆっくりと目を閉じる。
最後にまぶたに浮かんだのは……デミアンの結婚式で苦しげに笑う、愛する女。
「会えなくとも……君が幸せであれば……それで……」
エマが昔のあの屈託のない笑みを見せる日は来るのだろうか?
君が本当に笑う姿を……一目見ることができれば私は……それだけで……。
◇◇◇
目が覚めると、傍らに何故かエマがいた。まだ浅い夢の中にいるのかと混乱した。
四年ぶりだというのに、庶民のように髪を下ろしている彼女は、昔よりも若く見えた。
鉛のように重く自由のきかない私の体を、着替えさせ、汗を拭き、粥を食べさせ、私の世話をせっせとと焼くエマ。
一体どうなっている?ベッドボードに寄りかかって起き上がれるようになるころには、倒れて三か月以上も経っていた。私はようやく尋ねる。
「エマ、なぜここにいる?」
エマは一瞬目を伏せて思案し、やがて決意を秘めた瞳で私を見返した。
「リアン様は、高熱でお休みになっているあいだ、うわ言で、私のことを好きだとおっしゃったのです」
思わず自分の口をゆっくりと右手で押さえる。チラッとロバートとシャーロットに視線を送ると、二人して首を縦にコクコクと振った。
私は、年甲斐もなく、顔に熱が集まるのを感じた。唐突すぎて取り繕うこともできない。
「そ、そうか……」
言葉が……見つからない。
私が否定してこないことに勢いを得て、エマは続けた。
「わ、わたくしも、実を申しましたら、リアン様を尊敬し、お慕いしておりますので、是非にとお願いして、こちらにとどまり看病させていただいています!」
「え?」
本当か?と聞き返しそうになったら、エマに睨みつけられた。あやうく失言するところだった。
「し、しかし、君は私を恨んでいるはずだ。我々のせいで君は傷つき、爵位を返上させられたのだ」
爵位の返上は、貴族社会では統治能力がない無能と見做され、爪弾きにされるのだ。後継者を準備できなかったことも残念ながら軽蔑を受ける対象となる。デミアン……。
エマは小さく笑い、顔を横に振った。
「全く恨んでいないとは申しません。ですが、時間も経ちましたし、どちらかというとリアン様のことはデミアンに泥水をかけられた〈同志〉だと思っておりました」
「そうなのか?」
女性とは、『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』の精神だと思っていたが、エマは私とデミアンを切り離して考えてくれたようだ。
「私、もうこのように行き遅れて、キズモノで、持参金も何も持たない女ですが、できましたらリアン様のかたわらで、一緒に生きていきたいと思っております」
「エマ、待て、寝起きで私は混乱している!」
「混乱しているところを狙っております!リアン様、どうか、どうか私の思いを受け止めてくださいませ。私をどうかあなた様の妾に!」
……待て?なぜそうなる?