前編
よろしくお願いします。
木々が瑞々しく生い茂る午後、一組のカップルの華燭の典が行われた。
婚約期間は常識よりもかなり短い。花嫁はジューンブライドにこだわったらしい。
「エマ、参列してくれてありがとう!」
ピンクの髪に生花をたくさん飾り、レースをふんだんに使った華やかな純白のウエディングドレス姿の新婦が、漆黒の艶のある長髪に真っ白なタキシードという出で立ちの新郎と腕を組み現れて、隅にひっそりと立つ友人とおぼしき女性に声をかけた。
「……おめでとうナタリー。とっても綺麗よ?デミアン様、ナタリーを幸せにしてあげてね」
エマと呼ばれた、シルバーブロンドにくすんだピンク色のドレスを着た女性は、碧い瞳で周りをチラリと見まわしたあと、落ち着いて返事をする。
「そうだね。私は既にとっても幸せなんだけど、ナタリーも幸せにしなくちゃ」
「デミアン様、私、もう既にとっても幸せですわ」
「まあ、お熱いこと。私、冷たい飲み物が欲しくなったわ。あちらのテーブルにあるかしら?」
「ああ、自由に楽しんでほしい」
「じゃあ、ナタリー、デミアン様……さようなら」
◇◇◇
「……ふざけるのもいい加減にしてほしいものだわ」
私、エマ・リュエット伯爵令嬢は馬車に乗るや否や悪態をついた。
今日は私の親友の結婚式だった。新郎は私の元婚約者。有り体に言えば寝取られたのだ。とあるパーティーで私が二人を引き合わせて以降、密会を重ね、愛を燃え上がらせていたらしい。
ウエディングドレスも豊かな胸を強調するデザインだった。あの胸と、甘え上手なところにデミアン様はコロッと堕ちたのだろう。
「はは、もう親友じゃないわよね」
親友であれば、寝とったりしない。もし彼女たちの言う『真実の愛』を見つけたとしても、もっと常識的な、出来るだけ周りを傷つけない手段がいくつもあったはず。
何の予防策も、根回しもなく、我が家に乗りこみ婚約解消を告げたデミアン様。泣きじゃくり悲劇のヒロインを気取るナタリー。
デミアン様は侯爵家の次男、こちらから不服を申し立てられるわけがない。
黙って解消に応じ、お人好しのふりをして、結婚式にも出てやった。
私がどれだけ『寝取られた哀れな女』『婚約者をつなぎとめることのできない、つまらない女』と陰口を叩かれているのか、気がついてもいない。
デミアン様のお兄様、若くして爵位を継がれたリアン様……ロシュフェルト侯爵だけが苦い顔を隠していなかった。デミアン様は我が家の入り婿となり、伯爵位を得ることになっていたのだから。
しかしナタリーは子爵家の娘で、子爵家の跡取りは弟が二人もいる。
デミアン様は我が家に入るつもりであったから、騎士の資格もなく文官の試験も受けていない。独り立ちのための準備などしたことがない。今後仕事を探すにしても、あまりに身分が高すぎて、どんな職であれ彼を雇う勇気のある職場などないだろう。
つまり、お花畑夫婦は侯爵家が今後死ぬまで面倒を見なければいけないのだ。
「リアン様、お気の毒さま」
そのくらい侯爵家も痛い目を見てもいいだろう。
リアン様には義理の妹になる娘ということで、幼い頃からずっと、丁寧に接していただいてきた。あまり表情筋は動かないお方で(それを考えると今日のあの表情はよっぽどだ)、慣れるまでは少し怖かったけれど、あの広大な侯爵領、そして領民を取り仕切っていらっしゃることには尊敬しかなかった。
ご両親を早くに亡くし、侯爵、領主の責務と、歳の離れた弟を育てることに心血を注いできたリアン様は未だ独身。デミアン様は我が家の入り婿となるけれど、家族であるリアンお義兄様を生涯お助けしていこうと、いつも話し合っていた。
お義兄様は私に取ってつけたような仲良しのアピールなどされなかったけれど、細やかな配慮で私たち二人を包んでくれているのはわかっていたから。
婚約解消が成立したとき、リアン様から相場の三倍という破格の賠償金とともに、花が届けられた。色とりどりの、侯爵家の花をありったけ詰め合わせたような花束。花言葉など勘ぐることさえ不可能。
ただ、不器用なお義兄様なりの想いがこもっているような気がした。
忙しいなかにも私とデミアン様の賑やかなお茶会を、静かに見守ってくださっていたときの……癖のある黒髪を今のように上げておらず、水色の瞳を揺らして少し寂しそうな顔で微笑んでいた……お義兄様を思い出す。お義兄様はご両親を失って、感情を大きく表さないようになったと聞いたことがある。
私は『妹になれず、残念です』と、正直に書いたカードを送った。
人のことはどうでもいい。我が家はもっと前途多難だ。キズモノとなった 十七歳の私と結婚してくれる、そこそこの男性など、もう残ってはいない。伯爵家存続の危機。父はショックで寝込んでしまった。母は幼い頃に他界した。だからこそ私は一人娘で、婿を待ち構えていたのだ。
親族の男子は、一番年上でまだ七歳。あの子を養子にして育てる?いや、あの家は家族仲がいい。決して養子になど出さぬだろう。
私を繋ぎの伯爵と認めてくれないだろうか?
女伯爵は前例がないわけではない。ただ、以前の皆様は全て目覚ましい功績を残した女傑であったけれど。とりあえず、国に申請だけは出してみよう。
頭が痛い。両のコメカミをグリグリと親指で押す。
先ほどの晴れ晴れとした新郎新婦の様子が脳裏をよぎる。
デミアン様と婚約して八年。デミアン様と手を繋いで生きていくものだと信じていた。信頼し、愛していた。それは家族愛のようなものだったかもしれない。でも、私はただ一人、デミアン様だけを見つめてきた。仲良し夫婦になろうねと何度も指切りした。
「でも、『真実の愛』には敵わなかった」
自分が世紀の美女でないことくらいわかってる。凡庸な容姿に凡庸な中身。それでも、楽しかった日々が二人の間には積み重なっていた。そんな歴史ごと、簡単に投げ捨てられた。
いつのまにか、頰にハラハラと涙が流れる。
「泣くのは……今だけよ!強くならなくては……領民の生活が私にかかってるのだから!」
でも、今だけ……今だけは……自分のために泣くことを許そう……。
私は馬車のなかで一人、座面に突っ伏して泣きじゃくった。