第611話 美幼女で魔王?
アンセンは話を続けた。
海上では、高速艇に追いつけなかったが、マーボ港に入ると、なぜか。エルフたちが船から降りずにぐずぐずしていた。
「それで追い詰めることができたんだが…。とつぜん、空からケルベロスの希少種が降ってきやがった」
「ケルベロスの希少種が、空から降ってきただと……」
「アンセン。貴様、頭は大丈夫か?」
まあ、そういう反応になるだろうな。無理もねえ…。
もし、立場が逆だったら、自分も鼻を鳴らして馬鹿にしていたに違いない。
アンセンは、レジス皇帝をちらりと見た。
皇帝は、腕組みをしたまま黙って聞いている。
話を続けろということだろう。
アンセンは、重臣たる仲間たちの軽口を無視して、淡々と語った。
希少種のケルベロスだ。
ブレスを一発喰らえば、こちらは全滅する。
さすがにエルフどころじゃなくなったが、その時。
いつの間にか、エルフの高速艇に乗り込んでいた少年が『こっちは終わったから、もう帰ろう』とケルベロスに声をかけた。
黒目黒髪で黒いローブに身を包んでいた黒ずくめの少年だった。
「…すると、あっという間に、ケルベロスが消えたのさ。それだけじゃねえ。エルフの船もまるごと消えてやがったんだ」
「「「「「…………」」」」」
皇族も重臣たちは、こんどは黙り込んだ。
アンセンは拍子抜けした。
また、いろいろと軽口を叩かれると思ったからだ。
それにしても、なぜ。
こんな荒唐無稽の話に文句をつけようとしないのか。
「…ショ島と同じだな」
「ええ…、あの島でも二十隻もの軍艦が、跡形もなく消えてしまったものね」
「空間転移魔法…でしょうか?」
「子供の読物みてえな話だが、もはや、そうとしか思えんな」
なるほど。そういうことか。
船が消失するという奇跡が、こちらでも起きていたのだ。
アンセンは、自分の話が疑われなかった理由がわかった。
そこで、彼は、敢えて声をひそめていった。
「話は、これだけじゃねえんだ」
ケルベロスも、エルフの高速艇も消失したあと。
アンセンと兵士たちは、しばらく呆然としていた。
目の前で起きた現実に、理解が追いつかなかったのだ。
そのときだった。
「ケルベロスが消えたあたりに、とつぜん魔法陣が光りだしたのさ。そして、その魔法陣から真っ白いローブを着た小さな女の子が現れたんだ」
まず、女の子は堂々と名乗った。
自分は、スフレ帝国の皇女シャルロッテ・タムラである…と。
ま、まあ…、『タムラ』というのは将来のファミリーネームじゃがな…。少女はちょっと恥ずかしそうに付け足した。
それから、『こほん!』と軽く咳払いで仕切り直して、幼女はきっぱり言った。
「いずれにしても…、この港には、わが帝国の船も置かせてもらっておる。もし、そなたらがこの港で狼藉を働くというのならば、わらわは、そなたらを排除せねばならん」と。
そして、ぴしりと杖を突き出した。
大きな魔石が先端に付いた杖で、ボウっと青白い炎が渦巻いた。
話だけを聞けば、小さな女の子の戯言と聞こえるかもしれない。
相手にするのも、大人気ないと思えるかもしれない。
しかし、アンセン軍団長をはじめ兵士たちは、幼女の警告を聞いて、思わずあとずさりした。
杖の先に現れた青白い炎の渦に、圧倒されたからだった。
「とにかく、その子の全身から発せられる魔力がとんでもねえのさ。オレは、魔王でもやってきたのかと、マジで思ったくらいだった」
もし、この炎の魔法をまともに発動されたら、おそらくは、ぜんいん消し炭にされてしまう。
これでは、さきほど姿を消したケルベロスと何も変わらない。
「ち、ちょっと待ってくれ…」
アンセンが、この魔王のごとき魔力をもつ美幼女にようやく反応することが出来た時。
ふたたび、彼女の足元の魔法陣から光が放たれた。
そして、そこから、同じ白いローブをまとった老婦人が現れた。
アンセンたちは、老婦人の並々ならぬ威厳に圧倒された。
そればかりではない。
老婦人からは、百戦錬磨の戦士の風格が感じられる。
さきの幼女が皇女ならば、おそらくは大皇后に違いない。
そして、この大皇后は、まさしく現役の一級戦士としか思えなかった。
「シャルちゃんは、ちゃんと私を待っていてくれたのね。偉いわ」
老婦人は姿を現すなり、やさしく美幼女の頭を撫でた。
魔王幼女も、まんざらでもないような顔でおとなしく撫でられている。
『ちゃんと待っていた』と褒めているのだ。
美幼女の機嫌がたまたま悪かったならば、問答無用で魔法をぶっ放されていたのだろうか?
そう思うと、背筋に冷たい汗がながれた。
とにかく、子供というのは感情的で不安定だ。
アンセンは、老婦人に訴えた。
「…我々は、エルフを追ってこの港に来ただけだ。この港にも、帰国の船にも迷惑を掛けるつもりはない!」
「…だそうよ。シャルちゃん。まず、その杖を降ろしてあげたら?」
老婦人は、ちらりとアンセンを見ると、またやさしく美幼女に話しかけた。
「お祖母様がそうおっしゃるなら…」
そう言って、美幼女魔王は杖を下げた。
さきほどまで、強烈な光を放って渦巻いていた青白い炎も消えた。
だが、その時、魔法陣が三度目の光を放った。
そして、魔法陣からは、幼女と老婦人を囲むように、四匹のブラックウルフが現れた。
『また、希少種じゃねえか…。従魔の類か?』
アンセンは、ひそかに毒づいた。
黒狼は、幼女が杖を降ろした瞬間に出現した。
偶然ではあるまい。
これではまるで熟練の兵士のようではないか。
「あいわかった。狼藉を働かぬならば、観光客として歓迎しようぞ。ただ、そなたらには絶えず監視の目が光っている。それを忘れないほうがいい…」
「…まあ、そういうことね。だから、あなたもしっかりと部下に目を配ってくださいな」
アンセンをじっと見つめながら、老婦人が付け足すように言った。
「みな、長旅で疲れております。今晩はこちらに宿をとらせてもらいますが、明日には帰国するつもりです。どうか、ご安心願いたい」
アンセンは、丁寧に返答した。
アンセンのことばを信じたのか。
老婦人と幼女。そして四匹の黒狼は、ふたたび魔法陣のなかに消えていった。
さいごに、魔法陣も消失したとき、アンセンたちはようやく我に返った。
『いったい、どうなってやがる…』
アンセンは焦った。
たしかに、日頃、交流のない大陸だ。
だから、いろいろと知らないことがあるのは当然だった。
とはいえ、知らなかったで済まされるような内容ではない。
間違って喧嘩でも売っていれば、こちらは殲滅されていたのだ。
『とにかく、情報を集めねえと…』
アンセンは、すこしでも情報を集めるために、部下たちに酒場での聞き込みを命じた。




