第170話 まおうか、はかいしん
説明的なことは、書いても読んでもらえないのでは、と思っていたのですが、行間とかも、わりとふつうにしたので、ついでに、説明的なことも入れてみることにしました。
ゼリー帝国の皇帝一族は、すぐれた魔道士を多く輩出した、魔導一族だ。
そして、代々、皇帝は女性が務め、男は宰相となって実権を握っていた。
いまは、ルネちゃんが皇帝であり、実権を握っているのは、じいちゃんだった。じいちゃんは、食い意地の悪さで危うく死にそこなったが、もともと、炎の魔道士として、恐れられた人物だった。
ルネちゃんが皇帝になったのは、少し前からだ。
皇帝だったお母さんは、ルネちゃんを産んでまもなく亡くなった。
もともと、体の弱かった、ルネちゃんのお父さんも、後を追うように亡くなった。
次期皇帝予定だった姉は、やはり強力な炎の魔道士だったが、ルネちゃんが生まれるまえに、政略結婚に反発して家を出たきり、行方不明となっている。
父も母も、亡くなる寸前まで、この姉のことを悔いていたという。
皇帝不在の期間が数年続いた。
いまでも、ルネちゃんは、皇帝としては幼すぎるだろう。しかし、これ以上の皇帝不在は、許されなかった。
ギルドの女の子や、城門の兵士たちが、ルネちゃんを皇帝と見抜けなかったのは、無理もなかった。彼らなりに、怪しんではいたが、護衛もつけずに、ふつうの少年に抱っこされていたのだ。皇帝と見抜けというほうが無理があった。
ルネちゃんを皇帝と明確に気づいたのは、近衛が慌てて探し来たときだった。
それにしても、
「すべては、陛下が、ジュン殿を見つけてくださったお陰ですな。ありがたいことです」
イケメン中年がしみじみ言った。
このおっさんは、アイロス伯爵と言って、今で言うと『元帥』にあたる人らしい。軍で一番偉い人だった。よく、クーデターを起こさなかったものだ。
『公私混同』など自分に許さない人物なのだろう。手を貸していた大男も、友人の冒険者で、軍の関係者ではなかった。
「『魔力探知』に関しては、あの母親すら凌ぐからのう…」
じいちゃん宰相が言った。
それも、早くに両親を亡くしたせいかもしれないと思うと、かえって不憫じゃがのう…
そういって、自分の膝のあたりで、すっかり寝入っている孫の頬を撫でていた。もう起き上がれるくらい体力は回復していたが、ルネを起こすのもしのびなかった。
ルネが、それを感じ取ったのは、もう二十日以上前のことだった。
すさまじい魔力の波動が、東からやってきて、西に去っていった。
それが、すこしの時間をおいて、二度続いた。
ジュンが、聖女二人に抱きつかれて、昇天したときの波動だ。
ルネは、怖かった。お話にでてきた『まおう』とか『はかいしん』に違いないと思った。ゼリー帝国も、一時、騒然となった。
その後も、同じ魔力の波動に、ルネは、何度か怯えることになった。
最初の二度の波動ほどではなかったが、それでも、すさまじい魔力だった。
ジュンが、アニメの真似をして最初に、『バビルの塔』を建てた時とか、セーラから急所に膝蹴りをくらった時などのことだ。
そして、つい、七日くらいまえだろうか。
ルネは、ついに、その『まおう』とも『はかいしん』ともしれない男の声を聞くこととなった。
その声は、はっきりと、こう言った。
「せきにんしゃ、でてこい!」と。
意味は、わからなかった。しかし、すでに、皇帝となっていたルネは、泣きながら寝間着で、外に飛び出した。もちろん、何も起きなかったが…
ルネは、毎日毎日、怖くてたまらなかった。
そんなとき、自分が食べようとした、フーグルというお魚を横取りした、祖父が瀕死の重病となった。ちなみ、地球のフグは、呼吸器系の麻痺などを起こすそうだが、フーグルは、まったく別のお魚である。
いまにも、天に召されそうな祖父のそばで、つい寝入ったしまったルネは、今朝、あの魔力を感じて目を覚ました。
その魔力は、だんだんと近づいてきていた。
ジュンが、自分は、きょう初めて異世界に来たようなものだと、嬉々(きき)として歩いていた時のことだ。
ルネは、帝都カーンテンが『ほろびの日』を迎えたと確信した。
ルネにはわかった。あの魔力の持ち主が、きまぐれで、炎の魔法を撃てば、帝都はあっという間に、焼け野原になるだろうと。
ルネは、怖くて、泣くことすらできなかった。
しかし、
その魔力が、近づくにつれて、なぜか、気持ちが落ち着いてきた。
あの恐ろしかった魔力が、じつは、ルネの波長と重なり合って、ルネをやさしく包むかのように感じられたからである。
それに、なんともいえないほど、のほほんとした波長だった。
もし、ルネが海を見たことがあったら、それは、しずかに凪いでいる広大な海を、連想させたかもしれない。
『この、おにいちゃんなら……』と、ルネは思った。
この時点で、ルネの探知力は、ジュンを『おにいちゃん』と認識していたのである。
アイロス伯爵が、ゆうべ、つい漏らしていた、あの万能の薬草を、いっしょに採りに行ってくれるかもしれない。
そう思うと、居ても立っても居られず、ルネは、思わず部屋着のまま駆け出していた。
息が切れて、苦しかった。こんなに走ったのは初めてだったから。
それでも、魔力がつよいお陰なのか、なんとか冒険者ギルドにたどり着いた。
ルネは、すぐに、わかった。
いま、ギルドに入ろうとしている『おにいちゃん』が、あの魔力の持ち主だと。そもそも、その魔力をたどって、ここまで来たのだ。
しかし、ルネは、声をかけられなかった。
そのお兄ちゃんは、ギルドに足を踏み入れたかと思うと、いっしゅんで、出てきて、扉の横に隠れるようにしていたからだ。ルネには、何をしているのかわからなかった。
そればかりではない。
気を取り直して、ふたたびギルドに入ったかと思うと、近くの扉が開いたとたんに、部屋のまんなかまで、いっしゅんで移動した。
ルネは、おもった。
これが、お話で聞いた『しゅんかんいどう』なのだろうと。さすがは、『まおう』だと。でも、やはり、怖くはなかった。
それから、
『きょどうふしん』ということばも脳裏に浮かんだ。
おにいちゃんが、二階に上がっていく、きれいなおとなの女の人のお尻に向かって手を振っていたからだった。
お兄ちゃんは、ギルドのひとと話を始めた。
ルネは、終わるのをじっと待っていた。
話も終わり、何かカードを受け取って、おにいちゃんは、にやにやしていた。そんなに嬉しいのだろうか。なんとなく、おにいちゃんが、さらに、親しみやすく感じた。
カードを大事そうにしまった、おにいちゃんは、けいじばんのはりがみを、眺めていた。
チャンスは、いま、しかない。ルネはそう思った。
そして、
その日はじめて、ルネは、初対面の男性に、自分から声をかけた。
振り絞れるだけの勇気を振り絞って、
「……た、……たのもうっ!」と。
…………
今にして思えば……、
じいちゃんが、日頃、読み聞かせてやっていた、絵本のセレクトに問題があったのかもしれなかった。