第181話 三箇条
ジュンは、ふたたび、ゼリー帝国を出て、ひろい平原を歩いていた。
車を走らせてもよかったが、天気もよく、風もおだやかで、散歩日和だった。ときおり、商人の馬車も、のんびりと彼を追い越していった。
前回は、いわば『囮』だった。
だから、事前に、ジュンが、複数のエリクサーを持ち歩いていることも、ワンボックスカーを持っていることも、噂としてばらまかれていた。
もちろん、そんなことをしなくても、『エーゲレス王国』は、密偵を送り込んで、ゼリー帝国の情報を集めていたはずだ。しかし、できることなら、『さっさと済ませて』しまいたい。
『祝ダンジョン制覇』で、やや浮ついた空気になっている帝都には、たくさんの密偵も送り込みやすいはず。そういう状況を踏まえての『囮』作戦だった。
ゼリー帝国に、思い残すことが、ないわけではなかった。
もちろん、ルネちゃん皇帝の寝所には、転移ゲートが置かれ、ジュンの家につながっている。だから、もし、ルネちゃんが、寂しくなれば、ゲートに足を踏み入れればよかった。
ジュンのお嫁さんは、ひとり残らず、ルネちゃんをかわいがった。ちびっ子シャルでさえ、妹ができたと言って、ちまちまと世話を焼いていた。まあ、相手は、いちおう皇帝ではあったが……
だから、いつでも会えるルネちゃんには、とうぜん未練などない。
思い残すこととは、あの美人ギルマスであった。
いくぶん、男らしすぎるところはあったが、とにかく、きれいなお姉さんだった。しかも、ジュンの周りには希少な『ぼん、きゅっ、ぼん』タイプだ。
『まだ、見せてもらっていないのに……』
ジュンは、後ろ髪をひかれる思いだった。
しかし、前にも書いたが、彼は、正真正銘、『気の小さい少年』だった。
まかりまちがっても、自分から『そろそろ、見せてもらってもいいですかね』などとは、言い出せなかった。
さらに、彼は、ムード重視の『ロマン主義者』である。
『見せて、見せて!』とおねだりして、見せてもらっても、果たして感動できるものなのか。そういうものとは、すこし趣が違っている気もした。
『美人ギルマスの白いパ○ティ』には、非常に繊細な問題が横たわっていたのである。
こうして、ジュンが、難問と取り組んでいる時だった。
気配が、動いた。
さっきから、ずっと、目障りに思っていた気配だった。
すでに、効果範囲は、設定している。
昨日は、ミルフィーユに戻り『ミルフィーユ防衛作戦会議』に参加した。
だから、今朝、わざわざここを歩く必然性はなかった。
しかし、一昨日、『捕縛作戦』の現場から逃走した『エーゲレス王国』の貴族だか皇族だかに、『金縛り』をプレゼントしてある。あれは、魔法かどうかすらわからない。いずれにしても、目の前に『エリクサー』をもつ者がいるのだ。なんらかの接触を試みるのは、当然だろう。
放置してもよかったが、そのせいで、また、ゼリー帝国の人々に迷惑をかけられては目も当てられない。
それにしても、
まさか、また『ちからずく』とは、どれほど、学習能力のない連中なのだろう。ジュンは、ややイラっと来ていた。
「きさまが、ジュンだな。エリクサーを渡し……ぐはっ!」
黒装束が、10人くらいだろうか。
登場してすぐに、地面に埋まった。重力魔法だった。
ジュンは、気にせずに、そのまま街道を歩いていった。
すこし歩くと、道端に、見覚えがあるような無いような豪華な馬車が停めてあった。
正面の街道の真ん中には、執事ぽい男が、土下座している。
ジュンは、無視した。
最初から話し合いに来たのなら別だが、襲いかかっておいて、失敗したらお話に切り替えるなど、調子がよすぎる。
そもそも、ジュンが寛容なのは、美人と美少女と美幼女だけだ。
すると、
「よい。わらわが、じかに話す」
そんな声が、馬車のなかから聞こえてきた。女の声だった。若い声のような気がした。
ジュンの足は、おのずと止まった。
声の感じからして、ルネちゃんとか、シャルのような子どもではないだろう。
エネミーが、たいそうな美人という設定もあってもよい。いや、むしろ大歓迎?
