第618話 乱入者
「へ、陛下……。に、西の…砦が…、落とされ…ました」
伝令の兵士は、それだけ伝えると床に倒れ伏した。
重傷を負いながらも、帝城まで早馬を飛ばしたのだろう。
「無茶をしやがって…。誰か、ポーションを持ってねえか?」
兵士のもとに駆け寄ったアンセン軍団長が、会合に集っていた人々に問いかけた。
(それにしても、西の砦が落とされたとは……)
力尽きて横たわる兵士を見つめながら、レジス皇帝は思った。
(いつの間に、レバニラ王国はそれほどの戦力を得たのか……)
たしかに、レバニラ王国とは、たびたび国境線で小競り合いを繰り返してきた。
それは、レバニラ王国が、絶えず領土を広げようと周辺諸国に侵攻を繰り返してきたからだ。
実際に、周辺の弱小国は次々と呑み込まれ、大国となったレバニラ王国の領土拡張の勢いにはいっそう拍車がかかった。
ヒレカツ帝国も、かの強国の脅威に対抗するために、やむなく近隣諸国を併合して、国力を増強せざるをえなかった。
そして、屈強な兵士をひとりでも増やすために、エルフや獣人たちを奴隷として搾取し、使い捨ての戦力としてきた。
そして、このたびのショ島への侵攻によって、エルフも獣人も根こそぎ捕縛し、より一層の国力の強化を成し遂げる手はずだった。
ところが、かえって『魔物王国』という軍事大国を呼び寄せることとなってしまったのは、まことに皮肉なことだった。
「コレを飲ませてあげて!」
まっさきに、レオニーが声をあげた。
そして、どこからともなく取り出したペットボトルを、アンセン軍団長に差し出した。
「『九尾健康茶』だと?」
アンセンは、ペットボトルのラベルを見て眉をひそめた。
ラベルには、かわいい狐のイラストも描かれている。
かなりの深手を負っているのに、なぜ、『健康茶』なのか?
「ポーションよりずっとすごいんだから、早く飲ませてっ!」
戸惑うアンセンを、レオニーは一喝した。
「…わ、わかった」
そこまで言うならしかたがあるまい。
気圧されるように、アンセンは兵士の口に『九尾健康茶』を流し込んだ。
ところが、ボトルの半分も飲まないうちに、兵士は、たちまち苦しみもがいた。
「うううーーーーっ!ぐああーーーーっ!」
「…ど、どうしたっ!苦しいのか!」
やはり、得体の知れない狐マークのお茶など飲ませるべきではなかったのか。
何しろ、レオニーは珍しいモノ好き。
きっと、何かとんでもない飲み物を寄越したのだろう。
まあ、本人に悪気はないのだろうが…。
血まみれの手を口に当ててしばらく苦しんでいた兵士は、突如、むくりと起き上がって呻いた。
「…あ、甘い!甘すぎるーーーっ!」
見れば、ペットボトルのラベルには『九尾健康茶_いちご味』と書かれている。
なぜ、お茶なのに『いちご味』なのか。
疑問は尽きないが、甘酸っぱいには違いない。
アンセンは、伝令の兵士が酒好きの辛党であったことを思い出した。
どうやら、あまりの甘酸っぱさに悶絶してしていたらしい。
(…ってことは、ほんとうに回復しちまったのか!)
アンセンは、レオニーが寄越した『九尾健康茶_いちご味』の治癒力に驚嘆した。
(まるで上級のポーション並みの効果じゃねえか…。いや、レオニーの言うとおり上級ポーション以上かもしれねえ」
彼は、まじまじとペットボトルを見つめた。
そのときだった。
「これはまた、たいした『お茶』じゃのう…」
部屋の入口から、のんきな声が聞こえてきた。
「それより、こっちの世界にもペットボトルがあったんだね!ボク、はじめて見たよ!」
その上、場違いなほどに明るい少女の声まで聞こえてきた。
「「「何者だ!」」」
とつぜん、聞こえてきたふたりの声に、誰もが殺気立った。
『九尾温泉』から戻っていた第三皇女ポリーヌ以外は、宰相も含めてみな戦士である。
彼らは、たちまち武器を構えた。
皇族や重臣など、信頼のおける者たちの集まりである。
衛兵に武器を預けている者など誰もいない。
「何者と言われてものう…」
声の主は、年寄り臭い口調に似合わぬ若者だった。
Tシャツとジーパンという出で立ちで、9月生まれなのだろうか。Tシャツには、墨痕鮮やかに『乙女座』と書かれていた。
「個人情報はちょっとアレじゃし…。まあ、レバニラ王国の食客とでも思ってくだされ」
「もっとも、コレが終わったら、王国から出ていくつもりなんだけどね。すっごく待遇がよかったから、ほんとは、もうちょっと王国にいたいんだけど…」
少女は、不満そうに青年を睨んだ。
真っ赤なミニワンピースを着た、髪の長い少女だ。
「まあ、そういうでない。おぬしとて、あのとんでもない気配を忘れたわけではあるまい」
「…ううっ!たしかに、アレはヤバイと思ったよ」
「あんなとんでもない『気』を宿す強者が、五つもほんの近くまでやってきたのじゃ。もう、このあたりは危険すぎるじゃろうて、なにより…」
青年は、開き直るようにしらっと言った。
「わしは、勝ち目のない相手とは戦わぬことにしておるからの…」
「…うん、わかってる。なにしろ、ひとつは『大波動』と同じ魔力だったし…」
アレは、とにかく別格だ。
古代龍ですら霞んでしまうほどの膨大な魔力。
あんなのが相手では、そもそも戦いにはならない。
とにかく、絶対に遭遇しないように、徹底的に逃げ回るしかない。
…でも、と少女は思った。
なぜか。あの『大波動』とは、相性が悪くない気もするのだ。
相性などと、とぼけたことが言える相手ではないのに。
「ま、まさか!西の砦を落としたというのは、そなたらか!」
部屋にとつぜん姿を現したかと思えば、緊張感のない会話を続けていたふたりに、レジス皇帝が叫ぶように言った。
たしかに、ふたりの背には、長剣がくくりつけられていた。
細身の長剣で、さきほど見せてもらったレオニーの新しい剣にどこか似ていた。




