第196話 礼は言えない
プーディング王は、巨大な扉を、しずかに見上げた。
それから、視線を、一番下の鍵穴に、移したときだった。
彼は、驚愕のあまり、叫び声をあげた。
「な、なんということだっ!」
「こ、こんなことが……」
「ど、どうしたのじゃ!」
愕然として立ちすくんでいる作務衣の王に、学院長が駆け寄った。
なんだかんだ言っても、遺跡に興味しんしんなのだ。
「扉と床の段差が、なくなっている……」
よく見ると、完全になくなっているわけではない。わずかな段差は残っていた。だから、これまで、段差のせいで、鍵があけられなかったのも想像することができた。
しかし、今は、少なくとも、鍵穴は、くっきり露出している。
鍵をあけるのに、困ることはなかった。
「い、いったい、何が起きたというのだ……」
作務衣の王は、鍵穴のまえで、声を震わせた。
大きな地震でも起きなければ、ありえないことである。
そのとき、
「そういえば、すこし前に……」
やはり見学に来ていた、ルネちゃん皇帝が、ぽつりと言った。
「この大陸全体が、浮き上がったような感じがして……」
「とっても、怖かったのだ……」
思い出したのだろう。涙目になって泣きそうな顔をしている。
さっそく、お嫁さんたちが取り囲んで、よしよし、していた。
愛孫のことばではあったが、これには、じいちゃん宰相も吹き出した。
「ほっ、ほっ、ほっ……、ルネや、いくら何でも……」
「大陸全体が、浮き上がるなど、ありえ……」
…と、そこまで言いかけたとき、
みんなの視線がジュンに集まっていることに気がついた。
ジュンは、さりげなく、目をそらした。
あわてて口笛を吹こうとしたが、音が出なかった。
「……ありえるのか?」
そういえば、最近、『エリクサー』の奇跡を体験したばかりである。
「「「「「「「「ジュンくんっ!」」」」」」」」
ふたたび、お嫁さんたちの叱責が始まった。
「…………!!」
カミーユは、無言でプレッシャーをかけている。
心当たりの、ありすぎることである。
ジュンは、観念して、白状した。
いっしゅん、馬の『ヒヒーンッ!』のせいにしようかとも思ったが、火に油を注ぎそうな気がして、やめた。
しかし、長い人生のうちには、正直に言わない方がいい時も、ある。
身内以外の女の子の『パン○ラ』見たさに、大陸全体を危険にさらしたとは…。とても、捨て置けぬことであった。
お嫁さんたちの怒りに拍車がかかった。
この事件の当事者でもあるカトレアは、すこし離れたところで、アリアンナの世話をしていた。
ジュンが、お嫁さんに囲まれて、正座をしているのは、わかった。
それでも、話の内容が、聞き取れなかったのは、幸いだった。
もちろん、お嫁さんたちは、いっさい、カトレアを傷つけるような言葉を、口にしてはいない。
美少女お嫁さん集団による、異世界最強少年へのお小言が、ひと息ついたころ、学院長が、遠慮がちに言った。
「そろそろ、ベニートくんを、助けに行きたいのじゃが…」
「いいかのう……」
そういえば、今回の一番の目的は、魔道士の捜索だった。
一行は、ベニートが幽閉されていると思しき小部屋へと、のんびり歩いていた。覗き窓が並ぶ、鍵の置かれていた部屋である。
しばらく歩くと、見張りの兵士が、四人ほど見えた。
とうぜん、向こうからも、見える。
「誰だ!きさまらはっ!」
「何の用だっ!」
叫びながら、兵士は、彼らのなかに、見覚えのある顔を見つけた。
しかし、その男は、見たこともない涼しそうな服装で、のんびり歩いている。
この兵士は、プーディング王が、皇子に刺されるところを、目撃していた。
そして、主治医が鍵を持ち去って、ゆくえをくらました時、腹立ちまぎれに、王をめった刺ししているのも、見ていた。
どういうわけか、王は、なかなか死ななかった。
しかし、瀕死なのは、間違いない。
まさか、いま、目の前で、歩き回っているなど、想像もつかなかった。
あやしい一団は、なにも言わず、あいかわらず、のんきそうに歩いてくる。
兵士たちは、剣に手をかけた。
ぷすっ、ぷすっ、ぷす、ぷすっ…
ばたっ、ばたっ、ばたっ、ばたっ…
見も蓋もない、いつものパターンだった。
どこからともなく、クマさんが、黒いゴミ袋片手に現れた。
兵士をつまんで、ぽいぽい、放り込んでいく。
ただし、もう、事情聴取の必要はない。
いま、この『たまりません』は、この城の中庭につながっていた。
いままで、捕まえた騎士や兵士も、ぐるぐる巻にして、中庭に転がしてあった。
中庭とはいえ、いちおう敵地である。
見張りとして、ユニフォームを着て、野球帽をかぶったクマさんが数名、待機していた。もちろん、特製バットを片手に、特製バスケットボールがたくさん入ったかごを横に置いていた。
クマさんたちは、ライナーは諦めていた。打てば、相手のお肉とか、血とか、その他いろいろが、飛び散るから。ちょっと、衛生的にいやだった。
なので、ゴロを打つことに決めていた。
クマさんたちは、敵兵が襲ってくるのを、軽く素振りをしながら、心待ちにしていた。
「すこし、イレギュラーするかも……クマ」
「お庭の手入れは、ちゃんとしてほしい……クマ」
グランドコンディションに、いささか不満はあるようだった。
「ありがとう…」
ジュンは、ステルスを解いたハッチに、軽く礼を言った。
「ドウ…イタシマシ…テ…」
ハッチは、カタコトで答えた。
これから、Aiが学習を積むことで、まもなく、すらすら喋るようになるだろう。
それでも、
「「「「「「「「「かわいいーっ!」」」」」」」
お嫁さんたちが、いっせいに、きいろい声をあげた。
「…………!」
カミーユも、沈黙のうちに喜びを現しているようだ。
「リュック…、オイル、…アリガトウ」
ハッチは、いっしょうけんめい、お礼をいうと、ふたたび、ステルスモードに戻っていった。
ジュンは、ハッチが消えたあたりを、しばらくじっと見ていた。
ほんとうは、ジュンも、あの珠玉の録画の礼が言いたかった。
しかし、うっかり、お嫁さんたちの前で言ったものなら、あのビデオに、どんな危険が迫るとも知れなかった。
ジュンは、心のなかで、あのハッチに、手を合わせていたのであった。
ジュンは、小部屋の扉に手をかけた。
すこし、力を入れると、扉はあっさり開いた。鍵がかかっていたのかすら、よくわからなかった。
「……なるほどな」
「あんたが、あの波動の主か……」
扉をあけるなり、そんな声が聞こえてきた。