女は、馬車の中からゆっくりと降りてきた。
長いドレスの裾から、わずかに、白い脚がちらりと見える。
だが、その前に、ジュンに向かって駆け出して来るものがいた。
馬車の周りを囲んでいた騎士だった。すでに剣を抜いている。
20騎くらいだろうか。隠れていたわけでもないのだ。
すでに、『効果範囲』を、馬上の騎士に『限定』してあった。
「陛下っ!このような小僧に、お言葉をかける必要など…うわぁ」
二十人ほどが、空に浮き上がっていった。風船みたいだと、ジュンは感心した。もちろん、重力魔法だ。加重すると馬の脚を折ってしまう。だから、浮かせることにした。馬に罪はないのだ。
『そのまま、浮かんで行って、お星さまにでもなるがいい』
ふと、そんなジョークを思いついて、密かに笑った。声には出さない。
だが、あまり使ったことのない魔法なので、このまま天に昇るのか、途中で止まるのか、正直、ジュンにもわからなかった。しばらく眺めて、検証してみたい気もした。
「だから、わらわが、話すと言っておる…」
すこし憤慨したような物言いで、うつむきかげんで、降りてきた。
ジュンは、どきどきした。今まで、ハズレってあったろうかと自問した。
女が、顔を上げた。
…………
おばさんだった。
たしかに、美人ではあったが、ジュンの守備範囲はそんなに広くはない。
ああ、そういえば、以前にもこんなことがあったなと、思い出した。ひとは、都合の悪い記憶に封印しがちなものだった。
「言い値で良い。『エリクサー』を売ってくれぬか?」
おばさんはそう言った。
『陛下』とか呼ばれていたから、女王なのかもしれない。
ジュンは、きわめて平静をよそおった。
勝手に期待して、勝手に失望したのだ。顔には出せない。
「オレに、言い値とやらを払う金があるなら…」
「もっと、別のところに、払うのが先じゃないのか」
おばさんは、すこし意外そうな顔をした。
ジュンが、すぐに、話に食いつくと思ったのだ。
ジュンも内心は、魔物さんのお小遣いを稼ぎそこねたと思った。
しかし、譲っていいことと、譲れないことがある。
「私の息子が、奇妙な病にかかっておっての…、何とかしてやりたい」
そういって、ジュンの顔を伺っている。ジュンの魔法かもしれないと疑っているのだ。
探りをいれた上に、情に訴えたといったところだった。
「あんたの手下に、殺された家族は、何とかすることさえできないだろう」
そう言ってから、はっと思い出した。
『今が、チャンスだ』と心が踊った。
「『殺さず、犯さず、貧しきものからは奪わず』、これこそ、盗人の三箇条だ。覚えておけ…」
いちど、シリアスなシーンで言ってみたかった。
ジュンは、「おに○いはんかちょう」の大ファンなのだ。
しかし、ある意味、今後も盗賊を継続するのを推奨しているような気もした。
とは言っても、盗賊とお話できるチャンスなど、そう、あるものではない。今を逃すわけにはいかなかった。
…………
おばさんは、怪訝な顔をしていた。
それはそうだろう。
ジュンに、『真の盗賊の掟』を教えられても、反応しようもない。
…………
気まずい沈黙が続いた。
…………
「ア、アレは、放っておいても、数日で、元にもどる。そういう魔法だ」
「『エリクサー』どころか、治癒の必要もない」
「せ、せっかく、ここまで出向いてきたんだ。それだけは教えてやる」
ジュンは、そう言い残して、また、街道を歩いていった。
教えてやる必要はなかったが、この場をごまかして、立ち去るためにはしかたがなかった。
あとには、
地面に落ちてきた騎士たちと、ようやく立ち上がることができた黒装束の男たちの、うめき声が聞こえていた。
そのままにしておいても、気になるので、解除したのだ。
もちろん、せいぜい骨折した程度で、命に別状はない。