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中編

 十七歳で婚約解消し四年。私は二十一歳になった。もちろん独身。


 結論を言えば、私は伯爵位を継ぐことを許されなかった。


 そして、デミアンに嬉々として領地経営を教えていた父は一気に気落ちから病がちになり、王家との話し合いを繰り返した結果、我が家は領地を国に返上した。


 新しい領主は王家が任命した優秀な方だ。きっと大好きなあの領地の民を、愛してくれることだろう。


 そして、異例なことに、父は伯爵を、私は伯爵令嬢を名乗り続けることを許された。王家に相談の上で、危機に至る前に領地を返納という行いが、好意的に受け止められたらしい。


 それに伯爵位には恩給が出る。決して多くはないがありがたい。これほどの好条件、正直どうして?と不思議に思ったのだが、私たちを担当してくれたお役人は、

『税を滞納したこともありませんし……まあ、見てる人間は見てるということです』

 とだけおっしゃった。疑念は残ったけれど、ありがたいことに変わりはない。領地を手放した私たちにはたいした資産などないのだから


 私たち父子は王都の小さなタウンハウスに住まいを定めた。


 父が外出先の往来で倒れたときにたまたま居合わせた親切なかたが、救命措置をしてくださったばかりか、とても良いお医者様を紹介してくれて、そしてお医者様のお持ちのタウンハウスに入居することを勧めてくださったのだ。


 私たちの部屋はお医者様の診療所の正面。寝室二部屋とリビングという、これまでと比べるととても小さな我が家だけれど、清潔で日当たりが良い二階で、とても気に入っている。使用人のいない今、この狭さじゃないと逆に手に負えない。

 そう、我が家の使用人たちは、次の領主様がそっくり雇い入れてくださった。皆泣いて別れを惜しんでくれた。


 人の縁とはわからないものだ。


 私は母譲りのシルバーブロンドの髪をばさりと肩の長さまで切りポニーテールにして、身上を隠して例のお医者様の元で秘書の真似事をさせて頂いている。父はおそらく長くない。父が死ぬことは当然恐ろしいけれど、父が死ねば恩給は半分になる。そうなると生きていけない。


 働くことなど初めてで、正直何の役にも立っていないと思う。しかしお医者様……おじい様のようなトーマス先生は、

『患者を事前に問診し、カルテを記入し、代金の計算をしてくれるだけで助かるよ。慣れない仕事を頑張って、エマは偉いね』


 と笑っておっしゃり、私の頭を撫でてくださる。確かに字を書けない人も未だ多い。先生のその優しい言葉に甘えて、お給料をいただいている。


 今日も先生に挨拶をして、我が家に帰る。父の寝室を覗くと軽くイビキをかいて眠っていてほっとした。

 リビングに進むと、フワッと優しい香りが漂った。テーブルの上を見ると、優しい花束が置いてあった。留守中に届いたようだ。

「まあ……今日はもう一日(ついたち)なのね……」


 そっと胸に抱いてみる。色とりどりのチューリップとミモザ。

 このお花はロシュフェルト侯爵……リアン様からだ。

「そうか……春が来ていたのね……」


 デミアン様と婚約解消した際、お花のお礼状を出して以降、毎月一日にこうして花束を贈ってくださる。結果的にデミアン様との破談をきっかけに、我が家が没落したことに、負い目を感じていらっしゃるようだ。


 リアン様がもう少しデミアン様の手綱をきちんと握っておいてくだされば……と思った日々もあった。しかし、今はそんなこと思わない。あのとき、リアン様はまだ二十四歳だったのだ。

 今の私とたいして変わらない。

 侯爵家当主としてのリアン様に責任がないとは言い切れないが、私自身のリアン様への思いは、デミアンとナタリーによって被害にあった者同士ってところ。

 だから、このような過分な対応をしていただかなくともよいのだ。


 私のもとにいつも花を届けてくれるのは、侯爵家の家令ロバート。あの兄弟の親のような存在。幼い私とデミアン様の交流を優しく見守ってくれていた人。だから話しやすくて思ったままを伝えた。もう気をつかわないでほしいと。


 するとロバートは、

『できればこれからももらっていただけませんか?侯爵家の花々は……エマ様に見てもらえなくなって悲しんでおります』

『それは……私がまだ侯爵家と縁を繋いでいるようで、ナタリーに叱られてしまうわ』

『ナタリー嬢は花に興味などないようです。それに、侯爵本邸に彼女が入ることはありえない』

『え?』

『ああ、デミアン様ご夫妻はミドル地方の侯爵領地にて、仕事を与えられておりますので、なかなか王都には戻られないのです』


 ミドル地方は……一言で言えば荒野だ。心身共に強靭でなければ生き抜けない印象。あのように厳しい土地をボンボンであるデミアンが治められるのだろうか?リアン様にすれば灸を据える意味があったのだろうけれど。

 ……まあ、もう私には関係ない話だ。


『とにかく、エマ様が綺麗だと思ってくださるのであれば、是非もらっていただきたいのです。庭師のナックも喜びます』

 そう言われて断れるほど、この件に信念があるわけではない。


 私はありがたく頂戴し、やがて月一のこのお花が唯一の楽しみとなり、せっせとリアン様にお礼状を書く。

 リアン様から返事などいただいたことはないが、ロバートによると、朝食をとりながら楽しげに読んでくださっているらしいので、お礼とともに診療所で仕入れた話題など、当たり障りのないことを、ツラツラと書いて渡している。それが四年、もはや被害者仲間ペンフレンドだ。

