第120話 クンクン
それにしても『船』ときたか…
「わたしたちって、海とは縁のない生活を送ってるのよ」
そういえば、お妃さまも、砂漠の国出身だった。
「魚は食べないんですか?」
日本人としては、尋ねたくなるところだ。
いまさら、こんなことをきくのは、オレは、この異世界のものを食べたことが、ほとんどないからだ。
そもそも、この世界にきて、二十日と経っていないこともある。
しかし、一番の理由は、例のクローゼットだ。日本の食べ物が、膨大に収められている以上、この世界のものを食べる必然性がないのだ。
まあ、すべて、アイツのお陰なのだが、衣食住に関しては、日本にいたときと、ほとんど変わらない。
だから、正直言って、この世界のものを食べたら、お腹壊すんじゃないかと心配している。
「食べるわよ」
こんどは、魔導士長のテレーゼさんが答えてくれた。
ただ、
「わざわざ、船を用意して、船乗りを育成して、港を借りて…となると、買ったほうが安いのじゃよ」
こちらも、農産物などを売ったりしておるしのう…
学院長も、加わった。
それに、
たとえ、情勢が不安定になって、魚が入ってこなくなっても、
「別に、命にかかわるわけでもない」
とくに、困ることもないのじゃからな。
いっしゅん、『塩は…?』と思ったが、とくに困った話も聞いたことがない。
たぶん、岩塩でも採れるところがあるのだろう。異世界でも地殻変動くらいはあるだろうし…。さすがに、畑で採れるとは思えないが、異世界なのだ。どんな不思議があっても、おかしくはない。
「そんなわけで、帝国は、船をもっていないのよ」
お妃さまが、はなしをまとめた。
「ララも、海、行ってみたい」
クール小娘が、目を輝かせている。
内陸だけに、海へのあこがれでもあるのだろうか。
「…そうね」
たしかに、船に乗って海を渡るって、一種のあこがれかもしれないわね…
テレーズさんまで、そうなのか…
交通機関の発達していない世界なのだ。
内陸に暮らしていれば、まだ見ぬ海に憧れるのも、とうぜんなのかもしれない。ぶっちゃけ、ドラゴンでひとっ飛びなのだが、この雰囲気では、それを口に出すべきではない気がした。
それに、『船』ならではの楽しさもあるのだ。
「わらわも、船に乗ってみたいのじゃ…」
ばあちゃんのため…、ばかりでもないようだ。
…………
お妃さまたちは、いろいろと忙しいらしく、帝城へと戻っていった。
ララたちは、ばあちゃんが稽古をつけてくれるらしい。やや青ざめた顔で、やはり、帝城の演習場に向かった。
*************
オレたちは、いま、ダンジョンに来ていた。
オレたちというのは、『未来のお嫁さん』五人だ。
『お嫁さん』と言っても、ひとりひとりに、確認をとったわけじゃないから、オレがそう思ってるだけかもしれない。そうだったら、ちょっと恥ずかしい…
「ひさしぶりですね…」
聖女セシリアが、つぶやいた。
「まあ、まあ…、わたしは、ここ、初めてよ。ずいぶん、広いのね…」
元聖女のイレーヌは、めずらしそうに、あたりを見回している。
「あたしは、転移で、ちょくちょく立ち寄ってるから、もう見慣れちゃった…かな」
クレアは、王都の自宅と、ミルフィーユを、けっこう行ったり来たりしている。
だから、その度に、このダンジョンを経由しているのだ。
「わらわも、毎日、つかってるのじゃ」
オレの家にお泊りしても、かならず一度は、城へ帰っているからだろう。ちなみに、我が家にも、シャル専用の部屋がある。ただ、寝るときは、ほかの四人のところに、潜り込んでいるらしい。
例の、ラスボス部屋、つまりドラゴン部屋には、階下に降りる階段があった。
階段と言っても、ドラゴンが歩ける階段だ。人間には、床が段々になっているようなものだった。
そして、その先には、ドラゴンが、余裕で通れる回廊が続いている。
漫然と話をしているうちに、オレたちは、その回廊の突き当りに、行きついた。
「ジュンくん、ジュンくん、ちょっと、どきどきだね!」
セーラは、なにやら、嬉しそうだ。
「ようやく、中に入れてもらえますニャ」
ライムも、楽しみにしていたのだろうか。
そうなのだ。
ここから先は、オレしか、入ったことがなのだ。
オレも、あの、断り切れずに、ダンジョンマスターになってしまった夜以来だった。
『決闘』関連で、ばたばたしてたから、しかたがない。
「ジ、ジュンくんっ!」
とつぜん、聖女セシリアが、抱き着いてきた。
「ぎ、ぎゅってしてくださいっ!」
どうしたのだろう。いつも、大人しい子なのに…、
…っていうか、ちょっと影が薄かったかもしれないけど。
オレは、リクエストに応えて、ぎゅーーーと抱きしめた。
初めて、この異世界に来た時も、こうして抱き着かれて、そして、ちょっと、シンクロして、大惨事になったっけ…。
もちろん、今は、大丈夫だ。
「ま、まあ…、私も!」
そういいながら、イレーヌさんが手を挙げた。
イレーヌさんまで、どうしたのだろう。
…ていうか、こういうときって、元気よく手を挙げるものなのだろうか。
イレーヌさんは、なかなか心の準備が必要だ。
なにしろ、ぎゅーーっとすると、むにゅーーっとするからだ。ここは、深呼吸が必要だろう。
オレは、深く息を吸ってから、イレーヌさんを抱きしめた。
異世界に来て、二日目に、イレーヌさんに抱き着かれて、窒息して、昇天して、大惨事だった。
それほど、時間は、たっていないが、懐かしい気がした。
「あ、あたしも…」
クレアまで、手を挙げた。
もしかして、抱き合う時って、挙手する風習が、この異世界にはあるのだろうか。
いままでの、ふたりはちがって、『クレアぎゅーっ』は、初体験だ。
弾性は、セシリアとイレーヌの中間値が予想された。
ああ、たしかに、これは、中間値!
年頃も、同じなので、また、ひとあじ違って新鮮!
それにしても、三人とも、いったいどうしたというのか…
「なるほど、なるほど、……クンクン…クン」
とつぜん、セーラが、『クン〇ン探偵』みたいになった。
「ジュンくん、ジュンくん…」
「その三人の娘さんは、『無意識の不安』に襲われたのだよ…」
セーラーが、したり顔で言う。
『無意識の不安』って、また、コイツ何を言い出したのか…
「…なぜなら!」
セーラは、これから開ける扉の前に、すっくと立った。
そして、ふたたび、クンクンするなり、こう言い放った。
この扉の向こうからっ!
「ジュンくんの『新しいオンナ』の臭いがするからだよ!」
なんですとーーーーーーーーーっ
オレは、背中に、冷たい汗がつたうのを感じた。