 私のくだらない手紙で、日々の激務から一息つければいいのだけれど。


「チューリップが庶民には、文字通り高嶺の花だってこと、リアン様はご存知なのかしら?」

 チューリップ一本で、魚が4匹買える値段だなんて、私は知らなかった。お手紙で教えてあげよう。


 私は先がフリルのようになった紫の花びらをそっと撫で、その柔らかさにうっとりして、洗面台に花瓶を取りにいった。




 ◇◇◇





 今年の夏はことのほか暑い。ハンカチで汗を押さえながら職場で事務作業をしていると、

「エマ、少し氷を持って帰るといい。少しでも伯爵が眠れるように」

 先生は細かいことまで気を配ってくださる。

「ありがとうございま……す?」

 とっくに診療所の看板は下ろしたのに、ドアに取り付けたベルが鳴る。誰かが入ってきた。

 私と先生が顔を見合わせていると、診療室のドアが乱暴に開き、息を切らしたロバートがいた。

 私の知るロシュフェルト侯爵家家令ロバートは、いつも落ち着いていて微笑んでいる紳士で……。


「ろ、ロバート様、いかがなされました!」

 え?先生、ロバートと知り合い?と思っていると、私はロバートにガシッと両肩を押さえられた。


「エマ様!お願いです。どうか侯爵邸にご同行ください!リアン様が高熱を出して、危ないのでございます!どうか、どうかリアン様の元へ!」


「え?リアン様が……ご病気?そんな……。で、でも、私はただの事務員で」

 私はオロオロと先生を見上げた。


 すると先生は常になく顔を真っ赤にして怒った!

「ジュードは何をしている!」

 ジュード?ああ、確か先生の息子さんだ。お会いしたことはないけれど、とても優秀なお医者様だと聞いている。


「ジュード先生はつきっきりでついておられますが、一向に容態が安定せず……」

「くそっ、わしは前侯爵様たちも間に合わず救えなかったというのに……わしも準備が出来次第行く。エマ、ロバート様と先に行きなさい!」

「で、でも、あの、父を置いては……」

「伯爵の看護はこちらで手配いたします!エマ様!」


 私はリアン様が病気だということしかわからないまま、ロバートに馬車に押し込まれた。こうなってはお見舞いするほかない。


「ロバート、リアン様はどうして体調を崩されたの?」

 私の知るリアン様は真面目で、酒もタバコも嗜み程度。たくさんの領民の命を背負うものとして自分の生活を厳しく律していらっしゃった。


「侯爵様はつい先日、ミドル地方の領地を視察に行かれました」

 ミドル……デミアンが任された土地……。


「荒野を開拓するためには資金が必要だとデミアン様がおっしゃり、毎年かなりの額を請求しておいででした。しかし、未だ何の成果もない。リアン様は先触れなしに、訪問されたのです」


 不吉な話題の予感に背筋が震える。


「すると、リアン様が見たものは贅沢な調度品で埋め尽くされた領主館と、その中で繰り広げられる乱痴気騒ぎ……そして、荒れたままの大地。他の領地も抱え手がいっぱいだったリアン様は、ミドルに気を配らなかったことを激しく後悔し、不眠不休でミドルの立て直しに当たられました。領民の声を聞くために粗末な集落に馬で自ら赴き、夏特有の豪雨に何度も晒されたとか……。で、こちらに戻られてすぐ、倒れたのです」


 私は、両手で顔を覆った。なんてことだ。

 デミアンの落ちぶれたあり様など聞きたくなかった。ナタリーは確かに派手な社交が好きだったけれど、結婚してまで変わらなかったの?


 ミドル地方の荒廃、デミアンとナタリーを派遣してしまったリアン様には、確かに責任がある。でもたった一人の肉親である弟を信じることはいけないこと?


「ああ……」


 リアン様はミドル地方の軽く五倍の他の領地を管理運営し、侯爵として、国の重要会議に全て参加する義務がある。重すぎる責務。

 リアン様に……デミアン以外にその責任を分け合える人がいれば……。


「ロバート。何故リアン様は侯爵夫人を迎えられないの?夫人がいれば、少しは助けになるでしょうに……」


 ロバートは悲しげに笑った。

「あまりに大事すぎて……壊しそうで怖いのでしょう」

 それは……リアン様の目の前で、あっという間に、病気で消えてしまったご両親のことだろうか。


 毎月、欠かさず花束を贈ってくれるリアン様。庭師のナックやメイドが作ったのではないことくらい一目でわかる。だって、何のテーマもセンスもないもの。ただ、思いは詰まっている。私が元気になりますように、それだけ。


 目が潤んでしょうがない。なぜ、リアン様ばかり苦労されるのか?デミアンが目の前にいたら張り倒したい!


 やるせなさに馬車の外に目をやると、稲光が遠くの空で眩く光り、雨脚はどんどん強くなった。






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― 新着の感想 ―
[一言] こりゃーもうリアン様をお支えするしかないわなー。
[良い点] デミアン達以外の人が常識あること。 あと、文書が読みやすく、周りの人の思いなどが想像できやいこと。 [一言] デミアン達はそろそろ病気で退場でいいと思います。 リアン様の苦労が報われます様…
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